第四章・第一節 蜂蜜と穀袋
【第三章のあらすじ】
士人とアーシャの《落果病》を癒す薬の材料・十一視蝶を追って、小国エルヴルを訪れたハナ。
その国は、《王家の丸薬》と呼ばれる薬による無病と長寿(加齢の速さが半分になる)を享受しながら、異常に高い死産率にあえぐ奇怪な国だった。
薬師のいないその国の実態に衝撃を覚えつつも、外の世界にあこがれる王女ベルーデルの歓待によって、ハナと士人は王宮に客として招かれる。
王女ベルーデルの自室には、大量の十一視蝶が飼われていた。
彼女らエルブルの王族には致命的な持病があり、ただそれを抑え込むために、《丸薬》ではなく十一視蝶の鱗粉を吸い続ける必要があるらしかった。
天真爛漫なベルーデルは、ハナたちに自分の十一視蝶を分け与えることを快諾する。
しかし、忠臣の兵団長、四本腕のヘイゼルが、まがりなりにも国宝であるため、王配殿下に采配を仰ぐべきだと主張。
王配はちょうど城外へ出ていたため、帰りを待つことになるが、待ちきれない士人が独断で十一視蝶を持ち逃げする。しかし、疾師ウルウァはそれを「意味がない」と言った。
その後、王宮に残ったハナは、エルヴルの王位継承に関する奇形のしきたりと、現女王にして幽閉される巫女、イズンの姿、それらに基づくベルーデルの寂寞や旅へのあこがれを知ることとなる。
アーシャの治療を急ぐ必要もあったが、薬師としてできることをしたいと願うハナの気持ちは、ベルーデルの前で揺れ続けるのだった――
【第三章・第九節(前々回)のあらすじ】
女王の間を辞したあと、先に出ていたベルーデルをハナは城壁の上で見つける。
物憂げな様子のベルーデルは街を見おろしながら、エルヴルの民は老化が進むと自分から《丸薬》を飲まなくなることを話す。
手狭で子供の生まれにくいこの国が、子供を産める世代ばかりを中心に回っているために起きていることだった。
また、重ねてベルーデルは、自分が生まれる以前のエルヴルは今と違い、見渡す限りの国土を持っていたことをハナに教える。
何がきっかけでそうなったかを語る代わりに、この国で自分だけが地平線に立ったことがないことと、好きなだけ旅ができるなら途中で力尽きてもいいという切実な思いをベルーデルは語る。
それを聞いたハナは、旅に出ても無事に家へ帰ってくることが大切だといさめ、ベルーデルがそれをするために必要な十一視蝶に変わる延命薬を、自分が探し出すことを宣言した。
そこへ、ちょうど王宮を出ていた兵たちとともにベルーデルの父親が帰ってくる。
その隣には、なぜか士人の姿があった――
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☆ 挿絵協力:伊呂波 和 さま (@NAGOMI_IROHA on Twitter)
「みすたぁっ!!」
自分で出したその声は、思いのほか大きかったかもしれない。
おまけにかかとの高い慣れない靴で階段を駆け下りてきたせいか、ひどく舌がもつれてあやしい発音になってしまった。
城門から西日とともに中庭に入ってきた青服の兵士たちが、一斉にハナを振り返る。
大勢の視線に真っ向から射抜かれて、ハナは木槌で岩を叩いたように縮みあがった。
ハナに呼ばれた当の大男は、兵士たちの最後尾で同じようにこちらを見返しながらも、廃屋のように突っ立ったままでいる。
ハナはじりじりと横歩きで集団を大きく迂回すると、なんだか命からがらといった有様で彼の前までたどり着いた。幸い巨体の陰に入ったおかげで、兵士たちの視線は遮られる。
「ミ、ミスタ―、帰ってきてくれたんですねと言いたいところなのですが、あの、ど、ど、ど、どうしてこの方たちといっしょに……?」
「……」
士人はハナを見おろしたまま黙りこくっている。
いつものことのようでいて、実は顔を見ていないことに気がついて、ハナは自身の恰好を見おろす。
「あ、こ、これですか? これはベル――あの、王女殿下が貸してくださって、えと……」
なんとなく別の気おくれが湧いてきて、ハナはあごを引いたままちらりと上目づかいで再び士人の顔を見やる。
帽子のつばも面鎧のくちばしも微動だにしないが、琥珀色の目だけがせわしなく動いているように見えた。
次第に恥ずかしくなってきたハナは、肩かけのすそを胸もとに寄せながら思わず、
「に、似合います……か?」
「ヴグッッッ……!?」
たずねた瞬間、士人の瞳はただならぬ勢いで震えたようだった。
面の下の息づかいが破滅的にひきつるのもはっきりと聞いた。
「どなたかな?」
二人の間の形容しがたい沈黙と膠着と実体なき爆風を押しのけるようにして、士人の脇から兵士たちとも装いの異なる者が顔を覗かせた。
見覚えのある蜂蜜色の髪とひげを生やした姿に、ハナはあっと息を呑む。
城壁から見下ろしたとき、士人のすぐそばに立っていた男性だった。
大きな目にえらの張ったあご、蓄えたひげと、貫録のある風貌をしている。
ただ、目元や鼻筋の張りのある様子から、せいぜい三十がらみだろうと知れた。
濃い緑色のマントの下には、上等そうな胴衣の銀ボタンが光っている。
男性もハナを見とめると、何かを察したように目を大きくして眉を上げてみせた。
「おや? もしやあなたが――」
「おとーさまっ!」
トタトタと軽快な足音が近づいてきて、かと思えば、萌木色の外衣をなびかせ、小柄な人影が視界に飛び込んできた。
胸に飛びついたベルーデルを受け止めて、その小さな額に男性は頬ひげを押しつける。
「やあ、ベルーデル。ただいま。ずいぶん大きくなったものだ」
「やだ、お父さまったら、今朝もお会いしたじゃない。そういうの皮肉よ、皮肉」
「ハハハ、わからないよ? ベルはぐんぐん育つからなあ」
豪快に笑いながら、男性は娘の両脇に手を差し入れて、膝のあたりで浮いていた小さな足をそっと地面におろした。士人と並んでいたのでわかりにくかったが、彼も平均以上の大柄だった。
「さて、それでは未来のベル―デルのようなこちらのご婦人が、伝令からの報せにあった薬師殿かな?」
改めて振り向いた男性がハナを見て問う。
男性でハナより目線が高い人物もまた久しぶりだ。
だが、そういう相手にいつも感じるはずの緊張を、ハナは彼相手には特別に抱かなかった。
体躯ではずっと規格外にあたる士人が、そのとなりにいるせいだろうか。それとも彼の、そばにいる愛娘とよく似た屈託のなさそうなまなざしが、そうさせたのか。
「あーっ、お父さま、今度こそ失言だわ。ハナはあたしと一つちょっとしか違わないのよ?」
「ほう! こんなにもうるわしく大人びておられるというのに。いやはや、その歳で薬師をされているだけはあるということですな」
男性はしみじみそう言って頷くと、握っていたベルーデルの両手を離し、胸に手を置きながらハナに向かって慇懃にこうべを垂れてみせた。
「重ね重ね失礼を致しました。エルヴル国女王配婿にして、執権長兼務、フォルストと申します。ようこそおいでくださいました、薬師殿」
「そんなっ、えぇと、ハナ・ヴァレンテと申します。身に余るご歓待、心より感謝致しております、フォルスト王配殿下」
慌てて恐縮しながらも、つい先ほど女王陛下にしどろもどろな挨拶をかまして毒気が抜けたせいか、今度のハナは比較的危うげなく口上を述べることができた。
顔をあげたフォルストも微笑ましそうにまなじりを下げる。
頃合いを見たように、ベルーデルが再びフォルストにすがりついて、甘えた声でたずねた。
「ねーぇ、お父さま? ハナたちを今日と明日の晩餐会に招待していいでしょう?」
「なに、晩餐会に?」
するとフォルストは一転して眉根を寄せ、
「訪れたばかりの旅人を王宮の晩餐会に? どこの誰とも知らず、ただ珍しい薬師というだけで、しかも王女の成人の祭典にまでかね? まさか!」
派手に驚いた顔をしたのち、彼は片目を閉じて肩をすくめてみせた。
「いったいどこに断る理由があるのかね?」
「まあ、お父さまったら。意地悪で大嫌いよ」
「フフフ、光栄ですな、王女殿下。なに、本当にこの二、三代でもめぐり合わせのなかった薬師のお客様だ。しかもお連れは稀代の英雄殿ときている。私としても是非ともご同席願いたいところだよ」
「英雄殿?」
口をとがらせつつも含み笑いをしていたベルーデルが、急にきょとんとした目をしてハナの方を振り向く。
ハナも自分が彼女と鏡映しの顔をしている自覚があった。
そしてなんとなくごく自然に、二人の視線は雲を仰ぐような高さにそびえるつば長の黒帽子にまとめて注がれる。
「穀倉庫で事故があってね」とフォルスト。
「天井近くまであった穀袋の山が、崩れ落ちてきたんだ」
「まあ!?」
ベルーデルが悲鳴を上げた。
「けが人は? 大丈夫でしたの?」
「ああ、このとおりね。幸い、下敷きになった者もいなかった。ただ、私と幾人かが倉庫の中に閉じ込められてしまってね。粉塵に巻かれて身動きが取れなくなったんだよ」
「そういえばお父さまのおひげ、なんだか粉っぽかったわ」
ベルーデルが不安げに顔をしかめる。
言われてみればフォルストのマントにも所々粉を吹いたような跡がある。
彼に付き添っている兵たちの制服も、一様にどこかしらが白っぽく汚れていた。
「いやはや、粉塵というのはすさまじいものだね。目も開けられず、息をするのも難しかった。外の兵たちは必死で入り口を掘り出そうとしていたが、これも一筋縄ではいかなくてね。あのままでは我々が窒息してしまう方が先だっただろう」
「そんなに酷かったの!? なのによくご無事で……」
「なに。そこを英雄殿に助けられたのだよ」
フォルストがそう言うと、彼を含め全員の視線が士人に集まった。
士人は物言わず、あいかわらずそっぽを向いてたたずんでいる。
「もうとても間に合わないと皆が思ったときだった。大きな音がしてね。頑丈な穀倉庫の石壁に、大穴が開いていたのさ。さて、誰がどうやって開けたと思う?」
「まさか!?」
ベルーデルが目を丸くして口元を覆う。
ハナも驚いて士人の横顔を見上げていた。ただし今のベル―デルや、現場で彼を目の当たりにした当時の王配たちの衝撃とは、色合いがかなり異なるだろうが。
「いやはや、疲れ知らずの鍛錬から一騎当千と謳われるエルヴル兵たちでも、たった一人、しかも素手で、あんな離れ業をやってのける者はいないだろう。たとえ、鍛錬の鬼と呼ばれる四腕の兵団長でもね。九死に一生を得たことよりも、たぐいまれなる雄姿を拝んだ感激の方が大きかったくらいだ」
フォルストは話しながら、もうもうたる粉塵越しの目に焼きついた光景に、心から感じ入っているようだった。
無理もないことだと、ハナも胸中で同意する。
かつて夜営中、《濁》らの襲撃に遭ったところを救われた際は、マサカリ担ぐ巨漢の現実離れした獅子奮迅ぶりに心酔しかけたものだ。
だが、そのことを覚えているハナだからこそ、フォルストの口ぶりにえも言われぬ焦燥をかき立てられてもいた。
「無論、命の恩人として感謝し尽くしてもし足りない気持ちでもいっぱいだとも。王配といえど一執政官にすぎぬ身ではあるが、私にできることなら何でもさせていただこう。それでよろしいかな、ドリュー殿?」
「……傷み入る」
士人は面鎧の下で静かにそれだけ言った。
フォルストが、謙虚なお人だ、と浮かれたように声をあげて笑う。
王女殿下がドレスの端を持ちあげながら、父に代わるように丁寧な謝辞を贈っていた。
その情景を、ハナは眺めている。
呆然と。一人だけ窓越しに見ているような、その窓越しに自分自身をも見ているような、単なる窓辺の置きものになってしまったような心地で。
(……………………ン?)
ハナは、考え始める。
置きものっぽく、無機物っぽく、聞いたもののことだけを考え始める。
(どりゅーどの? ……あれ? 何だっけ? なまえ……名前? だって、ミスター……みすたー? え? みすたーって? だって、なまえきけなかった、から……なまえ?)
「そうだわ、お父さま!」泡のはじけるようなベルーデルの声。「いっそ、あたしのおムコ様としてお迎えしてはどうかしら、ドリュー様を!」
「……? ――ッッッ!?」
ハナが自分という有機物に戻ってくる。
痛いくらいに目を剥いて、父親にもたれかかっている藁色の髪の少女を凝視する。たぶん呼吸するのを忘れたまま。
「どんな人がいいかって、あたしまだ答えていなかったでしょう? 大きくて強くて、頼もしい人がいいわ! お父さまの命の恩人なら、なおのことピッタリよ」
「ふむ。一理あるね」
(あるのかッ!?)
心の中で激しく叫ぶ。
ただし目と前頭部に神経が集中しすぎて鼻から下は石になったように動かない。
「どうだね、ドリュー殿? 命のお礼に姫君一人というのは?」
固まった首をもぐようにひねって視線を移す。
たずねられた士人は、特に感情のない瞳でフォルストの方を見つめ返して、
「……好きにしろ」
(みすたああああああああああああああッッッ!?)
「フォルスト。望みなら話しただろう」
嘆息気味のくぐもった声がそう続けて、ハナは目をしばたいた。
冷や水一滴つむじに落とされたように、するすると熱が引いて肩が落ちる。
緊張のとけた鼓膜に「……そうだったな」と、どこか重たい声が触れた。
「そちらを先んじなくては始まらんか。婿殿の件はひとまず保留だ。よいかな、ベルよ?」
「お父さまがそうおっしゃるなら、しょうがないわね」
さして残念がるでもなくベルーデルは首肯する。
その様子を放心し切って眺めていたハナは、王配の顔が自分を向いていることにしばらく気づかなかった。
「ハナ殿」
ハナがフォルストと目を合わせると、彼は改まった口調で鷹揚にたずねてきた。
「このあと、少しよろしいですかな? まだ、片づけなくてはならない政務があるので、お待たせすることにはなりますが、できれば晩餐の前に」
「は、はい……それは、ご随意に」
「かたじけない。ドリュー殿も。兵に案内をさせるので、その場所でお待ちを」
ぼんやりと答えたハナと無言の士人にフォルストは頷いてみせる。
そうして二人に背を向けると、そばにいる娘の手を取った。
「さあ、王女殿下。お部屋までお送りしよう。そろそろヘイゼルが泣きながら走ってまいりますぞ?」
「それなら大丈夫よ。兵団長殿は今《宮つげ》だわ」
「そうか。なら、あとで顔を出さなくてはな」
のんびりと言葉を交わし合いながら、金に近い髪の父子が腕を組んで中庭を横切っていく。
空いた手で兵たちに何かを指示するフォルストのとなりで、ベルーデルが顔だけ振り返ってハナに小さく手を振ってみせた。
とがり気味の小さな唇が、これ見よがしに動いて、「またあとで」と声なく告げる。
ハナは無意識に手を振り返しかけたものの、なぜだかためらって、結局手は半端な高さに浮いただけだった。
なんとなくおずおずとしながら横目に士人の様子をうかがうと、彼は彼で遠ざかっていく王族たちの背中を無心で見送っている。
ハナは無性に彼にたずねたくなって、けれど何をたずねたいのか、ただちには判然としないのだった。
明日昼頃次話投稿予定。毎日更新中。
予定していなかった「第四章」です。
元々の第三章が全体で十四万字程度のため、七万字切ったここから章を改めることに致しました。なので、実態としては第三章・後編のようなものに当たります。
流れ的にも、前回前々回が折り返しにあたって、ちょうどよかったので。
さて、ショッキングな事件に不穏な空気はありつつも、比較的静かで、あたたかい部分もあったと思われる第三章。
ここからは一気に下り坂です。すでに提示させていただいたエピローグへ向かって、突き進むというか、なすすべもなく転がっていきます。
ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。
ハナたちの昏い旅路に、せめて残り香ほどの光があらんことを願うべく、最後までお付き合いいただければと存じます。
ヨドミバチ





