第273話 地獄のはじまり
部下を叱り飛ばした第三王子のカイトが、俺達に向かい直すと穏やかな表情になっていた。部下には厳しいタイプらしいが、そこらへんは臨機応変に対応できるらしい。そんな仕事出来るアピールされても、めっちゃウゼエので大人しくしてもらっていいでしょうか。
「早速ですが、こちら」
カイトがテーブルの上にトンと、昨日王宮の使用人に渡した傷薬を置いた。
「はい」
「これは誰が作りました?」
するとクラティナが恐る恐る手を上げる。
「あの、はい」
「これはただの傷薬ではないね」
「えっと、作り方はいたって普通の」
「それで、あれほどの治癒力があるわけがない。何か特別な事をしているだろう? 例えば魔力を注ぎ込んでいるとか」
コイツ。そこそこ魔法方面の知識がありそうだ。ならば適当な嘘をつく必要がある。そこで俺が手を上げる。
「よろしいですか?」
「なんです?」
「その薬はとても時間がかかるのです。作る工程で何度も魔力を注ぐ必要があり、何日も何日もかけてやっと一つの薬箱が出来上がる感じなのです」
「やはりそうか。こんなものが、一夕一朝で出来るわけがないと思った」
いやあ。時間にしたら三十秒くらいだったけどね。効率の良い魔法陣をシーファーレンが描いて、俺が聖魔法を注入しただけだから。
「さすが王子様は、見識がありますね」
半分お世辞。
「いや。それくらいは誰でもわかる事だろうね。それよりもその工程を知りたい」
誰が教えるかボケぇ。
「恐れ入りますが、それをお教えしてしまったら私共の商売はあがったりでございます。人より秀でた薬が作れるからこそ、私達は女だけでやっていられるのです」
って作り話だけど。
するとカイトはニヤリと口角をあげて笑う。
「くっくっくっ! ハハハハハ。そのとおりだね、それはすまなかった」
「この世間は女に厳しく出来上がっております故、私達は知恵でそれを切り抜けねばなりませんから」
「面白い事を言う。だがそれはとても大事な事だ。そういう強い女性がいるのは素晴らしい、この停滞した世の中が変わりそうな考え方だね」
そう真顔で言った。
それはそう。この世界はもっと女が活躍できるようになれば、文明が発展しそうな気がする。それだけ男は自分の地位が安泰だと思って胡坐をかいている。それが怠惰に繋がり、世の中の発展の妨げになっている。
だって、この世界の男は馬鹿が多いから。だが…コイツはもしかしたら馬鹿じゃないかもしれない。
「それでこの薬をどうしたいのですか?」
「今の話だと、大量に納める事は出来なそうだね」
「まあ、時間がかかりますので」
いや。そう時間はかからずに大量に作れるけど。
「君らはこの薬をどう思っている?」
「どう? とは?」
「この薬はある局面でとても重要な役割を持つ。こんな軽量で軽いのに、ハイポーション並みの治癒力があるんだ。それがどれだけ素晴らしい事だかわかるかい?」
あ…なるほど。
「兵士が何個も携帯して戦地に行ける。ポーションの瓶であれば邪魔で一瓶か二瓶を持って行くのがやっと、しかも戦いのさなかで割れてしまう可能性がある。だがこれなら箱が壊れても、液体じゃないので流れ出す事もないし、皮の袋に入れても持ち運びができ、その事で多くの兵士達の怪我が治癒できる。すなわち、兵士達の生存率が高まるという事…ですか…。いや、もしかしたら戦局が変わる可能性もあるか…」
するとカインも従者も一瞬静かになる。
俺はふとシーファーレンを見るが、ただ微笑みを返してくるだけだった。
突然カインが言う。
「君、分かってるじゃないか!」
いや、だって…お前の言い草を聞いていたらそうなるだろ。
「はい」
「気に入った。こんなに聡明な女性は初めてだよ」
ミスった。いち薬師が、相手の誘い言葉に的確に答えてしまった。
「あ、いえ。なんと言うか思い付きですけど」
「まあ、大量生産が出来たならという条件が付くけどね」
「それは…難しいです」
「だろうね。こんな高性能な薬がポンポン作れたら、前線ががらりと変わる」
いや、作れるけど。
よくよく考えたら、すっげえアイデアを貰った気がする。これをヒストリアに帰って生産したら、うちの国の騎士団はかなり戦いやすくなるぞ。
「すみません。一つ作るのに、半月の日にちを必要とします」
と嘘の念押しをしておく。
「そうか。でもそれでもかなりいいけどね」
だが、そこでクラティナが助け舟になる言葉を出した。
「あと使える期間があります!」
「どういうことだい?」
「傷薬を保管するのは、半年かそこらです。それ以上は傷んで使い物にならなくなると思います」
「そうか。それだと作り続けなければならないな…」
「はい」
するとカイトが少し考え込んで言う。
「どうだろう。君達は王宮のお抱え薬師になる気はないかい」
は?
俺が言う。
「いえ、あの、王宮のお抱え薬師ですか?」
「君らがいるだけで、兵士達の運用がとても楽になるからね。不足している治癒師の問題も解決する」
まてまて。そんな話になるのか?
「えっと、あの」
「特に君!」
俺を指さしている。
「は?」
「すっごく気に入った。とても聡明で、男顔負けの頭の回転だ。君みたいな女の人が僕の側にいてもらったらとてもありがたいんだ」
はあ? なにいってんだおまえ。殺すぞ。
だがそこでシーファーレンが声を挟んだ。
「あの、いま宿であと四人の仲間がいるんです。彼らも一緒でなければ、それは難しいと思います」
そうそう。その通り。
「なら全員で八人だね。全く問題ないよ、なんなら望む施設を用意して、薬の研究に必要な材料や知識を渡そう」
「な…」
するとシーファーレンがニッコリ笑って、俺に振り向いて言う。
「少し考えてもいいかもしれませんわ。一度お宿に戻ってお話し合いを」
「わかった」
するとカイトがニッコリ笑って、立ち上がって俺に手を差し出してくる。
なに?
なかなか手を下げないので、俺は渋々その手を取った。するとカイトが俺の手の甲にキスしてきやがった。思わず腕の先から全身に鳥肌が走り、もう少しでビンタしてしまうところだった。俺はサっ! と手をひいてしまう。
「これは失礼。一応礼儀だと思ったので」
は、早く手を洗いたい! せめて手袋をしておくべきだった。おえっ!
「わ、わかりました。それでは一度宿に戻って、残った仲間と話をして来ましょう。それでは今日はこのあたりでよろしいですか?」
「いいよ。いい返事を待ってる」
俺が慌てて席を立つと、パンパンとカイトが手を叩き、メイド達がわさわさと入って来た。俺達が連れられて部屋から出る間も、カイトは笑顔を振りまいて俺に手を振り続けている。さっさと部屋を出て、廊下を急ぎ外に出た。すると既に馬車が用意されており、俺達はそれに乗り込む。
馬車の扉がしまった時、俺はクラティナに言う。
「は、ハンカチある?」
「ハンカチ? 手拭いでも?」
「いい!」
俺は手拭いを貰って、カイトにキスされた手の甲をごしごしと拭いた。
「クラティナ! オイルある? 良い匂いのするやつ」
「あ、あります」
俺はその瓶を一つ貰って、手拭いにしみこませて手の甲を拭いた。宿に帰って水洗いするまで我慢が出来なかったからだ。
するとシーファーレンもアンナも嫌がる俺を見て困っている。
「ですが…オリジン」
「はい?」
「マルレーン家を待ち伏せするならば、王宮薬師は絶好の立場かと思いますわ」
「えっ?」
「わたしもそう思う。いつ接触するか分からないまま待つより、直接情報が取れる場所にいるのは良い事じゃないかと思ったが。もし何かあれば脱出すればいい事だ」
確かに…そのとおりだ。思わず、キモ! って思って飛び出して来たけど、言われてみるといい位置につけることができる。
「確かにそうだね…」
「オリジンにとっては苦痛かもしれませんが、これは絶好の機会かと思いますわ」
でもなあ…。
アイツの側にいるのは嫌だなあ。
「アイツ…多分、私を気に入ってたよね」
するとシーファーレンとアンナが申し訳なさそうに言う。
「そのようでしたわ」
「だな」
はあ…。だよね、アイツにべたべたされんの嫌だなあ…。
俺が葛藤しているうちに、マグノリア達が待つ宿屋へ到着するのだった。




