(4)
週末、カリンはいつもの野原で、久しぶりにイシュと会った。
イシュは上機嫌でカリンの隣に腰を下ろすと、早速「学校はどう?」と聞いてきた。
「お友達が二人できました」
「へえ、どんな子たち?」
「ルイーゼとマーリン。ルイーゼは、そばかすだらけで明るくて、すっごく親切。マーリンはちょっといたずら好きで、お勉強が嫌いみたい……でも二人とも面白いの」
「そっか、楽しそうで良かった」
そう言って微笑むイシュは、さいきん髪を切ったせいか以前よりもずっと大人びて見えた。理知的な茶色の瞳は、相変わらずやさしくおだやかだが、少し引きしまった顎が、以前に増して精悍さを帯びている。
「あの、足の具合はどうですか?」
「近ごろは杖が無くても、ずいぶん歩けるようになってきたよ。だから今日も、ここまでなら歩けると思って持ってこなかった」
「帰り道、あるけど……」
「大丈夫。いざとなったら魔女さんに、おんぶして送ってもらうから」
「えっ!? む、無理です、そんな……」
本気で焦っているカリンの隣で、イシュは笑いをこらえながら上着のポケットに手を入れた。
「はい、どうぞ」
小さな包みを差し出され、カリンは期待に目を輝かせた。
「シモンズさんからですか?」
「これは僕からだよ……王都から特別取り寄せたお菓子でね。僕の友達が勧めてくれたんだ」
カリンは『僕の友達』という言葉に、少しだけ寂しい気持ちになる。イシュはもともと王都からやってきたのだから、カリンが知らないだけで、きっと王都にはたくさん友達がいるに違いない。
(そのうち、王都へ帰っちゃうのかな。そうしたら、もうここには来てくれない。だから今のうちに、たくさんお話しして、楽しい思い出を作っておきたい)
カリンはそんな胸の内が顔に出さないよう、イシュと一瞬にいる時は特に気をつけていた。
「お菓子ありがとうございます、うれしいです」
さっそく包みを開けると、花の形をした可愛いらしいお菓子が箱に並んでいる。さっそくひとつ味見しようと手を伸ばそうとしたが、なぜか隣のイシュの手で邪魔されてしまった。
「お礼は?」
「あ……お菓子ありがとうございます、あの、うれしいです」
カリンは当惑気味に、先ほどと同じ言葉を繰り返したが、イシュは不満げに首を振っただけだった。
「そうじゃなくて。シモンズにしたように、僕にも同じお礼をしてよ」
「同じ、お礼……?」
カリンはきょとん、と首をかしげると、イシュは悪戯っぽくカリンの瞳をのぞきこむ。
「ほら、シモンズから鞄もらった時みたいに……もっとほら、感動的な風っていうの?」
「あ……」
カリンはシモンズに飛びついて、キスをした事を思い出し、みるみる顔を赤くした。イシュはクスクスと笑いながら、優美に首をかしげてみせる。
「魔女さん?」
「……やだもん。シモンズさんは特別」
「えっ、どうして?」
「だってシモンズさんは……シモンズさんはその、鞄をくれたし……お菓子と一緒じゃ、変だもん」
そんな風に苦し紛れに説明しながらも、カリンは『これじゃまるで、高価な物をもらったからシモンズさんにキスしたみたいだわ』と少々悔やんだが、もう後には引けない。
そっぽをむいたカリンの横顔に、イシュの視線を感じて落ち着かない。すると今度は、いたずらな手に耳の横のおさげを軽く引っ張られた。
「長くなったね。ふふ、猫のしっぽみたいだ」
「は、離してください……」
カリンは頭を押さえて振り返ると、笑っているイシュに顔をしかめて見せた。
こんな風に、気の置けないやり取りをしながら、実は一番ききたいと思っていることを、なかなか切り出せないでいた。
(町で一緒にいたウルカって子、イシュのお友達なんですか?)
そんなこときくのは、なぜか良くない気がした。そんなこと、きいてはきっと良くない。
(どうしてそう思うのかしら?)
カリンの心の葛藤を読み取ろうとするかのように、イシュはじっと小さな横顔を見つめている。
「やっぱり、今日の魔女さんは少し元気がないね」
「え……」
イシュはゆっくりと立ち上がると、今度はカリンの手を引っ張って勢いよく立たせた。
「今夜は美味しいもの、シモンズにいっぱい用意させようか?」
「え、え……?」
「僕の所へ夕食においで。週末だし、明日は学校無いから、少しぐらい遅くなっても平気だろう?」
離宮へお邪魔するのは、これで何度目だろうか。片手で数えられるほどとはいえ、カリンは訪れるたびに緊張してしまう。
白亜の壁が美しい外観を裏切らず、城内はさまざまな装飾が施され、贅沢で美しい造りとなっていた。
「実を言うとね、今夜はもう一人お客を呼んであるんだ」
長いダイニングテーブルが中央に鎮座する部屋へ案内されたカリンは、イシュに勧められるまま椅子に座った。テーブルには美しい花が飾られ、壁や天井にかけられたランプが、薄暗くなってきた室内を明るく照らしている。
やがて廊下から、にぎやかな声が響いてきたかと思ったら、客間の扉が大きく開かれた。
「やあ、カリンお嬢さん……とと、ウルカ様、いい加減ワゴンから降りて下さいよ! これじゃいつスープがひっくり返ってしまうことやら」
「何よ、シモンズがちゃんと支えればいいだけの話でしょ」
現れたのは料理のワゴンを押すシモンズと、ワゴンの横に足をかけたウルカだった。
ウルカはようやくワゴン車から離れると、苦笑して頭をかいているシモンズと一緒に、テキパキ食卓の準備を始めた。シモンズは「まったく困ったもんだ」と口では言いながらも、楽しそうに笑っている。
「すみませんね、騒がしくって……吾輩はいちおう辞退したんですがね。ウルカ様が手伝うって、聞かないものですから」
イシュはシモンズに笑返しながら、小さく肩をすくめた。
「ウルカの気ままは、今に始まった事じゃないからね。お父上のグレナドス公も、ほとほと手を焼かれている事だろう」
「失礼ね、イシュア! あたしほどパパに協力的な娘はいないわよ? 現にうちの兄様たちときたら、そろいもそろって役立たずとふぬけばっか」
ウルカのしんらつな毒舌に、カリンは目を丸くする。イシュが「ほら、魔女さんがびっくりしてるじゃないか」とたしなめると、そこでウルカははじめてカリンに顔を向け、ニッと口の端を持ち上げた。
「はじめまして、小さな魔女さん」
「は、はじめまして……」
カリンは緊張で冷たくなった両手をぎゅっと合わせると、おずおずとウルカの勝気な笑顔を見上げた。




