第39話 市場にて
俺達はバレンティアの実家の領にある、大きな市場へと出向いていた。護衛の騎士達に囲まれてはいるが、市場の商人達はこの領の御曹司であるバレンティアを見つけては挨拶をしてくる。あんがい街の人間にも人望があるのがムカつく。
高貴な貴族の母娘は普段直接市場になど出向く事は無いので、もっと興味を持って市場を視察するんだと思っていた。だがその様相は少し違った。
ルクスエリムからの提案だったバレンティアの実家領の視察だが、俺は最初それはそれで良しと思っていた。客寄せパンダとしては最高の逸材だし、アイツはアイツで基本的に俺以外には冷たく接するから問題は無いと思っていた。
だが…ふたを開けてみれば、それは大誤算だった事がわかった。いつもながらの冷たい無表情で振舞っているものの、バレンティアが何気ない仕草をするたびに女達がため息をつくのだ。
ぐぬぬ!
けしからん! 真面目な研修だというのに、女どもと来たらバレンティアの事ばっかり見ている。いや…バレンティアだけではない、オマケでついてきた第一騎士団の副団長マイオールにまで視線がいく。アイツはアイツでバレンティアとは違い、シャイで情熱的な熱血漢である。そのうえバレンティアとはまた違うイケメンぶりで、女の目をくぎ付けにしているのだ。
「聖女様」
まったく、どいつもこいつも!
「あの、聖女様?」
「何?」
「あ、すみません!」
ヤバい! せっかくミリィが声をかけてくれたのにも関わらず、つっけんどんな返事をしてしまった。俺はもう一度すごく温和な笑顔を浮かべてミリィに答える。
「ごめんなさい。皆さんが学ぶべき事を学べているか気になって、ついつい考え事をしてた」
するとミリィとスティーリアが顔を見合わせた後に、ミリィが俺に向かって言う。
「分かります! 聖女様は市民の暮らしを学んでほしいと思っているのですよね!」
えっ? なにが?
すると今度はスティーリアも声を合わせて言った。
「真面目な勉強会だというのに、貴族の方々は騎士の二人ばかりを目で追っている。結婚相手を探しに来たわけではないというのに、まったく! 本来の目的を見失っているようです!」
おっ! ちょっと方向性は違うが、俺が思う不満と同じだ! 味方はいた!
俺は慌て気味に返事をする。
「そ、そう! 出来れば真面目に勉強してもらいたい! 陛下も出会いの場としてこれを許可した訳ではないのだから! これでは一回目で無くなってしまう」
一発で無くなってたまるか! 俺はまだソフィアとお話しもしていないんだぞ! とにかくなんとかこのおかしな雰囲気を変えなくては。奴は、奴はどこだ! いた! なんだ? マイオールと難しそうな顔をして話をしているな。
「あー、バレンティア卿。本日は研修にまでお付き合いくださってありがとうございます」
「フッ、聖女様と私の仲ではないですか。お気になさらずに」
お前と俺の仲だぁ! 殺すぞ! お前とは仲良くもなにもない!
キャァァァァァァ!
ん? いま、どっかで黄色い声援が上がらなかったか? あ、なるほどコイツが柄にもなく俺に微笑んでいるのか…。クズが!
「あー。その感謝はしております。バレンティア卿は護衛を下の者に任せて、お茶でもなさったらどうです。ここはそれほど危険な場所ではないはず」
するとバレンティアとマイオールが顔を見合わせて、肩をすくめ…やれやれだぜみたいな顔をする。なんだ? こいつらはBLか? そうなのか?
「分かっておられないようですね」
なんだ? 俺が何を分かっていないというのだ? ん? おい! バレンなにがし! 言って見ろ!
「何を分かっていないと?」
「近衛騎士団長と第一騎士団副団長と精鋭が、ここにいるのが何の為なのかをです」
なんだよ? どうせ女達に色目を使ってたぶらかす為だろう。 そんなんお見通しだぜ!
「ご婦人達の護衛ですよね?」
「ははは。なるほど、それはそうです」
なんだよなんだよ! 余裕の返事がムカつく!
きゃぁぁぁぁぁぁぁ!
そしてまた黄色い歓声があがりやがった! 許せん!
「何かおかしかったでしょうか?」
俺がムッとして答えると、バレンティアは襟を正して謝って来る。
「いえ。お気に召さなかったのなら申し訳ございません。ですが王命で精鋭部隊がここにいるのは、他でもない聖女様が護衛対象だからですよ」
えっ? 俺? なんでだよ! 俺なんかどうだっていいよ!
すると隣りのマイオールも重ねて言って来る。
「やはり聖女様はご自身の価値をお分かりで無いようだ。貴方様は今この国に置いて、ルクスエリム陛下の次に重要な人物なのですよ」
へっ? いやそんなわけないない! 俺が?
「私は貴族でもありませんし、ましてや王族を差し置いて陛下の次? ありえません」
するとバレンティアがめっちゃくちゃ真面目な顔で言う。
「申し訳ございませんが、第一保護対象は貴方ですよ。聖女フラル・エルチ・バナギア様」
隣りのマイオールもうんうんと頷いている。こいつらに守られるくらいなら死んだ方がましだが?
「えっと、もしかすると…。私が他に移動すれば、あなた達二人がついて来る?」
するとバレンティアがめっちゃ涼しげな顔で返して来た。
「そうなりますね。貴方を助ける為なら命を捨てろと言われております」
なら今死ね。
「私の為に命を捨てるなどありえない」
「いえ。もしあなたに何かがあれば、少なくとも私の騎士人生は終わるでしょう。いや…恐らく私の父の領が取り潰しになるかもしれませんね」
…えっと。こいつらは真面目に言っているし、ルクスエリムが命令したとなれば間違いないだろう。
するとマイオールが言った。
「諜報部からは、国内に刺客や間者が入り込んでいるとの情報が入っております。まあバレンティア殿のお父上である、フェアラン・アインホルン様が目を光らせているうちは至難の業かもしれませんが」
あ、そうなんだ。だとコイツはバレンティア・アインホルン、つーフルネームなのね。知りたくも無かった。
「帝国を一方的に追い払ったあなたは、仮想敵国からすれば障害にしかならないのですよ。貴方を誘拐して国交を有利に進めようなんて、けしからぬ考えを持っている輩もいるのです。そして叶わぬなら殺してしまおうとする勢力もいるのは事実です」
えっ? おっかねぇ。俺っていまそんな立場になってんの?
俺は自分が置かれた立場、事の重大さにようやく気が付いて来た。と言う事は俺が女に近寄ったら、その娘が危険にさらされる可能性があると言うわけだ。でも! そんなものに屈していたら、俺とソフィアの恋など成就しないだろう…
俺は言う。
「それでも私は堂々と外に出ます! そしてこういうふうに研修もします!」
するとバレンティアが真面目な顔で言った。
「それは重々承知の上です。むしろ聖女様がこうやって大々的に研修を行う事は、他の国からも注目されている。そしてそれを行う貴方の意図は、仮想敵国など襲るるに足らん! 私はここにいる! やるならやってみるがいい! という威圧的なものでしょう? 貴方様がそうお考えになっていたのであれば、我々は国の命令として貴方を命を賭して守るのみです」
「同じく私も、この命惜しくありません」
メンディー! めんどくさい! こいつら、そんな意気込みでここにいんのか! そりゃひと時も俺から離れんわな…。いや、いずれにしろそんな状態では、ソフィアに近づく事なんて出来ないじゃないのか? それはまずい! マズいぞ!
「命を賭けるなど必要ありません。私は自分で自分を守ります。だけどそう言う危険があるというのであればお願いします。ここにいる全ての貴族の女性達を守ってください。それこそあなた方の命をもって、彼女らを守り通してくださいますか?」
本当に頼むよ。女が俺の為に傷つくなんて俺には耐えられない。だがこの人数を守るとなると、騎士達の力なくしては無理だ。だからイケメンにお願いするのは嫌だけど頼むよ。
「もちろんです。聖女様がそう望むのなら」
「私も同じ気持ちでございます」
「お願いします」
いいや。こいつらに頼るのは癪に障るが、俺が連れだした研修で貴族の女達に何かがあったら嫌だ。俺は…、俺はなるべく目立つところに立ち、狙うのなら俺を狙いやすいようにするだけだ。刺客の狙いやすいところに居て、俺が死ねば後の女には手を出さないだろう。その前にやる事だけはやる!
俺はあえて皆の前に立って言う。
「さあ! 皆さん! 今日は初めての研修の記念です! 皆さん思い出の雑貨を手に取ってください! そして今日と言う日を忘れないようにお願いします! 本日の雑貨のお代はここにいるバレンティア卿がお支払いします!」
すると不意を突かれたバレンティアが答えた。
「えっ、あ、はい! ええ! 皆さん! 思い思いの品をお手になってください!」
きゃぁぁぁぁぁぁぁ!
いやバレンティアからのプレゼントじゃねぇけどな。だけど何か爪痕残しておかねえと、第二回が難しくなるかもしれない。しかし! ソフィアにだけは! ソフィアにだけは! 俺がこっそり買ってプレゼントしよう。バレンティアが皆の対応をしているうちに、ソフィアに近づくんだ! チャンスは今しかない!
そして俺はソフィアを探すのだった。
いた!
ミリィとスティーリアとヴァイオレットが俺について来るが、俺はそんな事にかまっている暇はない。とにかくソフィアに、どいて! ちょっと!
貴族の女子で混み混みの市場をかき分けながらソフィアに駆け寄る。
「そ、ソフィア様!」
俺が声をかけるとソフィアがこちらを振り向いた。
「聖女様! この度はこのような素晴らしき研修会にご参加させていただき、誠に光栄でございます。聖女様の名声は常々聞き及んでおります。聖女様には懇意にしていただいて大変うれしく思います」
あら、真面目なご挨拶だこと。だが! いままそんな事どうでもいい!
「あの、ソフィア様が気になった物はございましたか?」
するとソフィアの目がチラリと動いた。どうやらネックレスのような首飾りを見たようだ。
「いえ。特には…」
ほら、やっぱり控えめな返事をしてきた。
「私はこのネックレスが良いんじゃないかと」
「あ! やっぱりそう思いますか? で、ですが安物でございますので、聖女様には…」
そんな事を言ったら公爵令嬢のソフィアにこそ似合わないでしょ? でも公爵令嬢だというのに、そう言う慎ましやかなところが良いんだよね!
「いいではないですか! ではこちらは、私とソフィア様の二つ買いましょう! バレンティア卿では無く私が購入いたします」
「そ、そんな。いけませんわ!」
いーのいーの! まずはこういう物で申し訳ないけど、いつか必ずダイヤのネックレスをプレゼントするからね! とにかく! これを!
「すみません。お二つお願いします」
そして俺は店の人に急いで金を払って、一つをソフィアに渡した。
「はい」
「あ、ありがとうございます! 聖女様との思い出を大切にします!」
大切にして! 俺も大切にするから!
するとそこに邪魔者が入った。バレンティアが来て俺に言う。
「それでは皆様お決まりになったようです。次の場所に移動しますので、そろそろ馬車に乗っていただけますと助かります」
「わかった。ではそうしましょう」
そして俺は名残惜しくソフィアに微笑んで、自分の馬車が停まっている所へと歩きだすのだった。
やった! ソフィアと話した! やっぱり美人だった! あの吊り上がったキリリとした目! ツンと尖った鼻と薄い口角の上がった唇。いがったなあ…
俺はだらしない顔をしてしまいそうなのをグッと堪える。周りの目が気になるのと、何よりもミリィとスティーリアとヴァイオレットに示しがつかない。
でもこれで二人のかけがえのない思いでが出来た!
それでも、つい口元が綻んでしまうのだった。




