Fランク冒険者、結婚したいので実力を解放します。ギルド? 十年は行ってないけど?
――今日の夕飯を肉にするか、魚にするか。それが問題だ。
夕飯のおかずに迷って肉も魚も買ってしまった男クライヴは、そんなくだらないことに頭を悩ませながら山道を歩く。
クライヴの家は人気のない山の中にあった。
「嫁さんでもいればなぁ……可愛い嫁さんの作ったものなら、肉でも魚でも野菜でも、最悪生ゴミでもなんでもいいんだが。結婚したい……」
二十九歳のクライヴは結婚願望が強かった。
夢は妻の手料理を食べること。だが山奥で出会いはない。
「助けて……!」
山道で停止する黒塗りの馬車の中、リルというドレスに身を包む十五歳の少女が泣いていた。
翼竜という山にはいない場違いな魔物がリル一行の馬車を襲っていたのだ。
周囲は血の海で、血生臭い匂いが充満する惨劇の現場だ。
翼竜は本物の竜と比べれば力にも知性に欠ける亜種的存在で、一頭のサイズは人間の三倍ほどもある。
巨大な体躯に備え付けられている爪は、甲冑を着込んだ人間を紙のように簡単にちぎり飛ばし、牙は岩を砕く。
その翼竜が十頭、リルと護衛たちの命を狙っていた。
くるくるくるくると、鳶の群れのように翼竜は旋回し、一頭、また一頭と空から降り立って、地上の人間たちを襲う。
馬車が倒され、護衛の騎士たちが次々と翼竜の細長い口でついばまれていくのをリルは冷や汗と涙を流しながら窓越しに見る。
――私もこうなるの? い、いや……!
馬車の窓からついばまれ肉を引きちぎられる護衛の死体を見つめ、リルは戦慄を覚えた。
全身が凍えたように冷たく、動くことができない。
いつもなら護衛の馬車は上下左右を囲むように四台はいるのに、今日に限っては一台しかいない。さらにその護衛も大半がやられてしまっていた。
そんな窮地の中、馬車に乗るメイドの声が恐怖で固まるリルを現実に引き戻す。
「リル様、わたくし共から決して離れぬよう! この場を離脱致します!」
メイドの一人、レベッカが大声をかけながら、リルを馬車から下ろそうとする。
レベッカは銀色の長い髪をなびかせるクールな印象を抱かせるメイドで、歳はリルの四つ上の十九歳だ。
いつもは単なるメイドでも、戦闘訓練を受けた立派な護衛でもあった。
冷静なレベッカが普段出さない大きな声にびくっと震えたあと、リルはこくんと頷く。
年の近いふたりは長年実の姉妹のように過ごしてきた仲で、その信頼関係は厚い。
リルを馬車から下ろしたあと、レベッカはメイド服の長いスカートの片方をまくりあげ、太ももに巻きつけている数本の短剣を抜き取り両手に持った。
そして馬車の扉をゆっくり開け、先に外に出る。
外には二頭の翼竜がいて、死んでしまった護衛たちを一心不乱にちぎりとって口に運んでいた。
ふたりに気づいている様子はなく、大きな物音さえ立てなければ逃げられるかもしれないとレベッカは考えた。
――一頭か二頭までならば……最悪でも足止めくらいはできるはず。
その隙シリル様が森の中に逃げられれば、あるいは。
「レベッカ……これはお兄様たちの計略なのかしら……私を亡き者にしようと……」
震える声で小さく言うリルに、レベッカは言いにくそうに声を出す。
十五歳の少女にはあまりに残酷な現実であるため、レベッカは言いよどんだのだ。
「――ええ。考えたくはありませんが、皇位継承権を狙ったご兄弟の誰かがけしかけたものでしょう……この翼竜襲撃はあまりに不可解ですから」
肉親に命を狙われていることを理解したリルは震え、嗚咽を漏らす。
――リル様だけでも逃がさねば。
レベッカは自身の命を捨てる覚悟を決める。
間違ってもほかの皇子の計略でリルが死に、皇位がその者たちに渡ることは避けたいとレベッカは思う。
自分の目的のために、実の妹であるリルに手をかけるような連中なのだから。
――生き延びてください、リル……そしてその手に皇位を!
レベッカはリルの顔を見る。まだあどけなさが勝る可憐な少女だった。
できるならば成人し、嫁に行くところまで見届けたかったとレベッカは涙ぐむ。
「わたくしの命に代えても、リル様だけは守ります! わたくしが合図を出したら森の中に走って!」
「そ、それじゃレベッカは!?」
リルはレベッカが自らを囮にしようとしているのだと察した。
泣きそうなリルの顔に、レベッカはできうる限り最高の笑顔を見せる。
今生の別れならば、最期くらい笑顔の自分を覚えていて欲しいとレベッカは願う。
「わたくしは大丈夫です。また、お城でお会いしましょう。わたくしお手製のアップルパイを持って、ピクニックにも行きましょう」
「レベッカっ……!」
「あのさ、なんか困ってるっぽいけど、助けようか?」
レベッカが命を捨てる決意を固めていると、真横に知らない男が立っていて、少し間の抜けた声でレベッカに問いかけてきた。
殺伐とした状況と違って、空気が明らかに場違いだ。
――二人とも美人だな……結婚してくれないかな。
金髪のほうは顔が可愛いし、銀髪の方はちょっと性格がキツそうな顔だけど、美人だしおっぱいが大きい。
クライヴは最初にリルを見て、そのあとにレベッカを見る。どちらも好みだった。
「あ、あなた誰っ!?」
突然の乱入者にリルは声を裏返す。
「クライヴ。まぁ……冒険者だな。それで、助けたほうがいいよな?」
クライヴは、手に肉と魚が入った袋を持っていた。
あからさまに買い物帰りの田舎者がなぜこんな山奥に、そして何を言っているとレベッカは目を剥く。
「田舎者が何を! 貴方もさっさと逃げなさい! 翼竜とはいえ、立派な龍の眷属! 本来ならばA級冒険者クラスが相手にする魔物なのです! ましてやこの数……!」
「へぇ……こいつら翼竜って言うのか。最近家の周りにも出てきてギャーギャーうるさいんだよな。――とりあえず倒すから」
焦るレベッカとは対照的に、クライヴは平常を崩さない。
――結婚してもらうためにもかっこいい所を見せるか。
出会いの最初が肝心だと恋愛の指南書にも書いてあったし。
「ちょっと持っててくれ。それ俺の夕飯だから」
「なにこれ、お魚ですかっ!?」
クライヴは短剣で両手がふさがっているレベッカではなく、リルのほうへ持っていた肉と魚を投げ渡す。
突然のことに驚いたリルは袋を落とし、勢いよく飛び出した魚は地面にダイブして滑り、騎士を食べていた翼竜に食われた。
「――夕飯は肉で決定だな」
しゅんとした顔で、クライヴは翼竜に食われる魚を見る。
「ご、ごめんなさいっ!?」
「いや、いいよ。肉か魚か迷う要素がなくなったから。それに特売品だし……でも失くすと食いたくなる」
――こ、この状況でお魚のことばっかり気にしてる……。
ぜったい変な人なのに、この人に頼るしかない……。
わ、わたし本当にここで死んじゃうの?
リルはある意味で翼竜よりもクライヴのほうに怯えていた。
第一印象はよくない。
「リル様。最期までお供します。おひとりで苦しませたりはしません……」
終わった、とリルもレベッカも諦めかけていた。
魚が滑っていったせいで、翼竜が三人に気づいてしまったのだ。
命よりも魚を気にしている田舎者に何かできるとは思えない。
だがそれはあっという間の出来事だった――。
手ぶらになったクライヴは、地上で騎士たちの肉をついばんでいた二頭の翼竜のもとまで一瞬で距離を詰める。一頭はクライヴの魚を食べてしまったものだ。
そして距離を詰めた勢いのまま居合のように剣を引き抜き、一頭の首を切り落とす。
仲間が死んだことに気づき危険を感じた翼竜が飛び立とうとすると、その背中にクライヴは飛び乗る。
「……魚返せ!」
クライヴは翼竜に叫ぶ。内心では恨んでいた。
翼竜が慌てて飛び上がると、クライヴはその背中に剣を突き刺し、踏み台のようにしてさらに跳び上がる。
そして上空を旋回する翼竜の一頭の首に捕まり、背中に乗り上げる。
刺して刺して刺して――。
クライヴは上空の八頭の翼竜の上を次々跳び回り、全て刺殺する。
力なく順番に落ちてくる翼竜が螺旋階段のようになって、クライヴはそれを踏み台に地上に降りてきた。
剣に着いた血糊をびゅんと振り払い、クライヴは笑顔でリルに言う。
「ふう。こいつらの肉は美味くないんだよ。だけど腹減ってるなら焼く?」
「あ、あなたはいったい……? わたしは食べないので大丈夫です……」
リルは呆然だった。護衛のレベッカも言葉が出ない。
クライヴは上位の冒険者であるA級が複数で、しかも対策を講じて倒す魔物を十頭、それも剣一本であっという間に倒してしまったのだ。
「あ、貴方は何者なのです……!? さ、さぞかし高名な冒険者の方とお見受けしますが……まさかS級……?」
「俺の等級は……F級だ」
「――最弱の?」
F級は最弱だとかそれ以前で、街の人々でさえ持っている肩書きだ。
登録すれば誰でもなれる。多くは家賃の支払いに少しお金が足りないだとか、そんな理由で登録する。薬草を積んでくるなど日銭稼ぎに近いものを受注するためだ。
「そ、そんなはずがありません! あ、貴方の実力でF級など、ギルドに認められるはずがないでしょう!?」
「そう言われてもな……嘘じゃないぞ?」
「いいえ、嘘です! 依頼を受けるときなど、ギルドでその都度更新されるのですから!」
「ギルド? 十年は行ってないけど?」
クライヴは平然と言った。





