幕間・N
いつか――
(字数:1,000)
小窓から、明るい色の月が見えていた。
――ハナちゃん。旅に出ましょうか?
やさしく揺り起こされ、耳元でささやく声を聞いた。
自分は寝ぼけまなこで、否定的な返事をした気がする。
すると苦笑交じりに、ハナだけここに残ってもいいんだと、あの人は言った。
――ハナちゃんは、ここが好き?
――……うん。
――本当?
――うん。
――じゃあ、まだここにいましょうか。
離れていく気配。
おもむろにベッドから抜け出し、枕を小脇に抱えあげる。
眠い目をこすりながら、上がり框に人影を見つけて、うしろから声をかけた。
――しーしょ?
――あらあら。なあに、ハナちゃん?
――しーしょは、ごはんどうする?
――ごはん? フフフ。そういえば久しぶりね、自分で作るのは。まあ、きっと大丈夫よ。
――じゃあ、いっしょに行く。
枕といっしょに彼女の腕の中に倒れ込む。甘い香りの中で目を閉じる。
――しーしょ、ごはんヘタクソだから、ハナがいないと……せんたくも、おそーじも、おかいものも、ぜんぶハナが……。
――ダメよ、ハナ。
揺り起こされる。強く揺り起こされる。
そっと肩を抱かれ、框の上に立たされていた。
――ハナには、ハナの行きたい場所があるでしょう?
――行きたい場所?
――そう。どこへ行きたい?
――ハナは、師匠のそばにいたい。
ハナがはっきりとそう答えた。
自分の意思で選んだ。そのつもりだった。
けれど、あの人は首を振った。
――いつか帰ってきたい場所にならね、なってあげられる。けどあなたには、もっとずっとたくさんの世界を見てきてほしいの。こんなに立派な体を、あの人にもらったんだから。
あの人が立ちあがる。
立ちあがったのに、目線はハナより低いままだ。
いつ彼女を追い越したのかは思い出せない。
彼女の手は、いつしか自分の手の上に重ねられている。
――あなたの手……これはあなたのためのもの。あなたの足は、あなたの見出した場所へ行くための、あなただけの妙薬。
そして離れ、ほどけていく手のひら。
雪でできていたかのようにはらはらと崩れ、風に乗り舞いあがっていく。
――大丈夫。きっと見つけられる。
一つ一つのかけらは灰色の蝶のかたちをして、淡く仄かな輝きを粉にして散らしていく。
――だから、ね?
追うように手を伸ばして、その指先に一羽だけが、ひらひらと降りてきて。
――あなたの目であなた自身を診極め、あなたのために処方なさい。
遠ざかっていく灰色の瞳が穏やかに微笑んで、光の中へ消えていった。
明日昼頃次話投稿予定。毎日更新中。
完結まであと4回(3日)。





