13 帝国兵の受難
ダムソン帝国軍第三歩兵大隊。その隊長として五百名の兵を束ねるクラークは、数日後に始まる戦争のことを考えて気分が高揚していた。
「なんだか楽しそうっすね、隊長」
「ククク、そりゃあな。この戦争が終わったら、俺には結婚と昇進が待ってんだよ。作戦司令室の所属になれば、あとは帝都でのんびり隠居生活さ」
「もう勝った気でいるんすか?」
「負ける想定の方が難しいだろ?」
もちろん、軍事行動において油断が命取りなのはクラークも承知の上だ。だがそれでも、帝国軍が敗北する姿を想像する方が難しい。そのくらい、帝国軍は負け知らずなのだ。
「お前、新兵だろ。名前は?」
「ロットっす」
「いいか、ロット。我らがダムソン帝国の誇る鉄道網は、戦争の形を大きく変えたんだ。物資と兵士をどこにでも迅速に移動できる……というのは、本当にとんでもないことなんだぞ」
クラークは木の棒で地面に図を描きながら、新兵にも分かりやすいよう鉄道の利点を説明する。
以前なら何ヶ月もかけて集めていた兵士を、今はほんの数週間で国中からかき集めて移動させられる。大量の軍事物資を遠方まで素早く運べるため、補給も容易になった。また、重要な戦場に兵力を集中し、短期間で制圧することも可能になっている。
「対する敵国は、各地に分散させた小さな兵力と乏しい物資、貧弱な補給線……そんな状態で帝国と戦う必要が出てくるってわけだ」
「はぇー、それなら帝国は負けようがないっすね」
「だろ? とはいえ、新兵のうちから油断なんかするなよ。帝国軍全体として負けないからって、誰も死なないわけじゃないんだ。敵兵も必死だからな」
クラークの話にロットがうんうんと頷いていた、その時であった。
陣地の中がにわかに騒がしくなり、どこからか「小火だ!」という叫びが聞こえてくる。見れば、物資の集積所から火の手が上がっている様子が確認できた。
「敵の火付けっすか?」
「わからん。確認しに行ってくる」
「あ、俺も一緒に」
クラークは兵士たちをかき分けながら、仮設陣地の物資集積所へやってくる。
そこにあったのは激しく炎上している木箱の山と、必死の形相で水をかけ続ける男たちの姿だった。彼らは手押しポンプで汲み上げた井戸水を桶で運び、消火を試みているようだが……水をかけるごとに、なぜか火は燃え広がっていく一方である。
「あれは……保存食の木箱、か」
「え。隊長、あれ水をかけたらダメな奴っす」
「何だと。どういうことだ」
クラークが視線を鋭くすると、ロットは少し戸惑いながら説明する。
「俺も詳しくは知らないっすけど……昔、錬金術師の爺ちゃんが言ってたっすよ。あの箱に描いてあるマークは水気厳禁。水をかけたらダメって意味っす」
「それは……」
「保存食ってことは、湿気取りのための生石灰でも一緒に入ってたんじゃないっすか。あれってたしか、水を掛けると燃えちゃうらしいんすよね。保存庫が雨漏りすると大火事になるくらい危険なやつっすよ」
その話を聞いて、クラークは慌てて兵士たちのもとへと駆け寄ると、水による消火活動を中止するよう命令する。そして、まだ燃えていない木箱の運び出しと、砂を使っての消火活動に切り替えた。
その後に判明したのは、燃え残った木箱から回収した乾燥剤に水を掛けると小火が再現されたことと、物資の管理責任者が水気厳禁についてよく理解していなかったことである。
この件は事件ではなく事故として処理され、管理責任者は降格処分を受けた。そして兵士たちの食事は、追加の物資が届くまでの間、少しだけ貧相になることが決まったのである。
◆ ◆ ◆
そうして、小火騒ぎが起きた翌日の朝。クラークが隣で眠る娼婦に「あんまり明るいところで見たい顔じゃねーな」などと失礼な感想をひとしきり抱いてから、寝泊まりしている天幕を出た時だった。
陣地のあちこちで蹲っている人影。あたりには異臭が漂い、兵たちはげっそりとした顔で幽鬼のようにフラフラと彷徨っている。
「お前ら、どうした」
「た、隊長……」
見れば、新兵のロットが血の気の失せた顔をして、前かがみになりながら腹を押さえている。
「隊長、水に気をつけるっす。井戸水は決して飲まず、水筒魔道具を使うのが良いかと」
「何、どういうことだ」
「井戸の水を飲んだ奴がみんな、腹を下してるっすよ。便所の数が全然足りなくて、そのへんで漏らす奴が続出してまして。あ、また腹が……」
ロットはそう言って、フラフラと立ち去る。
水筒魔道具は空気中の水分を取り出すことのできる便利なもので、兵たちのほとんどは緊急時のために所有している。しかし、必要になる時間や魔力に比べて生み出せる水の量がかなり少ないのが難点であった。
「井戸水か……昨日の小火騒ぎの時に汲み上げすぎて、濁っちまったかなぁ」
幸いにも、従軍神官の治癒魔法と錬金術師の魔法薬によって、重篤な症状に見舞われる兵士は少なく済んだ。しかし、井戸水の水質を検査した錬金術師は「絶対に飲んではならない」と顔を青くして、その日のうちに「水筒魔道具を使用するように」との指示が軍全体に通達された。
とはいえ、王侯貴族の血を引いていない庶民が扱える魔力などたかが知れている。それに加え、全員が空気中の水分を取り出そうとすれば、当然のように空気は乾燥していき、魔道具の効率は落ちる一方だ。
水分補給のためだけに魔力を消耗し、激しい空腹を覚える兵士たち。そこに待っているのは、小火騒ぎによって以前よりも貧相になった食事のみ。事情は理解しているものの、陣地を漂う空気は時を追うごとに悪化していった。
◆ ◆ ◆
その後も、ことあるごとに事件や事故が発生し続けた。
多数の兵士が賭け事に盛り上がっている天幕で、どういうわけか混ぜてはいけない洗剤同士を混ぜ合わせた馬鹿がいたり。
何人かの兵士が出所不明の怪しげな魔法薬を娼婦に盛って殺してしまい、怒った娼婦たちが陣地を出ていってしまったり。
誰も注文した覚えのない食料が大量に届き、空腹の兵士たちが大喜びでそれらを分け合ったものの、肝心の代金を払う者が誰もいなくて商人組合との関係が悪化したり。
「隊長。この陣地にアプリコット王国の工作部隊が紛れ込んでるって噂が立ってるんすけど、本当っすか」
ロットからそんな問いを投げかけられ、クラークは頭が痛くなった。
小火騒ぎから始まって、立て続けに悪いことが起きているのは確かである。死人も出ていることから、何者かの破壊工作かもしれないとは彼も考えた。しかし、それで帝国兵が互いに疑心暗鬼になっていたら、それこそ相手の思うつぼではないか。
――どうも嫌な予感がする。
クラークはそう思い、将軍に相談した。
しかし将軍は「軍紀が乱れている」という感想を持つのみで、今の事態に対して対策を打とうという雰囲気は微塵も感じられなかった。
「敵襲! 敵襲! 敵襲!」
真夜中にそんな声が響き渡ると、クラークは魔弾杖を片手に天幕を出ようとして、はたと気がつく。
兵たちを疲弊させ、疑心暗鬼にさせ、夜襲をかける。その結果がどうなるのかは、天幕の外から聞こえてくる音だけで十分に理解できた。魔弾の射出音と、兵たちの断末魔。誰かの死を嘆く声と、互いに罵り合う声。
「帝国兵に同士討ちをさせる……それが狙いか」
理解したところで、今のクラークに出来ることは何もない。暗闇の中で敵味方を判別することはできない上、下手に天幕を出れば冷静さを欠いた兵たちに殺されてしまうリスクまであるのだ。
――なるほど。軍の上層部が事なかれ主義に陥るわけだ。
クラークは唐突に、様々なことを理解した。
将軍もまた、今の彼と同じだったのだろう。この状況が偶然の産物なのだと信じてしまいたかった。誰の工作を受けているわけでもなくて、運が悪かっただけ。あと数日もすれば、何事もなかったかのように戦争が始まって、勝利して、凱旋する。出世して、結婚して、隠居して……そんな未来こそが現実なのだと、そう信じ込んでしまいたかったのだ。
「敵襲! 敵襲! 敵襲!」
朝日が昇ったら、あらためて被害状況を確認しよう。彼はそう心に決めて、脱力したようにその場に座り込む。そして、どうか自分の懸念が杞憂であってくれと、祈るような思いで目を閉じた。
そして翌朝。同士討ちで亡くなった兵士を丁重に弔い、人数確認のために彼の率いる大隊を整列させる。しかし……その中に、自分に懐いていた新兵ロットの姿はなかった。





