俺と幼馴染が殺し合うまで、あと七十五日
「征ちゃん……。世の中って、難しいね」
見た事のない綺麗な青い月の夜だった。三笠征四郎は、幼馴染が悲しそうにそう呟くのを黙って見ていた。誰も居なくなった学校の校庭で、彼女がそれでも気丈に笑おうとしているのがわかる。いつもあどけなく笑っていた彼女の背からは、優しく闇に光る白い翼が見えている。そして、彼女から少し離れた場所に視線を動かすと、大地に白く大きな剣が突き刺さっていた。剣と大地の間には、黒い人型の物体が挟まっているように見える。
「んー……。そうだな、寧子。本当に、難しいよな」
幼馴染──来栖寧子に声をかける。家同士で付き合いがあるので、彼女の事は幼稚園の頃から知っている。その頃から今に至るまで、ずっと同じクラスで一緒に育ってきた。細身の体に、女子としては高い身長。色素が生まれつき濃くないのか、真っ白な肌に茶がかかった髪の色をしている。白い翼なんて生えていたっけ?なんて思うが、いくら思い出してみても生えていた事なんかない。それどころか、「世の中って難しいね」とかそういう重い言葉を使うような人間でもなかった。
「……ねぇ、征ちゃん。どうしていつも通りなのっ!? なんかこぅ……もうちょっと、驚いてよ!? あたし、翼生えてるっしょ!? この剣だって見てよ! あたしがやったんだよっ!?」
「見りゃわかるわ。……どこか怪我とかしてないか? 痛いところとかないか? 病院行きたいんだったら付き合ってやるぞ」
「その優しい気遣い嬉しいけど……。なんか求めてた反応と違う!」
言葉と共に、寧子の純白に輝く翼が震え、周囲に光が溢れる。きちんと見えた彼女の顔は、先程とは違い、何時もと変わらない。人懐こい、あどけなくこちらがほっとするような笑顔だ。やがて、もう一度翼が強くはためくと、寧子の体が一瞬ブれた後に、白い翼が背中から生えた純白のワンピースを着た金髪の少女が現れた。まるで──天使のようだ、とまで言いかけ、
「ああ、征ちゃん紹介するね。こちら、天使のエリーゼちゃん」
言葉にするまでもなく、そういう事らしい。天使らしい少女は征四郎を睨んだまま何も言わない。横に居る寧子が身長高いのもあって、随分と小さく見える。本当に、征四郎の想像するような天使の姿だった。そして、寧子は得意げに胸を張り、自分が何故天使と一緒に居るのかを語り始めた。曰く、生徒会が終わった後、屋上で昼寝していたら空から落ちてきた。曰く、何か可哀想だったので協力してあげる事にした。
「全く意味がわからねぇんだけど、とりあえず、犬や猫を拾うみたいに天使拾うってどうなの?」
「だってしょうがないじゃん。エリーゼちゃん可愛いかったんだもん!」
「本当に犬や猫拾ったみたいな言い訳出てきちゃったよ……」
寧子が錯乱や混乱している様子はない。何時もに近くなっている。その事実に少しだけ安堵した。
「んで、その天使サマと一体何やるってんだよ?」
征四郎の言葉に寧子はふふん、と笑い説明が始まった。この世界には人間の他に天使と悪魔が居て、常に勢力争いをしているという事。天使は人間の正しい感情を主なエネルギーとし、悪魔は人間の負の感情をエネルギーとしている事。悪魔は負の感情の強い人間と合体し欲望のままに暴れる事で、負の感情で埋め尽くそうとしている事。天使は人間と合体し、力を貸す事で世界の平和を守り、正の力で満たそうという活動をしているという事。ざっくりといえばそんな説明がされた。
「というわけで、征ちゃん。あたし、正義の味方になったから!」
「……なるほど。何か、色々納得できたわ。そんで、早速悪魔と戦ってたってわけか」
「……ん。そうなるね」
寧子が地面に刺し貫かれている黒い人型の物体──悪魔に視線を動かす。
「そこで転がってるの、多分初芝先生だよな? セクハラで訴えられて謹慎くらってた気がするんだけど」
「うん……。先生、悪魔に憑りつかれちゃったみたいでさ。最近、この辺で女の子が襲われる事件あったでしょ? 犯人やっぱ先生だったみたいで……。でも、大丈夫だから! この後エリーゼちゃんの力で悪魔の浄化と先生の体治せるみたいだからさっ!」
どこまでも優しく前向きな幼馴染だった。悪魔は負の感情の強い人間と合体すると言っていた。元を辿れば、そういった人間に憑りついただけの話なのだ。寧子が救う価値なんてあるのだろうか。征四郎の顔が歪む。そんな表情が不安になったのか、寧子が駆け寄ろうとすると、
「ダメです。寧子」
エリーゼの声が響き、寧子と征四郎の間に白い光の筋が入った。いつの間にか悪魔の体に突き刺さっていた剣が抜けており、エリーゼが地面に叩きつけるようにして振ったらしい。
「エリーゼちゃん……?」
寧子が咎めるような視線を送るが、気にしていない。むしろ、寧子を守るようにして征四郎と彼女の間に立ち塞がった。
「貴方、何なんですか?」
「えっ? 征ちゃんだよ? あたしの幼馴染の。さっき話をしたじゃん」
「……そういう事ではなくて。どうして、ただの人間なのに、私が張った結界の中で動けるのかと聞いているのです!」
ああ、そういう事なのかとようやく征四郎の中で合点がいった。本当に見た事のない美しい青い月だったから。道を歩いていたら、急に月が青く染まっていくから。一番濃く美しく見えるこの場所まで歩いてきたのだ。これが結界というものらしい。
「天使の気配も感じない。悪魔の気配も感じない。本当に、何なのですか!?」
エリーゼの言葉に征四郎は何も言わない。むしろ、自分だって情報を色々と整理しているところなのだ。最近己の身に起きた事。寧子がこんな事になってしまったのをすんなりと受け入れている余裕。全てが繋がり始めている。
「俺だってわからねぇけど。……でも、やらなきゃいけない事はわかったよ」
言葉と共にたん、と大地を蹴ってエリーゼへと接近。完全に虚をついた動きだった。応戦姿勢に入った時には既に征四郎の手は彼女の細い手首を掴んでいた。そのまま手首を捻り、咄嗟の痛みにエリーゼが剣を思わず手放し、それをキャッチ。体を一度回転させ、エリーゼを弾き飛ばすとその勢いのまま、いつの間にか寧子の後ろに立ち上がっていた悪魔目掛けて、思い切り剣を投げつけた。
「──ォッッッ!!!!」
人間離れした勢いで剣によって正面から刺し貫かれた悪魔は、声にならない悲鳴を上げて再び串刺しとなった。背後では、エリーゼが再び寧子と合体したらしく、少し振り返ると視界の隅で白い翼がはためている。
「なぁ、寧子。お前、本当にこいつを救うつもりか?」
「うん。救う」
「お前を殺そうとしたんだぞ?」
「知ってるよ。でも、それがあたしの役目だから」
どうしようもねぇ……と悲しくなる。来栖寧子は善良な人間だ。人を嫌いになれない。どんな人間だって良い所を必ず探そうとしてしまう。そういった美徳の部分を悪党に目をつけられて、今まで危険な目に遭った事を征四郎は知っている。彼女の姉と共に、ずっと守ってきたからだ。今も殺されかけたというのに助けようとしているなんて、どうしても征四郎にはその感情を理解できなかった。
「そうか……。なら……」
憎悪が湧く。寧子を脅かす輩が許せない。この世に居てはいけない。憎しみと共に、刺さった剣の柄を握る。すると、剣がみるみる内に黒く染まり、漆黒の大剣へと変化した。そして、自分の全てをの負の感情を抑える事無く、力任せに剣を握る。
「くたばれ、クソ野郎」
言葉と共に爆発が起きて、悪魔の体が黒い霧となって四散した。力の使い方がわかってきた。この力を以って何をすればいいのかも。そして、大きく息を吸って黒い霧を飲み込む。頭が一瞬くらっとして転びそうになるが何とか堪える。その次に来たのは、快感だ。心地よい気持ちよさと共に自分の体を見ると、手に黒い文様が薄く光っている。
「悪魔……いえ、でも。何かおかしい。気配が無さすぎる……っ!」
「なぁ、天使さんよ。悪魔ってのはあんた達と一緒で人間と協力関係にあるのか?」
「いえ……。基本的にあいつらは人間の意思を乗っ取ります。波長が合う場合はそうでもないでしょうが……」
「そうだよな。俺も乗っ取られる寸前だったよ。……でもその時、人間が勝ったら俺は悪魔になるのか?」
征四郎の言葉にエリーゼが絶句する。悪魔が人間を乗っ取るのは一般的だが、その逆は聞いたことがない。彼の負の感情はどれ程のものだったのか。どれぐらい何かを憎み、恨み、妬み、殺したくなれば悪魔に勝てるのだろうかと想像もつかない。エリーゼが何も言い返せないでいると、寧子が一歩前に出た。何時ものように、優しく笑いながら。
「大丈夫だよ、征ちゃん。あたしが助けてあげるから」
その言葉に征四郎は首を振り、同じように優しく笑うと、
「助けなんかいらない。──悪いな、寧子。俺はこの悪魔の力を使って、この街をぶっ壊すから!」
征四郎は両手を広げて高らかにそう宣言した。この街の名は、三笠市。世界的大企業、ミカサの本社がある街。彼らが生まれた街。そして、彼が最も憎む街。寧子は彼がどうして憎むのか全て知っている。幼馴染だから。ずっと一緒に育ってきたから。だが──それでも寧子も負けじと高らかに宣言した。
「それでも、あたしは征ちゃんを救うよ。あたしの大事な、幼馴染だから!」
これは、ある幼馴染の男女の親愛の話。
天使と悪魔の戦争の話。
そして──彼と彼女が殺し合う、七十五日前の話である。





