末節 丘の上の彼方
その後の話。
(字数:1,567)
おそらくハナは、十一視蝶の一斉の羽化に遭い、大量の鱗粉を全身に浴びたのだろう。
脇腹の大きな傷が、ふさがらないままふさがったことになっていたのも、他にも全身に裂傷や打撲の痕が見られたのに骨や内臓の異常がなかったのも、考えられる理由はほかにない。
おかげで、翌日にはエルヴルを発つことができた。
フィオールを連れて。
王宮はおろか、エルヴルの市街にも、やはり誰も残ってはいないようだった。
晩餐の支度を整えたまま、人々はどこかへ消えていた。
フィオールと同じように《丸薬》を飲んでいなかった者が残されているはずだったが、通りを歩いているだけでは見つからなかった。
フィオールの所持している蛹の数にも限りがあり、十一視蝶の成虫の短い寿命を考えると、あまり悠長にもしていられなかった。
疾師であるウルウァのことや、アーシャの《落果病》のことを話すと、フィオールは自分からハナについていくと言った。
エルヴル(ここ)に残ってもできることはないし、いるべきではないからと。
行きよりも十日ほど余計にかかりながら、ハナはフィオールと、無事に疾師の棲家まで帰りついた。
◇◆◇◆◇
屋敷のある山のすぐそばに、木のない開けた高台がある。
そこを通りかかる道を選んで、陽が沈む前にどうにかたどり着いたとき、頂上に士人の姿を見つけた。
数十日ぶりに見る彼は、またいつものようにくちばし型の面鎧をつけて、利き腕には包帯を巻いていた。
半袖の軽装で、見える部分には他に火傷の痕もなく、五体満足で平然としているように見えた。
彼は包帯をした手で鎌を持ち、草刈りをしていた。
丘をのぼっていくと、その彼の足もとに、二つの石積みが並んでいるのを見た。
ハナは引いていたフィオールの手を離すと、猛然と走りだした。
彼の大きな腹に全身でぶつかっていった。
取りついたまま、ハナはあらん限りの力で彼を殴りつけた。
何度も、何度も。
「なんでっ……なんで、連れていったんですか! どうしてっ……!」
――助けられたかもしれないのに。
こぶしの中で爪が皮膚に突き刺さる。
それでもかまわず、絶えず打ち続けた。
ハナごときの力ではよろめかせることさえできなかったが、彼は押し返すこともせず、ただ黙っていた。
黙ったまま、その大きな体で延々と受け止めていた。
「うぅ……ぐぅぅうっ……ッ!」
やがて、嗚咽をかみ殺す力の方が強くなる。
しびれて動かなくなった手と腕ですがりつき、額を打ちつけたのを最後に、膝から崩れ落ちる。
わかっていた。そんなのは嘘だと。
ただ悔しかっただけ。叶えたかっただけだった。
「……エルヴルよりも早く朝日を見て、長く夕暮れを眺められる場所」
そよ風の合間に声がして、ハッとする。
涙もぬぐえないまま振り返ると、そこに旅姿のフィオールが立っていた。
彼女は石積みのそばで、まぶしそうに夕陽を眺めていた。
やがて士人の方を見あげると、温かく目と口をほころばせた。
「あなたが、ここへ連れてきてくれたの?」
「……」
士人は答えない。ただ静かに見つめ返す。
フィオールは「そう」と言って頷き、二つの石積みに目を落とした。
「いつか行けたらと、イズンに話したことがあったの。イズンは、きっと自分が代わりに見てくるからと、約束してくれたわ」
遠い日を偲びながら、かがみ込み、石積みのそばの土をなでる。
するとまたふっと顔をあげ、ハナにも無邪気そうな笑みを見せた。
「このお墓、できたばかりねえ」
「あ……」
息が漏れる。
どうしようもなくあふれ出していく。
夕陽の熱を頬に感じながら、溶けていく視界の中で、黄色い花が輝いている。
かたわらには、羽ばたく小さな青い蝶。
金色の髪を風になびかせ、その人は立ちあがる。雲のない空よりも晴れやかに微笑んで、宵告げの鳥たちよりもほがらかに、彼女は詠った。
「さあ、お葬式をしましょう?」
第四章『ベルーデル』――
――了
明日昼頃次話投稿予定。毎日更新中。
完結まであと2回。
最終話投稿は日曜正午の予定です。





