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第四章・第二節<前> 玉座と樹の王

【前回のあらすじ】

 連れ立って王宮へ帰還した王配フォルストと士人を、ベルーデルとともに迎えるハナ。

 聞けば、穀倉庫の視察に向かったフォルストがそこで崩落事故に遭い、倉庫に閉じ込められていたところを士人に救出されたということだった。


 都合の良すぎる展開にハナはいぶかしむも、フォルストがハナも知らなかった士人の本名を知っていたことで、新たに並々ならぬ戸惑いを覚える。

 しかも、フォルストが士人を英雄と讃えていることに乗じて、ベルーデルが彼を婚約者に推薦したいと言い始め、ハナの動揺は極致に達する。


 幸い、士人がフォルストに「自分の望み」について話をするのを急かしたために、その場は収まったが、ハナは胸のざわつきを抱えたまま、士人と二人きりでフォルストの手が空くを待つこととなった。

 ベルーデルとはここで別れた――



(字数:9,513)

(この節は2万字級のため、前・後編に分かれました)

 

 兵士たちに案内された先は、ベルーデルの部屋と同じ階にある大広間だった。

 一つ上の最上階まで吹き抜け構造になっていて、アーチ状の天蓋はガラス張りだ。三角形の網目から、濃く紫がかりだした空と早起きの星々とが覗いている。


 広間には灯りがともされておらず、蝋燭(ろうそく)だけでは暗いだろうと、兵士が炬火(トーチ)を一つ持ってきて(しょく)(だい)()していった。

 壁に沿って立派な(とう)(ろう)が並んでいたが、そちらにはすぐに火をつけられる用意がされていないらしかった。どうやら普段から使われていない部屋のようだ。


 近くに腰かけられるような物も見当たらず、ハナたちは燭台のそばの壁に並んで背を預けていた。

 ハナが火の近くに立ち、士人は明かりの届く輪のちょうど端のあたりに立っている。二人の間は一人分ほどあいていた。


 そんなに離れては寒いのではないかとハナは心配したが、かつて彼からお玉杓子(レードル)をもらったときのことを思い出す。

 ハナが話をしたいと言い、路地裏へ入り、彼が姉のために秘薬・アムリタを探していることを教えられた。そのときも確か、彼は今くらいの距離から近づいてこようとしなかった。


 思えば、面と向かって彼と話をしたのもあれが最初で最後のことだ。

 そして彼のことを『士人(ミスター)』と呼び始めたのも、あのとき以来だった。


「女王陛下とお会いしました」


 ハナはひとまず、彼が外にいた間のことを報告し合うつもりで沈黙を破ってみる。


「王宮の奥の、半地下の離れのようなところにいらっしゃいます。ベルーデル様と同様、大量の十一視蝶(テュクロプシア)といっしょに暮らしておられました。どうやら、ご懐妊なさっていて、お部屋から出られることは滅多にないようです」


 そこまで話して、横目に彼の様子をうかがった。

 顔は半ば暗がりに入り込んでいるが、夜目のきくハナにはかろうじて横顔が観察できる。

 目線はあいかわらず向かいの壁ばかり眺めているようだったが、静かに耳を傾けているものと見て、ハナは続けた。


「《落果病》の治療に有用そうな情報は、今のところ見つかっていません。ただ、気になることは多くって……」


 ハナは、ベルーデルとイズンがともに致命的な持病を抱えていることから話し始めた。


 彼らはその発症を抑え込むために、万能薬に等しい十一視蝶の鱗粉を利用している。

 一方、同等以上の効果を見込める《王家の丸薬》は、妊婦禁忌の性質が強すぎるため使用していない。

 国民がその毒性に目をつむって常用していても、王族の彼らが使わない理由は、一つには独特な世襲のしきたりがあった。


 エルヴル王室では、王女が女王になる前に、自身の世継ぎとなる女児を産み落とす必要がある。

 そしてその条件が満たされ次第、王女は女王へと即位する。


 これだけ聞かされれば、いつ出産に成功するのか見当もつかなくなる《丸薬》の服用が、王宮にとって非常に都合の悪いものであることは理解できる。

 国民からしても、いかに()()()()しているとはいえ、自国の管理者たちが死産を繰り返すのではさすがに陰鬱としてくることだろう。


 王女だけに関して言えば、それでだいぶ納得できる部分はあった。しかし――


「じぶんは、女王への即位に合わせて、鱗粉から《丸薬》による治療に切り替えていくものだと考えていました。しかし実際の現陛下、イズン様は、未だに鱗粉の舞う部屋にいて、しかも第二子をご懐妊なされている。単にイズン様が個人的に《丸薬》を嫌われ、かつ二人目を望まれただけということもありえますけど、釈然とするにはいまいち……」


 ハナはそこでいったん口をつぐんだ。

 掘り下げるには情報が足りない。できればイズンともう一度話がしたい。


 だがそれを伝えるべき相手は士人ではなかった。だいいち、アーシャの治療とはまったくの関係のないことかもしれないのだ。

 士人は黙っていてもうわの空ではなく、確かに聞いてくれている気配を発していたが、そんな彼に甘えて時間を稼いでいるような自覚もハナにはあった。


「それで……そちらは外で何をしていたんですか、ドリューさん?」


 間を持たせられる材料も尽きたことで、ハナはようやく思い切ってたずねかける。


 彼のすべてを話して聞かせるというアーシャとの約束がある以上、見ていない間に何があったのかは、訊いておかないわけにもいかない。

 ただ、自分でもわかるくらいに緊張しているせいか、自然と語気に厳しさが溶け出しているような気がしてならなかった。


「別に、何かを疑っているわけではないんです。お風呂のことも、その、気にしてませんし。ただ、本当に帰ってきたのが驚きで。それも、王配殿下といっしょに……」


 責めるような言い方をしたくない気持ちとせめぎ合って、どうしても言い訳がましくなる。

 こんなたずね方は卑怯だ。うつむき加減でそうやって自分をののしって、首を振って、結局どこまでも意を決せない弱虫なんだなと、もう一度自虐する。


「人助け……ですよね? 十一視蝶のことをたずねに、王配殿下のところへ自分から出向いていって、偶然事故の現場に行き当たっただけ。――そうですよね、ドリューさん?」


 結局また、すがるようだった。

 こんなものに応えてもらえる義理なんてないのかもしれない。


 けれど、それでも関わりを持とうとするハナの今出せる精一杯だったから、せめて気持ちだけでもあやふやでないことを伝えたくて、もう一度彼の顔を見あげた。


 彼も見あげていた。


「……ドリューさん?」


 見あげている。

 真上を。まっすぐ上を。


 腕組みをして、全力であごを反らし、仰角を最大に、目線は可能な限り垂直に。

 ガラス張りの天蓋越しに、宵の口で密度の低い星空をじっと眺めている。


 何かあるのかとも思えるが、実際は何もない。要するに、そこには何もない。

 夜目には自信のあるハナが真剣に目をこらしてみてもやはり何もない。


 名案だった。実に。


 彼より背の高い人間などそういるものではない。人間はおろか獣でも彼ほど巨大な例は稀だ。

 上を向いた彼と目を合わせたければ翼を生やすか、どこでも登れる毛のはえた腕にでも付け替えるよりほかにない。

 たとえ殴っても蹴ってもおそらく効き目はない。ハナなどでは当然手も足も出せない。


 どんなに都合が悪くなっても、上を向いてしまえばそれまで。

 なるほど、名案だ。


「あっ……あのっ……!」


 ハナは慌てて彼のそばへ踏み込んだ。もう躍起になって訴えかけるしかなかった。


「仮に、偶然じゃなかったとしても、とやかく言うつもりなんてなくて。そんな筋合いはないですし。だって、じぶんは追いかけられなかったし、待ってもらえる理由もなかったのに。ただ――」


 まだ迷いはある。

 約束は、アーシャとだけのもの。彼と自分の間には本当は何もない。


 それでも、手放したくはなかった。

 何もなくても、何もできないなんて、思いたくなかった。


「できるだけ、ドリューさん、本当のことを知っておきたいんです。あなたのこと、何でも……」


 彼は微動だにしない。

 岩のようにまばたきもせず、星と星の間をじっと見ている。


「ドリューさん……聞いていますか? あ、あの……」


 まさかその姿勢のまま眠っているのではないかというあらぬ不安にまで駆られて、ハナは思わず彼の二の腕を両手でつかんだ。

 途端に指の下で豊饒(ほうじょう)な筋肉がほとんど破裂したように激しく震えるのを感じ、ハナは慌てて手を離す。


 だが同時に、なにやら風の通じる道を探し当てたような予感がした。

 おずおずともう一度、触れるか触れないかの距離まで慎重に身を寄せ、遠慮がちに言葉を選んだつもりで問いかける。


「名前で呼ばれるの、お嫌いですか、ミスター?」


 彼が下を向く。


 琥珀色の小さな双眸がいっぱいに見開かれている。

 やや血走り気味に潤んでいて、怒っているようにも驚いて絶句しているようにも見える。


 ハナが静かに見つめ返していると、彼はずっと組んでいた腕をほどいた。

 ハナの顔よりも大きなその手がゆっくりと迫ってくる。

 ハナはいつかの首筋の痛みを思い出し、思わずぎゅっと目を閉じる。


 近づく手の気配は、しかし頭の上でピタリと止まった。

 いつまでたっても何も起こらないことをハナが訝しみ始めた頃に、やがて気配が遠ざかっていく。


 おそるおそる目を開けて見あげ直すと、彼はハナに伸ばしていたはずの手を自分の頭にやって、帽子を脱ごうとしていた。


「みす――ゎぷっ」


 口を開きかけたところで、目の前が真っ暗になる。

 古い布の匂い。埃と汗の染み込んだ。


 ほとんど投げつけるようにして前からかぶせられたそれをはぎ取る。

 さっきまで士人の頭の上に乗っていた、つば長の黒帽子。

 持ち主の姿はすでにハナの目の前になく、なぜか部屋の奥の暗がりに向かって歩き始めていた。


 その背中を呼び止めるでもなく呆然と見送りながら、ハナは心の中で独りごちる。


(嫌いというほどではないけど、苦手……みたいな?)


 いずれにせよ、名前で呼ばれないことは、彼にとって誰かとのへだたりを覚えるほどのものではない――のかもしれない。


 中庭でフォルストが彼を名前で呼ぶのを聞いて以来、いや実際はおそらくもっと以前から、ハナの胸の奥底では焦りと不安に似た何かがくすぶり続けていた。

 彼を自分だけの敬称で呼ぶのも、大人扱いするのも、結局は言い訳を作っていただけなんじゃないかと自問する気持ちが常にどこかにあったのだけれど、たった今、唐突に、そんな諸々をすべて許されたような心地がした。


「……聞い()おれん()()


 不意に、近くで声がする。すぐそば、下の方だ。


 清涼なのに(ねば)つくような甘たるさをも孕む声音と、耳慣れない(なま)り。

 かすかにくぐもって響くその声がどこからしうるのかを思い出して、ハナはドレスの上からももに手を置く。


「疾師様? いらしてたんですか?」

「ウルはずっとずぅぅぅぅぅっと、ここでこうしてこのやんごとなき鼓膜を貸しちおるわ」


 いつもより輪をかけて気だるくてしょうがないといった声を、この場にいないウルウァの代わりに、《連理病》に罹患したまま死んだ仔水牛の頭骨が垂れ流す。

 眼窩(がんか)に紐を通したそれを、ハナは膝の上に縛りつけてスカートの下に隠し持っていたのだった。


「おんしはまっこと(ほんとに)(はな)()らしじゃのぅ。もはや(ちく)(のう)脳髄(のうずい)()だっちおるかゃ? 確かめねばならんことがもっと他にあるじゃろうに。小僧の気色悪い呼び名なんぞどうでも()いわ!」


 侮蔑に満ちた口ぶりはあいかわらずだが、珍しく()(たん)のない怒りがこもっている。よほどしびれを切らす要素がどこかにあったらしい。


 なだめるべきかどうかハナが迷っていると、今度は士人が部屋の奥から引き返してきた。


 彼がウルウァとの会話の手段を知っているのかどうか不明だが、見た目にはハナが一人で話しているかのようだったに違いない。

 しかし目もくれず、彼は燭台に挿してある炬火(トーチ)に手を伸ばした。

 おもむろにそれを引き抜くと、また何も言わずに再び奥へ向かい始める。


 暗闇で一人居残っているわけにもいかず、ハナもあとを追った。


 広間は長方形で、灯篭は二列になって長い方の壁と平行に並んでいた。

 列が突き当たる短い方の壁際は、手前から短い階段がついて、舞台のように高くなっている。


 その一番高いところにもやはり灯篭が二つ並んでいて、間のちょうど真ん中になる位置に、肘かけのついた立派な銀張りの椅子が据えつけられていた。


「これ……もしかして、玉座でしょうか?」


 誰ともなく問うかたちで、ハナは印象を口にする。


 つまるところこの広間は、王位にある者が王宮の外の者と言葉を交わす謁見の間ということのようだった。

 それがまるで使い込まれた形跡がないところを見るに、エルヴルの女王はやはりあの氷室のような部屋から出ることがないと言っていいのかもしれない。イズンはもとより、歴代にわたって。


 先に壇上にあがった士人は、しかしその椅子のそばを素通りし、壁際で炬火を高く掲げて壁の方を大きく照らした。


「!? これは……!」


 驚いたハナが声をあげる。


 玉座が背にしていたもの。それはおそるべき巨大さの浮彫細工(レリーフ)だった。


 粘土か漆喰のようなもので塗り固められた壁面いっぱいに、それはあしらわれている。

 吹き抜けに沿って天井に届きそうな高さまで、不規則で複雑な網目模様が描かれていた。

 一見すると生きものの血管じみてもいたが、扇状の広がりから樹木の枝をも連想させる。

 逆に下へ向かってすぼまって、すべてが一本の巨大な幹へと収束していた。


「……ガオケレナ」


 ハナはハッとさせられた。つぶやいたのは自分ではない。

 石臼(いしうす)を回したようなその低い声を聞き、ハナは石の樹の根元にたたずむ少年を見やる。


 幹と並ぶほどたくましい肉体を抱えた彼もまた、一心不乱にその大樹を見あげていた。

 そのうしろ姿に、ハナは何か(はや)るような気持ちのにじみを感じ取る。


「ミスター、知ってるんですか?」

「霊樹ですよ。《真白きガオケレナ》」


 (いら)えは目の前ではなく背後から。


 ハナが振り向くとそこに、明るい色のひげを蓄えた大柄な男性が立っていた。

 取っ手のついた燭台を提げ、蝋燭を一つ立てている。

 中庭で着ていたマントは脱いでいて、灯火(ともしび)に銀ボタンの照り返る胴衣(ヴェスト)姿だった。


「王配殿下……」

「フォルストで結構ですよ、薬師のハナ殿」


 声色が緊張あらわだったハナに、エルヴルの王配、フォルストはやんわりと微笑みかける。

 この国の民らしい、柔和な笑みだ。


「こんな場所でお待たせして、申し訳ないことではありました。ただ、ここならそう水入らずでお話しできると思いましてな」


 フォルストはそう言うと、ハナの頭越しに大彫刻(レリーフ)の方を見あげた。


「ガオケレナは、神話の中だけに登場する、聖なる植物たちの王です。《天海》、ヴオルカシャの中心にある《薬草の島》を統べるものであり、ありとあらゆる病を遠ざける『癒しの大樹』とされています」

「あ、天海思想……」


 その言葉を思い出し、ハナは振り返る。

 士人はまだ飽くことなく、偉大な樹の(こずえ)を仰ぎ続けている。


「伝説によれば、この世すべての癒しの植物は、この樹の実から生まれるのだとか」とフォルスト。


「その実は重く、《薬草の島》から転がり落ちたものは天海を突き抜け、地上のどこかに落ちてくるのだそうです。流れ着いたその場所には、あらゆる薬草と薬木の茂る楽園が出来あがると言われています」


 聞きながらハナは、まるで自分の生まれ育った薬師の里のある谷のようだと思い至る。

 あんな辺境に里を(ひら)いた最初の薬師たちは、その伝説を知っていたのだろうか。


 そして石壁の中のガオケレナを見あげる士人もまた、きっとどこかで同じような話を聞いた。

 あるいは探しているのは、空の上にある大樹そのものか。


「エルヴルは、ガオケレナの広き枝葉の真下に作られた国と信じられています。その真白き輝きに照らされている限り、民は病と生涯無縁であり、疲れを知らぬ兵たちは尋常ならざる鍛錬をこなし、一騎当千たりえるのだと。――我らの兵団長殿とは、すでに会われましたかな?」

「ヘイゼルさん、ですか?」


 問い返しながらハナは、城門前の衛兵たちが、体躯も膂力(りょりょく)も破格の士人をたった三人で押し戻していたことを思い出していた。


 同時に、入城したハナたちの近くに控えるように言われながら、ベルーデルを見て逃げ出した衛兵のことも。

 フォルストの話を素直に受け止めれば、あののんきそうな衛兵でさえ、常人には耐えがたい鍛錬を日々飄々(ひょうひょう)とこなしているということになる。


 約束された精鋭たち。

 思えば無病長寿を限りなく謳歌する国など、外部から侵略し簒奪(さんだつ)しようという勢力が現れない方が不自然だった。


 その(まも)りの長たる兵団長、ヘイゼル。

 他の衛兵らと変わらぬ若さでその地位を与えられたのは、ただ人より二本多い腕のためだろうか。


 フォルストは首肯する。


「彼女の腕は、生まれついては二本でした。しかし自ら望み、若くして死んだ母親の腕を肩に受け継いだのです」

「まさか!」


 ハナは目を見張った。


 人体の移植(うえうつし)について薬師のハナの知識は聞きかじり同然だったが、それでも(わん)()の移植がほとんど成功しないものであることくらいは知っていた。

 しかも()()()()()のではなく、新しい腕を繋ぐ肩関節の造設からやってのけたというのは、もはや人智を超える離れ業だ。


「エルヴル王家の源流は、針と糸、そして刃物にて人を治療する『(そう)()』の家系だったと言われています。初代女王はその技術を家臣に伝え、さらに王宮の兵たちによって連綿と受け継がれてきました。ヘイゼルの父親も、そしてヘイゼル自身も、優れた兵士であると同時にエルヴル随一の瘡師でもあった。母親の腕をつけたあと、さらにヘイゼルは自前の四肢と背骨を伸ばす施術をも立て続けに受けていました」

「どうして、そこまでして……」


 施術の難度というのは、単なる技術の問題では収まらない。


 人体の改造の負荷は当然すべて施術される者が受け止めることになる。

 それが非現実的で強引なものともなれば、人体の側が耐え切れなくなり崩壊のおそれが顕著になる。


 腕の増設も骨の延長も、とても想像がつかないような痛みに長期間見舞われたことだろう。常人であれば何度廃人と化してもおかしくないほどに。


「私も一度、施術前の彼女を説得しようと、たずねたことがあります。《丸薬》があれば施術で死ぬことはなくても、壮絶な痛みまでは抑え切れません。彼女はイズンの守護者を志望しておりましたので、それがイズンのためであることはわかっていました。しかし、そこまでする必要はないのではないか。そうたずねると、彼女はこう答えました――できるから、するのだと」

「……」

「そう言われてしまえば、否定できる者はエルヴルにはおりません。《王家の丸薬》。ひいては、ガオケレナの加護。それらが実際に彼女を守り切ることを、私も確信せざるを得ませんでした。でなければ、こうして玉座の背面に描き、讃えている意味も見失っていたことでしょうから」

「ゆえに玉座に姿なしかゃ。なかなか()()()()()()()()()()()()(やく)(ぐる)いの()(ぞく)どもよ」


 ねとつくように甘い嘲弄(ちょうろう)が広間に響く。


 その場にいる全員が声のした方を振り向く。


 ハナも慌ててドレスの裾を握る。

 「疾師様!」と小声でいさめたが、布の下から「()い。王配の目にさらせ」とあえて周りにも聞こえるような声で言い返された。


 不安に思いながらも、ハナは仕方なくスカートをめくり上げ、内股に結んでいた紐を外す。

 驚いているフォルストの目の前に、手のひらに乗せた水牛の()の頭骨を差し出してみせた。


「ハナ殿、いったい今の声は……」

「ここじゃ、入り婿(むこ)


 濃い藍色の大きな目がさらに見開かれて頭骨を凝視する。

 言葉を失っている彼に、ウルウァは言った。


「我は唯一随一なる(しつ)(しょ)()害医(そこない)のウルウァ。よきにはからいゃ、エルヴルの王婿(おうせい)よ」

「そこない……? ――よもや、疾師様!」


 フォルストが声をあげた途端、ハナは蝋燭の火が線を引くように下へ落ちるのを目にした。

 すみやかにひざを折って床についたフォルストが、燭台を持たない手を胸に置き、こうべを垂れる。


「フォルスト様……!?」

「弟子が世話になったようじゃのぅ、入り婿よ」

「でしぃっ!?」


 呆気に取られていたハナの口から変な声が飛び出す。

 さすがに聞き捨てならなかったが、フォルストが顔をあげないので抗議までは喉から出てこない。

 人柄か器の大きさゆえか、彼はハナが何か仕かけを使って一人で茶番を演じているなどとは露ほども疑わない様子だった。


「お弟子の方々でしたとは思いも寄らず、ご無礼を致しました。エルヴル国女王配婿(はいせい)として、お詫び申し上げたく存じます、疾師様」

「かまわん。薬師になりたいなぞとほざきよる洟垂れの愚弟子じゃ。甘やかさず相応に扱うぞに」


 勝手に弟子扱いされたうえにずけずけと貶められる。

 ハナは頬を引きつらせながらも無視で通すことにして、ひざまずく王配に向き直る。


「フォルスト様、疾師様をご存じなのですか?」

「はい。お目にかかるのは初めてでございますが」

「目にはかかっちおらんがのぅ」


 ウルウァが無駄な揚げ足を取る。

 フォルストは顔をあげたが、鼻白んだ様子はなく、依然落ち着いて神妙な面持ちだった。


「エルヴルの初代王配より受け継いできた、王配の手引書の末尾にあるのです。疾師に大恩あり。いつかゆかりのある方が訪れるときなど、うやうやしく迎えよと」

「ふん。律儀なもんよ」


 ウルウァが面白くなさそうに鼻を鳴らす。ゆかりある者どころか、自身がその大恩を貸した疾師その人であるかのような物言いだ。


 ハナは混乱する。直感的に見かけの年齢が信用ならないとは感じていたものの、はたしてウルウァは何歳なのか。


「手引書は初代女王からの指示書でもあるじゃろう。迎えよだけかゃ?」

「はい。無論、ご用向きは承ろうと心得ておりますが……」

「……臆病者め」


 そうウルウァの毒づく声はやけに小さくかすれていた。

 ハナにはなぜかそれが、この場にいる誰かに投げた言葉ではないような気がした。

 いずれにせよ、ハナ以外の耳にははっきりと聞こえなかったらしい。


「その用向きはすでに小僧から聞いちおるな、入り婿よ」

「やはり、疾師様のご用命でしたか。しかし……」

十一視蝶(テュクロプスチョウ)は国を囲む防壁の外に出せん、か。それはおんしらの采配ではなく、《呪詛》の現界域(げんかいいき)がそこまでちいうことよねぁ」

「知っておいででしたか」

(いん)や。推し量ったまでぞに」

「待ってください」


 ハナは口をはさんだ。


「何を言ってるんですか? 今、何て……」


 声が震える。喉が渇いている。


 耳をふさいでいたわけじゃない。

 なのに、たった今聞いたはずの部分だけ、深くて暗い淀みの淵へ沈んだように見つからなくなっていた。


「また()()()かゃ? 洟垂らしめ」


 ウルウァが逆に問う。

 凍りついたハナは目だけを動かして、手のひらの頭骨を見おろした。


「屋敷を発つ前に話したぞに。エルヴルが古代の蝶を()()()()()()()()()とねぁ。よもや標本が生きちおったとでも思うちおったかゃ?」


 思い出す。


 はるか昔に絶滅した十一視蝶――それを復活させたエルヴル王室。

 ウルウァが断言した以上、まぎれも例外も諧謔(かいぎゃく)もない、厳然たるはずの事実。


 ハナもそう受け止めたからこそ、あのとき血の気の引く気配を覚えるまで連想をしかけた。


 死んだ標本――復活――死の克服――


 世に存在しない不条理を易々と産み落とす唯一無二の冒涜的人為――《呪詛》の介在を。


「発現者は、ほからなぬ初代女王フラガよねぁ。絶滅したはずの十一視蝶を再生し、はぐくみ、殖やし、存続させる《呪詛》ちいうところか。効果限界である国境から外へ出た蝶は、砂か石くれにでもなるんではないかのぅ?」

「……」


 ウルウァが誰にともなく問うように言って、背後で士人がこころなしか呼吸を浅くする。


 たとえこのウルウァの見立てが外れていても、フォルストのいる前で声には出せなかっただろうが、彼がアーシャのもとへ帰らず王宮へ舞い戻ってきた理由といえば、持ち出した十一視蝶の異変以外にあるはずもない。

 ベルーデルが「蝶を渡しても意味がない」と話していたことにも、頷けるようになる。


 だが、もはや《呪詛》の()(さい)など、ハナにはどうでもいいことになり下がっていた。


 エルヴルの王家がすでに何代続いているのかわからない。長寿をもたらす《丸薬》もある。

 とはいえ、《呪詛》の発現によって廃人化したはずの初代女王がいまだ存命しているとは思えなかった。


 《初代女王の呪詛》を誰かが受け継ぎ、維持していなくては、《呪詛》によって維持されているあの十一視蝶たちの繁栄も、最初からなかったことになってしまう。


 ハナは、縛り上げたように動かない舌を懸命に震わせて問うた。

 脳裏にはすでに、むつまじく額を寄せ合う母娘の姿が、(かすみ)の先の幻影のように浮かんでいた。


「呪詛憑きは……誰ですか?」



【後編へ続く】


明日昼頃次話(後編)投稿予定。毎日更新中。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!!! むふふふ乳繰り合いから一転種明かしぃぃぃ!!! あーそういう……で済まない地獄! って王女サン蝶が無意味になることは知りつつも外に出たいと!? ヘイゼルさ…
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