11 付け焼き刃の王女教育
エリオス聖王は、メルケル宰相にカルディナ帝国のアルディーン皇太子にジェラルディーナ・ジニー姫を迎えに来るようにとの書簡を至急に送れと命じた。
「しかしながら、ジェラルディーナ・ジニー姫には教育が必要ではないでしょうか? あのままカルディナ帝国に嫁がれたら、サリオン王国の面目が潰れます」
恥になるとは、父親のエリオス聖王の前で何度も口にするのを控えたが、二年ぐらいみっちりと花嫁修業をさせてから、カルディナ帝国に嫁がせる方が良いと箴言する。
「ジジがこの王宮に留まると、エリザベートの機嫌が悪くて困る。それにアンジェリーナも可哀想だからね」
メルケル宰相は、エリオス聖王が言葉通りに王妃や娘のご機嫌を取るだけの馬鹿王なのか? それとも何か訳があってジェラルディーナ・ジニー姫を早く嫁がせたいのか? と判断し難く思い美しい顔を眺めるが、何も読み取れない。
「アルディーン皇太子をフローレンスまで呼び寄せなくても宜しいのでは? 油断できない相手ですし」
「何を言うか! 娘を嫁がせる相手だぞ。私の義理の息子になるのだし、顔ぐらい見ておかないと駄目だろう」
……それに、サリオン王国を滅ぼす相手を見ておきたいではないか……
何故か、メルケル宰相はゾクッと悪寒がした。軽薄な口調のエリオス聖王の紫の瞳が神秘的な光を帯びて見えたのだ。
……何を考えておられるのか? ジェラルディーナ・ジニー姫をお迎えになる前は、数年は此処に留めておくと言われていたが……
昨夜、何があったのか調べる必要があると思いながら、聖王の前を辞したメルケル宰相だった。
「メルケル宰相には苦労をかけているな。こんなに苦労をかけているのに、全ては無駄になるのかもしれぬ。カリエス聖王の邪眼を受け継いだ者が、サリオン王国を滅ぼす! 下らない伝説だと思っていたが、まさかジジが……」
ジジのことは可愛いと思うが、邪眼を受けついだ者を自分の側に置いておくのは苦痛に感じる。サリオン王国の国としての命運が尽きかけているのは、エリオス聖王にも分かっていた。たがしかし、目の前に滅びの印が現れると、やはり本能的に排除したくなる。
「あのボーエンフェルト侯爵に甘やかされて我儘に育っているヘリオスは、聖王の座に就くことはないのか? 憐れなことだ。そうだ! 母親の愛情を受けずに育ったアンジェリーナだけでも、平穏に暮らせる道を見つけてやりたいが……」
昨夜、ジジを害して危機を回避できるのか? エリオス聖王は、非情な考えも巡らせたのだ。しかし、それはカルディナ帝国に楯突く結果になり、どちらにせよサリオン王国の滅びの元になりそうだ。それなら、ジジを害さずに嫁に出した方が時間が稼げると、苦渋の選択をした。出来るだけ穏やかにサリオン王国の幕を引きたいと考えたのだ。
「ジジに礼儀作法も少しは教えておかなければな……アルディーン皇太子がどう思おうと知った事ではないが、あのままではジジが恥をかくだろう」
跡取りのヘリオス王子が成人したら、媚薬どころか毒を飲ませそうなボーエンフェルト侯爵を呼び寄せ、ジジに礼儀作法を緊急に身につけさせよと命じる。ジニーを死に追いやる原因を作った侯爵に、このくらいの意趣返ししかできないが、少しは胸のつかえが取れた。
「緊急にと仰られても、あの訛りは相当きついものですし……それで、期限はいつぐらいなのでしょう?」
聖王が若き日の過ちで作った姫などサッサと成り上がり帝国に嫁に出したいのは山々だが、その教育を自分に振ってきたのに困惑しながら尋ねる。
「メルケル宰相にアルディーン皇太子への書簡を用意させている。至急に花嫁を迎えに来いとな……エリザベートの機嫌がこれ以上悪くなると居心地が悪くて仕方ないのだ。そちからも少し言い聞かせてくれないか?」
王妃となった娘に説教してくれと頼まれて、ボーエンフェルト侯爵は汗をかく。
「それは……あっ、ではカルディナ帝国からアルディーン皇太子が来られるまでに教育をしなければならないのですか? それは少し難しいと思うのですが……」
「そうだなぁ、訛りは直ぐにはなおせないだろうし、私は可愛いと思うから良い。しかし、礼儀作法はもう少し身につけさせないと、あの子が恥をかくだろう。ジジは賢い娘だから、その程度ならじきに覚えるさ」
とても賢そうには見えなかったとはボーエンフェルト侯爵は口に出来なかったので、王妃の部屋で盛大に愚痴ることになった。
「あんな山出しの姫をどう教育すると言うのだ!」
憤懣を口にする父親のボーエンフェルト侯爵とは違いエリザベート王妃は、ご機嫌で笑う。昨夜、久々に聖王の訪れがあった時に頼んだ通り、目障りな姫を野蛮な帝国へとサッサと追い出してくれるのだ。
「まぁまぁ、お父様! ユング伯爵夫人がどうにかするでしょう。この王宮にあの娘が居なくなるとは……ほほほ……エリオス様は私の言い分を聞いて下さったのだわ。お父様も、あんな山出しの姫に関わる必要など御座いませんわ」
今朝の王妃は、プラチナブロンドを高く結い上げたカツラに、竜の模型を飾っていた。ジジが見たら馬鹿げたカツラだと呆れただろうが、その竜が笑いの反動でユラユラ揺れる。
「そうですなぁ、あんな下賤な姫の事など私が関わる必要はございません。それにしても今朝のエリザベート様は、お美しくていらっしゃる。眩いばかりです」
王妃の機嫌が良いと、父親のボーエンフェルト侯爵も嬉しくなる。元々、山出しの姫の教育など興味がないので、ユング伯爵夫人に任せっきりにする。
「なんや、この拷問道具は!」
アリーとマーニャは、ジェラルディーナ・ジニー姫にドレスを着せる為のコルセットを付けるところから難航していた。そこに王妃から至急に礼儀作法を教えるようにと命じられたユング伯爵夫人が現れる。
「まだお着替えもされていないのですか! お前達、さっさと身支度を終えなさい」
朝から優雅に髪を結い上げているユング伯爵夫人の眉がきりきりと上がる。
「あっ、ええところに来てくれた。この人らがウチに拷問をしようとしとるんや。止めさせて」
酷い訛りにウンザリしたが、そこは手を付ける暇もない。
「それは拷問道具では御座いません。ウエストを細くするコルセットと申す物です。それに、ジェラルディーナ・ジニー姫は姿勢が悪くていらっしゃるから、コルセットで背筋が伸びますわ」
ぎゅと締め付けられて、ジジは酸欠になりそうだと愚痴る。
「まぁ、用意したドレスは大きそうですわね。お前達、直ぐに縫い縮めなさい」
「なぁ、ドレスが大きいのなら、こんなコルセットとかやらで締め付けんでもええんやないかなぁ」
二人がウエストや胸の辺りをザッと縫い縮めている間、コルセットの上にガウンを羽織ったジジは、行儀悪く椅子の上で胡座を組んで、ユング伯爵夫人に頼み込む。
「何を仰るやら……ウエストを細く見せるのはレディの嗜みですわ。それより、お暇でしたらこの本でも読んでおいて下さい」
パシッと胡座を組んでいる脚を扇で叩き、分厚い歴史の本を渡す。家庭教師を部屋に通そうにも、こんな身なりでは勉強も始められない。
イテテと脚を床に下ろして、渡された本を開いたジジは「難しい文字ばかりや」と顔をしかめる。
「まさか文字を読めないのですか?」
「いやぁ、少しは習ったけど……こんなにぶ厚い本を読まんといけんのか?」
礼儀作法もだが、教養もないと、ユング伯爵夫人は気絶したくなった。しかし、カルディナ帝国からアルディーン皇太子が来られる前に、どうにか姫君に見えるようにするには、気絶している余裕は無いのだ。
付け焼き刃の王女教育は、ユング伯爵夫人にとってもジジにとっても困難な道のりになる。




