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竜菓子店シャルロッテへようこそ!

 竜蜜。


 今は絶滅したとされる、『竜』が流す涙を指す言葉。


 その甘みは深く、濃厚で、得も言われぬ芳香があり、食べたものを虜にする。そして、万病に効く薬でもあった。


 全身を火傷した者も、不治の病に冒されていた者も、竜蜜を一雫飲めばたちまち完治したという。


 故に『竜』は乱獲された。そして、世界に遍く存在した『竜』は、ある時を境に姿を消した。


 絶滅した、と言われているが、本当は少し違う。


 『竜の守り手』と呼ばれる一派が、この世界より『竜』を隠したのだ。


 人々は『竜の守り手』を探した。『竜』をどこに隠したのか、占有する気なのか、『竜』を寄越せ、言いたい事は山のようにあっただろう。中には手荒な手段に出る者もいたはずだ。


 だから、『竜』と共に『竜の守り手』も姿を消した。元からそう言われていた者も、『竜』を守るためにそうなった者も。


 そして数百年、今では『竜』の存在は幻のものになりつつあるこの頃。


 煉瓦造りの瀟洒な建物が並ぶ街の外れにある、小さなお店の裏方で、少女が一人叫び声を上げていた。


「お金が足りなーーい!」


 年の頃は15、6才程の金髪の少女が、頭を抱えて机に突っ伏した。目の前には山と積まれた請求書の山と、羽ペンにインク壺、真っ赤な帳簿が広がっている。


「店長、今更なんですからそう取り乱さないでください」


 物腰の柔らかそうな白髪の青年が、背後からそっと少女の肩を叩いた。がばっと顔を上げた少女は、苦悩と苦心と恨みに歪んだ顔で一息に言い放つ。


「それもこれもお菓子が売れないせいよ! あのダメ親父、調理の腕は一流だからって高い材料使いすぎなのよ! 蜂蜜じゃだめ、白砂糖(グラニュー糖)だ、じゃないのよ本当に! きぃぃ、貴族との繋がりがあるならまだしもあの値段じゃ売れる物も売れないわ! かといって値下げしたらただの赤字よ、嫌になっちゃう!」


 そう言って、少女は引き出しの一番上の段を開けた。そこには売れ残りの形の綺麗な焼き菓子がたっぷりと入っていて、それを鷲掴みにして口に運ぶ。


 少しシケているが味は悪くない。悪くないどころか、それこそ貴族や王族に出しても恥ずかしくない繊細な味だ。少女の表情もその焼き菓子の味に少し緩む。


 少女はぼりぼりばりばりと口いっぱいにお菓子を頬張る。作った父親が売り物にできないと判断したものだ、本来は廃棄されるこの店の商品だったものである。かといって捨てるのは勿体ない。おかげで少女は店の経営難と自分の体型維持の両方に頭を悩まさなければならない。


 ここは『洋菓子店シャルロッテ』の事務所兼住宅である。シャルロッテの店長を務めるのはここの調理人である父親・モーガンの娘・シャーロット。そしてシャーロットが生まれる前から裏方の事務を一手に引き受けてくれていた、従業員の青年・ケリー。母親は居ない、三人暮らしである。


 ケリーは一体どうやって十数年もこの店を維持してきたのだろうか。店長になって一年経つが、経営は右肩下がり。シャーロットはそろそろ限界が近い。特上のお菓子でも癒しきれない胃痛と頭痛に苛まれている。


「……仕方ありませんね。そろそろ店長にも、お話した方がいいかもしれません。このままではこの店、潰れかねませんし」


「話って何よ。儲け話? 商品の秘密の流通ルート? 材料費の削減? いえ、最後のは無理ね、親父が一流の素材以外使うはずがないもの」


 最後に一枚だけクッキーを摘んで引き出しをしまったシャーロットは、背後に控えていたケリーに向き直った。


 すると、思いの外真剣な面差しのケリーがシャーロットを見つめている。最後のひとかけをごくんと飲み込んだシャーロットは、思わず居住まいを正した。


「モーガンは知っています。店長が産まれるまでは、いえ、店長が店長になられるまでは、それで店が成り立っていました。しかし、秘密の守り手は少ない方が良い。店長が成長した暁に、私がお話するかどうかを決める。モーガンとはそう約束していましたし、私は店長になら話してもいいと思っています」


 何やら不穏な空気である。余程重大な秘密である事は分かる。分かるが、家族同然の従業員であるはずのケリーが、何だか知らない人のように思える。


「それは……何?」


 シャーロットはゆっくりと言葉を選び、慎重に問う。ここで取り乱してはいけない、飛びついてもいけない、なんだかそんな話のような気がしたからだ。


「では、ついてきてください。この店の……いえ、店長、貴女の秘密を教えましょう」


「私の秘密?」


 生まれてこの方、秘密なんてものを抱えた覚えはない。


 せいぜい秘密と呼べるものがあるとすれば、シャーロットを産んで、体の弱かった母が死んだ。それ位だが、そんな事はこの街に住んでいる人は誰だって知っている。それでも口には出さない、だから秘密なだけであって、隠し立てするような事でもない。


 子供を産んで亡くなる女性は珍しくないからだ。


 ケリーは事務所から店に出るのとは反対の、倉庫に行く扉に手をかけた。肩越しに、さぁ、と促してくる。


 渋々、片付かない伝票の山を後にしてケリーの後ろをついていった。倉庫の床に隠し扉があり、その階段をカンテラ片手に降っていく。


 やがてゴツゴツとした岩肌の通路に出た。背後で水の滴る音がして、シャーロットは飛び跳ねそうになる。ケリーの上着の裾を掴んで叫ぶのを堪えながら、暗い洞窟の中を2人で進んで行く。


 どの位進んだ頃だろう。やがて、前方に光が見えた。シャーロットはホッとし、ケリーはカンテラの明かりを消した。そしてシャーロットに向き直る。


「決して大声をあげたり、必要以上に驚いたりしないでください。これから貴女は重大な秘密を知ります。絶対にその秘密を守る、これを約束できますね?」


「で、できるわ。……お店を潰さない為には、必要な事なんでしょう?」


「はい。貴女ならきっと、秘密を秘密のまま、そしてこの秘密をうまく活用してくださるはずです」


 ケリーはふと笑ってそう告げた。


 どんどんと光の方向に進んで行くにつれ、地面は苔むし、光の正体である天井に穴が開いた空洞は、植物であふれていた。


 シャーロットは思わず両手で口を押さえた。そうでもしないと約束を破って叫びそうだったのである。


 そこに居たのは、『竜』だった。


 黄金色の鱗に覆われ、巨大な頭と羽を持ち、太い腕を畳んで大人しく寝そべっている。高い天井の上から射し込む光に照らされた姿は、絵本で見るよりずっと美しく、壮大だった。


「あら、連れて来たのね。なら、この子は選ぶ時が来たのかしら」


 竜は優しげな女性の声で喋った。まだ驚きに目を見開き、ケリーの後ろに隠れるようにしていたシャーロットは、恐る恐る竜の前に立った。


「選ぶ時、ではありません。それはまだこれからの話でしょう。まずは貴女とシャーロットを会わせなければ」


「そうね。……こちらへおいでなさい、シャーロット」


 竜の声はひどく優しい。言われるまま、シャーロットは竜に触れるほど近くまで進み出た。そして、その肌に触れる。


「おかえりなさい、シャーロット。そして初めまして。私は貴女の母、シャルロッテ。見ての通り『竜』であり、ケリーとモーガンは私の『守り手』よ」


 ぽかん、とシャーロットはシャルロッテと名乗った『竜』を見上げてしまった。


 自分の母が『竜』、父親と家族同然の従業員が『守り手』? 頭が全く追いつかない。


「おかあ……さん?」


「そうよ」


「親父とケリーが……守り手?」


「そう。そして、貴女は『竜』の子として生きるか、『守り手』として生きるか、いずれ選ばなければならない子」


 あんまりである。いきなり伝説の『竜』を自分の母だと言われ、あまつさえ、自分も『竜』として生きるかどうかを問われる。これなら伝票の前で頭を抱えていた方がマシだった。


 すとん、と力が抜けた体を、母だと名乗った竜の腕が優しく抱きとめてくれた。


「この子を連れてきたという事は、またあのお店を始めるのね?」


「そうです。やはり、表向きのお店だけでは経営がままなりませんので」


「『守り手』は姿を消した……目立たないように街に溶け込み、一般人として生きる。モーガンにはやっぱり難しかったかしら」


 一体この2人は何の話をしているのか、シャーロットには分からなかった。分からなかったが、経営者としてここは自身の出生よりも気にしなければならないところである。


 何とか自分の足で地面を踏み締めて立つと、目の前の『竜』とケリーを見て、これ以上無いほど真剣な眼差しを向けた。


「その話、詳しく聞かせてください!」


 死んだと言われていた母親が『竜』だった事も、調理の腕位しか取り柄がないと思っていた父親と生まれた時から一緒にいた従業員が『守り手』だった事よりも。


 お店を建て直す方法があるのなら! まずはそちらから窺いましょう!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 明るいタイトル! 元気がもらえそうな予感がします。 竜菓子店というのが気になりますね。 竜がしているお菓子の店なのか、竜のためのお菓子の店なのか。 看板娘の衣装がどんななのか、気になります…
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