第三章・第四節 大ナタとダンデライオン
【前回のあらすじ】
門兵の少年アールの身内のため、助産の協力を申し出たはずのハナ。
しかし、畸形を持って生まれた赤ん坊を産婆が“処理”しようとしたため、それを力ずくで止めようとした拍子に、頭を打って気絶していた。
目覚めたあと、アールの上司で副兵長を名乗る男性から、エルヴル国ではそういった“処理”や死産がありふれたものになってしまっていると聞かされる。
それは、彼らの愛飲する《王家の丸薬》が、強力な無病長寿をもたらす代わりに、死産率をいちじるしく高めるものであるためだった。
妊娠出産の危険がほぼ皆無になるとはいえ、正常な子供が授かるまで産み続けることを選んだエルブルの民らに、ハナは言葉を失う。
しかし、彼らが同時に、無垢な死者をねぎらう信仰と死生観を持っていることを知り、一応の納得をしたのだった。
そして、落ち着いたあと、同じ副兵長の口から、士人らしき大男が国境の門を通ったことを聞かされる。
それはつい先刻のことらしかった――
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城門前の跳ね橋まで一直線の大きな通りに出る。
途端、橋のたもとにいる規格外の人影は、十軒先からでも視認できた。
前を閉じ切った漆黒のローブと白いズボン。前後につばの長い黒帽子。
背中にはどこで手に入れたのか、藪払いにしても大袈裟そうなぶ厚い大ナタを負っている。
走って近づいていくにつれ、すでに何やら騒ぎを起こしているらしい様子も見えてきた。板金の甲冑をまとった者たち三人ほどを相手に言い争っている。
相手はいずれも小柄で、向かい合う巨体より頭二つ、ないしは三つ以上も違っていた。
ハナが残り二軒の距離まで来たところで、突然巨体が甲冑の合間へ強引に押し入ろうとし始めた。
その最初の一瞬は、巨体の側がいともたやすく押し通るかに見えた。しかし、甲冑側は泡を食いつつもすぐさま組みつき返し、蹴散らされることなく拮抗し始める。
(すごい……あの人たち、あの体格でミスター相手に!)
思わず歩幅を縮めたハナが感心しかけたのも束の間、巨体から生えた太い腕が背中に負った大ナタに伸びようとする。
瞬間、ハナは全力で声を張りあげていた。
「ダメです! ミスター!!」
「!?」
木製の柄を掴みかけていた手が、ビクリと震えて止まる。
全身からも一瞬力が抜けたように見えた。
甲冑の兵たちはその隙を逃さず、怒鳴り声をあげながら彼を押し返した。
ほとんど突き飛ばされるような形になった士人は耐え切れず、背中から地面に倒れ込む。
すかさず兵士たちが返しのついた短い槍を持ち出してくるのを見て、ハナは慌てて彼のそばへ駆け寄った。
頭だけ起こした状態で今度こそ大ナタの柄を掴んでいた彼の胸に、ほとんど飛び乗るようにしてまたがってしまう。
甲冑の兵士たちがどよめく。
士人もずれた黒帽子の細長いひさしの下から、信じられないものを見る目を覗かせて固まっている。
ハナもまた、面鎧越しの彼の顔と自分の両手とを見比べて、「へ? は……えと……えぇと……」としばらく意味のないつぶやきを漏らしていた。何も考えていなかったし何も考えられない。
気がつくと、おもむろに片手の指をピシッと伸ばした状態で大きく振り上げていた。
「せい!」と思わず声をあげながら、小指側から垂直に、士人の眉間をめがけて叩き込む。
ごっ、と小気味よい音がして、あとは静寂。
「……」
「……」
静寂。とにかく静寂。
兵士たちすら何も言わない。
額にハナの手刀を受けた士人は、身じろぎ一つ、まばたき一つせずに、ハナの手のひらの左右からハナを見上げている。
ハナも、振り下ろした手のふちのジンジンとした痛みがなければ、そのまま同じように固まっていただろうか。
持ちあげたその手を、もう片方の手で押さえながら、膝の間にある顔をキッと見おろして言い放つ。
「ぼ、ぼうリョっクは、いけマ、セン!」
「……」
噛んだ。声が裏返るとかの程度ではなく、まるでへべれけみたいに。
さっきから自分の中ですら何がしたいのか収拾がついていない。
ハナは耐え切れなくなって、思わず唇を引き結んだ顔を真横へ背けた。
が、今度は槍の穂先と鉢合わせて凍てつく。
「……!?」
「……」
穂先には返しだけでなく、毛のような細かい針がたくさん生えている。
その一番太い先端を突きつけて、兵士たちも無言でハナを見おろしていた。面兜の裏の表情は読めないが、とても笑ってくれているようには思えない。
騒ぎを聞きつけて人が集まってくる。足音の中に甲冑を着て駆けてくる音も聞こえる。
気が遠くなっている場合ではないと悟ったハナは、全力で頭を回転させ始める。
(ミスター? ミスターは彼らに何と言った? 城に入れろ? 蝶を寄越せ? 回りくどい言い方は絶対してない。一刻を惜しむように――)
ハナは胃ごと吐くように口を開いた。
「お……!!」
「!?」
兵士たちが身構える。
ざわめきが弱まる。
思いがけず大きい声が出たことにハナ自身も驚いていた。
しかし、ひるむような余裕も残っておらず、衝き動かされるまま声をあげる。
「おっ……おなかが! 痛くて!」
「……おなか?」
兵士たちの一人が反応した。
鼻白んだその声に逆に勢いを得たように、ハナは「そ、そう! そうなんです!」と返し、矢継ぎ早に話し続ける。
「でも、実は薬がなくて! いや、あのっ、じぶんが薬師なのですが!」
「薬師?」
「はい! まだ駆け出しでっ、じゃなくて!」
ハナは下に敷いている者の眉間を指す。
「こっ、この人がじぶんの患者で! おなかが痛いのもこの人で! それはもうすごい激痛でっ、苦しんでいてっ、しかしじぶんの薬では全っ然効かなくて! そう! もう! 全っ然!」慣れない自虐のせいか目頭がとても熱い。「それで途方に暮れているところにっ、この国の《丸薬》の話を聞いたんです!」
「!」
途端に兵士たちの雰囲気が変わる。
はっきりとはわからないが、敵意が弱まったように感じられた。
反対に周囲の人ごみが再びざわつき始めたが、「なんだ、《丸薬》が欲しかったのか」のような、気の抜けた声がいくつも混ざっていた。
ハナも少し落ち着きを取り戻し、声を荒げないように努めて続きを口にする。
「あの、それで、この人が一刻も早くその《丸薬》が欲しいと言い出して、村を飛び出していってしまいまして。じぶんも慌てて追いかけてきたんですが、思ったとおり、痛みで見境がなくなっていたようです。お騒がせして、本当に申し訳ありませんでした!」
士人の腹の上で体を回し、深々と頭を下げる。
兵士たちは互いに顔を見合わせ、「まあ、そういうことなら、なあ?」と頷き合うと、そろって槍を引いた。
顔をあげたハナはすかさず「ありがとうございます!」と謝辞を述べ、もう一度平伏してみせる。
「《丸薬》が欲しいなら、まずは門兵所に行ってください」
兵士の一人が若い声で言う。
ハナが体を起こすと、一歩前へ出てハナを見おろした兵士が、面兜のひさしを持ち上げていた。その気さくそうな顔も、またハナより年下に見える。
「そこで正式に移住の手続きをしたあと、今度はこっちの衛兵所の方へ来てくれれば、すぐに《丸薬》を受け取れますよ」
「本当ですか!?」
「ええ。ここだけの話、移住手続きをしたからと言って、出国しちゃいけないなんて決まりはありませんから、《丸薬》だけ手に入れて帰っても大丈夫ですよ?」
「おい。それ、禁句だろう?」年上らしき兵士が口を出してくる。
少年顔の兵士は冷めた目でその兵士を見返すと、「いいじゃないですか。どうせ余ってるんですから」と愚痴るように言い返す。
何にしてもハナにとっては渡りに船だ。
「わかりました。では一旦門兵所は行って――」と言いかけたところで、背後から「違う」と低い遠雷のような声が聞こえた。
「ミスター? ちょっ、うわっ」
お尻を乗せていた足場が傾ぎ、ハナはつんのめるようにして地面に落とされる。
慌てて振り返ると、士人が上体を起こしながら、またもや背中の大ナタに手を伸ばそうとしていた。
「《丸薬》じゃない」
「ミスター!」
「蝶がいる。素材の方だ」
「わかってます、ミスター! でも今は話を――」
「話は城の人間とする。ここを通る」
「話を聞いてください! まだ、待っ――っこの、ちゃんと聞けぇぇっ!!」
「ぐおっ!?」
膝を立てかけていた士人の真上から、ハナは全身で組みつくようにして飛びかかっていた。
再び仰向けに押し倒されるかたちになった士人の上に腹這いになり、両手で力いっぱい胸ぐらを掴みあげる。
「薬師っ! 邪魔を――」
「いい加減にしてください」
「……!?」
顔を近づけて額の触れそうな距離から覗き込む。
琥珀色の小さな目がせわしなく震え、くちばし型の面鎧の下で微かに息を呑む音がした。
ハナは少し懐かしいような冷え切った気持ちで、すうっと息を吸い込む。
「いいですか? 暴力ではいけないというのはいいか悪いかなどという浅い次元の話ではありません。蝶なんですよ? あなたがご自分でおっしゃっているとおり、本当の目的は《丸薬》でなく十一視蝶です。小さな虫なんです。虫を薬の素材として扱うなら、理想は生け捕りか、鮮度を維持できる方法でなくてはなりません。手づかみで引っこ抜いて袋に入れていけばいいそのあたりの適当な薬草とは違うんです。もめごとを起こしながらどうやってそんな繊細なものを無事に持ち帰るおつもりですか? しかも片道三十日以上かかるんですよ? 疾師様につぶれた蝶をお見せして『こりゃあダメじゃのぅ』と言われてもう一度ここまで往復する時間はないんです。わかりますか? わかったらお願いですから強引に動かずじぶんに話を合わせてください」
「……」
返事はない。
が、士人の瞳から完全に毒気が抜け落ちているのを見て取って、ハナは息をつき、体を起こす。
背後を取り囲む衛兵たちも静まり返っている。
小声でまくし立てたのではっきりしたことまでは耳に届いていないだろうが、非常にいたたまれない空気を感じる。
人だかりはまだガヤガヤと騒がしかったが、示し合わせたかのようにひそひそとしたささやき合いが多くなっていた。
ハナは落ち着いて、次にどうすべきかを考えようとする。
(ミスターの言うとおり、十一視蝶は《丸薬》の材料と思っておいてまず間違いない。だから一旦《丸薬》をいただいて、やはり効かなかったと申し立てるのが近道か。ただそれで城の中まで入れてもらえるとは……いや、十一視蝶について詳しい方に近づけるだけでも、充分……)
「ねぇっ、あなた!」
そのとき――
そのときハナは、声を聞いた。
降ってきたような。
高い木の梢の花が散って、風に乗って流れ落ちてきたような。
思いがけず、心くすぐられるような。
その梢を振り返り、仰いでいた。
「ねぇ、あなたっ、薬師なの?」
仰ぎ見た、白い城壁の上に。
黄色い花。
降り注ぐ陽の裾で、輝くような花弁をはためかせ、誇らしげに、揚々と咲く姿。
集めた火照りで結んだ果実のような、煌めく瞳で見おろした、瑞々(みずみず)しく可憐な姿。
繊細なドレスの上に分厚い外衣を羽織りながら、彼女は鋸壁の狭間にわざわざ乗り上げ、身を乗り出すようにして、自身の背丈の十倍も先にあるハナの顔を、まっすぐに見据えていた。
「わあぁぁぁッ!? ちょっ、ひめさっ! あぶあぶあぶッッ……!!」
そこから一番近い尖塔の方で、誰かが何か騒いでいる。慌てふためいているせいかもっぱら要領を得ないが、「ああああぶのうございますぅ! ひめさまーッ!」と叫んでいるのだけは、かろうじて聞き取れた。
「姫……様……?」
思わずなぞるように唱えながら、ハナもまた見つめ返す。
耳のうしろに不確かな高鳴りを覚えながら、いつか陽だまりへ溶けていきそうな彼女の微笑から、ひととき目をそらせずにいた。
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