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君がいなくなった世界で、僕はこのカレーライスをうどんだと信じて食べる

 

 

「完璧に人を騙すためにはどうすればいいのかって?」


 僕がまだ中学生だった頃、詐欺師の姉は僕に言った。


「そんなことは不可能さ。十全な信用というものが存在しないのと同じく、綻びの無い嘘はあり得ない。信頼はいつでも不安定で、だからこそ詐欺師という職業が存在する。君も私の弟ならそれくらい(わきま)えていると思っていたけどね」


 ガラスの向こう側で姉は楽しそうに笑っていた。

 僕の見た、最後の姉の姿だ。


「ただし、もし君が誰かを騙したいと願うのなら、この不肖姉がひとつアドバイスをしてやろう。そのためにも騙したい相手のことが好きか嫌いか、騙したい内容が君にとって善か悪か、それだけ教えてくれないかね」

「……好きな相手を、善い事で騙したいんだ」


 僕は正直に言う。

 詐欺師であり、名探偵であり、奇術師であった姉の前では隠し事なんてひとつもまかり通らない。それは幼い頃から身に染みていた真実だ。


「なら簡単さ。嘘をつかないことだ」


 姉は、当然のように答える。


「何か言う必要があるときは真実をぼかし、言葉を重ねて煙に巻け。相手を騙そうと思うのではなく、相手に伝えないように意識しろ。そうすれば大抵はうまくいく」

「伝えないように?」

「考える余地を残しておくのさ。人間は、いくつもの答えを同時に想像するようにできている。だからこそ、その方向性を定めなければ誰も答えには辿り着かない。また同時に、誤った方向に歩み出した相手をスタート地点へ引き戻すのは労力がいるものだ。君の苦手な数式と同じさ」


 僕は苦笑する。この前のテスト、数学は赤点ギリギリだった。


「……あれ? 姉ちゃん、なんで僕のテスト結果知ってるの?」

「私に知らないことなどないんだよ」


 肩を揺らして(うそぶ)く姉。

 あてずっぽうなのか、あるいは親が教えたのか。

 どちらにせよ答えは教えてくれないだろう。昔からそういう人だった。


「もし私をここから出してくれたら教えてあげよう」


 悪戯めいた笑顔で無理難題をふっかけてくる。

 弁護士ですら匙を投げた、比類無き舌三寸。

 息を引き取るその日まで、彼女の悪癖は治ることはなかった。


「話はそれだけかい? なら、私は休ませてもらうよ。そろそろ限界だ」

「あ、それと姉ちゃん」

「なんだい?」

「姉ちゃんは本気で誰かを好きになったことある?」


 僕の質問にきょとんとした顔になる姉。

 少ししてから、腹を抱えて笑った。


「ふふふ、君は随分と面白い質問をするね」

「そうかな? それで、答えは?」

「あるよ。いま、君を好きになった」


 そう言った姉の笑顔は、紛れもなく詐欺師のものだった。

 結局、同じ血が流れていたはずなのに、僕たちは最後まで理解し合うことができなかった。








 その夜は、息が白んでいた。


 アルバイトが長引いてしまい、駅についたのはいつもより遅い時間だった。

 そのうえ季節外れの雪で電車が大幅に遅れていたため、凍てつく夜風に身を震わせながら近くの定食屋に駆け込んだ。

 扉をくぐると暖かい空気が肌を撫でた。ほっと息をついてマフラーを外しながら、店内に視線を巡らせる。

 他に客はいなかった。あまり繁盛しているとは言えない様子だ。


「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」

「ええ、はい」


 出迎えてくれた店員は、僕と同じ大学生くらいの女の子だった。

 好きな席にどうぞと言われて、迷わず隅の席に座る。上着を脱いで椅子にかけていると、店員の女の子が水とメニューをテーブルに置いた。

 初めて訪れた定食屋だったので無難にカレーライスを注文し、店内に流れるテレビをぼうっと眺めていると、五分ほどで女の子が料理を抱えて戻ってきた。


「お待たせしました、うどんです」

「え?」


 そう言って置かれたのは、紛れもなくカレーライスだった。

 幻聴ではないだろう。カレーとうどんを聞き違えるはずもない。

 呆気にとられていると、女の子は首をかしげた。


「どうしたんですか? 冷める前にどうぞ」

「ああ、はい」


 もしかしたら彼女なりの冗談だったのかもしれない。寂れた定食屋に来た珍しい客を楽しませるために用意していた、渾身のギャグだったのかも。

 僕はそう思うことにして、無言でカレーを食べ始めた。

 温かい食事にありついている間、女の子は空いている椅子に座ってテレビを眺めていた。僕が食べ終わるまでやることがないんだろう。

 そう思うと、急かされてるわけでもないのにいつもより早く手が進んでしまった。居心地が良いとは言い難い空間に、知らず知らずに気圧されていたのかもしれない。

 僕がスプーンを置いたのを見計らって、女の子が近づいてきた。

 そのまま食器を下げると思いきや、彼女はいきなり僕の正面に座った。

 じっと僕の顔を見る。

 長い睫毛に、病的なまでに白い肌。小柄で痩せていてろくに食事もとっていないような印象を受けた。定食屋の店員にしては不健康な顔色だったけど、その表情は明るかった。


「あの、なにか?」

「美味しかったですか?」


 投げられた言葉はありきたりなものだった。

 とはいえまさか店員から料理の感想を聞かれるとは思ってもいなかった僕は、少し困惑しつつ頷く。


「……はい」

「私が作ったんですよ。隠し味、わかりました?」


 身を乗り出すようにする店員の少女。

 残念なことにこの空間で隠し味を吟味できるほど、僕の肝は太くない。


「さあ。わかりませんでした」

「そうですか」


 あからさまにガッカリする。

 コロコロと表情を変える人懐っこい少女。いきなり話しかけられたのは驚いたが、悪い子ではなさそうだった。

 とはいえ初対面の相手に気の利いたことが言えるような人間に育たなかった僕は、迷った挙句にやっとのことで一言だけ絞り出す。


「あの、でも、本当に美味しかったです。カレー作るのお上手ですね」

「ありがとうございます」


 朗らかに笑んだ少女。

 なんとか体裁はとりつくろえた。正直、あまり他人と話す生活をしていないため、まともに会話ができるかどうかも不安だったのだ。

 僕は水を飲んで乾いた喉を潤す。

 すると少女は内緒話をするかのように小声で言った。


「カレー、実はレトルトだったんですよね」

「ぶっ!?」


 つい噴き出してしまった。

 コップの水も飛び散り、少女が慌ててフキンを持ってきてテーブルを拭く。


「ごめんなさい! 服も濡れちゃいましたね……」

「それは、別にいいんだけど」

「もしかして弁償ですか? すみません、何でもしますから許して下さい!」


 必死に頭を下げ始めた。

 つかみどころのない少女に、僕は逆にどうしていいのかわからなくなってしまう。ふつうの定食屋で抱くべき感情の域を、遥かに超えてしまっていた。


「いや、水だし……別にいいですってば」

「本当ですか? ほら、こういうとき体で払えとか言いません?」

「言わないから」


 苦笑した僕の顔を見て、少女は安心したように息をついた。

 彼女はフキンを厨房に持っていく。

 目的だった食事も終えたし、これ以上わけのわからない店員を相手にする必要はないだろう。

 鞄から財布を出した時、ちょうど少女が戻ってきた。


「本当にごめんなさい」

「もういいですってば。お会計お願いします」

「すみません……八百円です」


 しおらしくなってしまった少女は、僕からお金を受け取ると泣きそうな顔で言った。


「お釣りです……あの、また来てくださいなんて言うのは図々しいですよね?」

「いや、そんなことないですよ。レトルトにしては美味しいカレーでしたし」

「本当の本当は、私が作りました。すみません」


 深く頭を下げる少女。

 まあ、よくよく考えたら当然だった。

 さっきのは彼女なりの冗談だと思うと、少し笑えてくる。


「まあ考えようによっては面白かったし、また来ますよ」

「本当ですか!?」


 顔を輝かせる少女。


「あ、でも社交辞令って可能性もありますよね……すみません、調子乗りました。自戒します。それか自害します」

「自害はやめて」

「だってそう簡単に許してもらえるなんて思っちゃいけませんよね。でもでも、ツイッターとかで悪評だけは広げないでもらえると助かります……こんなことがバレたら店長に殺されちゃうんですよ」

「……え?」

「うちの店長怖いんです。血も涙もなくてすぐ殴るし蹴るし、でも私、親が残した借金があって働かないわけにはいかなくて。しくしく。だからどうか内密にお願いします」

「いや、あの、そうじゃなくて」


 僕は彼女の胸をさして言った。


「そこに『店長』って書いてるの、気のせいじゃないよね?」


 少女がつけている名札には『店長・鷺宮白亜』と書かれていたのだった。

 僕が指摘すると、彼女はぽんと手を打って照れたように笑った。


「えへへへ。バレちゃいましたか」


 鷺宮白亜。

 まるで嘘と冗談から生まれたような。

 かつて生きていた僕の姉を彷彿とさせる、口達者で儚い少女。


 これが、僕と彼女の初めての出会いだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 切ない雰囲気をかもし出しつつ、なんでカレーをうどんと信じて食べるんだよ!と言いたくなるタイトルですね。 間違いなく内容が気になっております。どんな話なのかわからないのに、確実にちょっと読ん…
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