前世で無敵だった勇者の機械セカイ魔法無双
泥の中で拾った石は真っ白で美しくて、たちまち俺はとりこになった。
最後の恩赦日だ。
『外界』に出ていい日なんか、俺にはもう、二度と来ない。
あたりには俺みたいな囚人がたくさんいて、そいつらはそこらじゅうに湧いた沼に腰まで浸かって血眼になっていた。
気の良いじいさんも、クールを気取ったおっさんも、無邪気な子供も、みんなみんな必死に探している。
俺は今拾ったものの価値を思い出して、急いで拳の中にしまった。
この囚人服にもポケットはあったけれど、そんな腰をかがめた拍子に『ぽろり』と落ちそうなところに入れておくつもりにはなれなかったからだ。
『機翔石』は俺たち囚人にとって希望だった。
これさえあれば、空に帰れる。
あの紫色の毒々しい雲の上……青いセカイで暮らす権利を取り戻せるのだ。
俺はまた腰をかがめて沼の中をさらう。
二個目が見つかるだなんて思っちゃいない。
見つかったと周囲に知れると面倒くさいことになるとわかっていたから、まだ見つかってないようにふるまう必要があったんだ。
そうしているうちに探索タイム終了を告げるラッパが鳴って、囚人どもが動き出す。
気楽そうな顔をしているのは、まだ今日が最後の恩赦日じゃないやつらだろう。
あきらめきれずに沼をさらっている奴もいたが、看守が走ってきて沼から引きずり出した。
「まだ探させてくれえ! 見つかる! あと少し探せば見つかるはずなんだ! そっ、空には妻と娘がいる! 俺の帰りを待ってる! だから、あと少し、あと少しだけっ……!」
「黙れ!」
看守の電磁警棒が叫ぶ男を無慈悲に打ち付け、周囲で似たようなことをしていたあきらめの悪い連中も、青ざめて沼から上がる。
それは、ただ麻痺効果を与えるだけのはずの電磁警棒で殴られた男から、焦げたニオイが立ち上っていたからだろう。
今日の電磁警棒の出力はあきらかに高すぎる。
きっと『囚人殺しのバリー』が今日の見張りどもの指揮を担当してる。
今日の電磁警棒の出力は、あいつの一存でいじってあるに違いなかった。
囚人をいたぶって鬱憤を晴らすのが何より好きな最悪のサディスト。あいつが当番を務めてるなら、静かにうつむいて過ごすのが一番生き延びる確率が高いのだとみんなよく知っている。
だから、命が惜しい連中が顔を背ける中で、最後の恩赦日を終えた俺は……
殴られ、痙攣しながら倒れ伏すおっさんに近寄った。
看守が目を怒らせる。
「おい、貴様!」
声も視線もけわしかった。
でも眉根にはシワが寄っていて、電磁警棒の予想外の出力におびえ、俺を相手にふるいたくないのだという内心がうかがえるようだった。
実際、看守の老人は小さな声で言った。
「クロウ、やめるんだ。お前を殴りたくない」
わかるよ、あんたも家族がいるんだろ。
だから自分の役割をこなさなきゃいけないんだ。
俺にはもういない。
だから『これ』はきっと、家族がいるやつが持ってるべきなんだろう。
俺は電磁警棒を食らってノビているおっさんのポケットを探った。
そして、手の中にしのばせていた『機翔石』をつかんで、かかげる。
「ポケットに入ってたぜ」
「クロウ……!」
「いいんだよ看守のじいさん。沼地をさらって機翔石を見つけることを『石に選ばれる』って言うんなら、石は孤独な俺じゃなくって、家族のいるやつを選んだってことだろ」
看守はなにか言いたそうだったけれど、言葉は出てこなかった。
それは俺の様子を見て、これ以上の忠告の無駄を悟った……とかではない。
収容所のほうから、彼らの上官である『囚人殺し』のバリーが、部下を十名も引き連れて、ゆったりゆったり歩いてきたからだ。
肥満体には沼だらけのこの地面を歩くのはきついらしく、あいつがこうして『外』に姿を見せることは滅多にない。
だからきっと、あいつは俺の最後の恩赦日が無駄に終わったことを祝ってくれるつもりなんだろうなと思った。
看守たちが敬礼し、醜い看守長のための道を作る。
その道はやっぱり俺まで続いていて、バリーは汗を拭き拭き、俺の目の前まで来てヌチャリと笑った。
「どうですクロウさん、君の石は見つかりましたか?」
「残念なことに見つからなかったよ」
「そうですか! それはそれは悼ましい!」
バリーは脂肪でぷっくりした頬を上げられるだけ上げて笑っていた。
「クロウくん、君の生意気な態度も、皮肉げな物言いも、今となっては懐かしく思います。私に表立って逆らったらのは、囚人、看守両方含めても君だけでした。その君が! 石をついに見つけられずに死罪! いやあ、やはり神は『石』のない者を人とは認めていらっしゃらないようで!」
楽しげに笑うそいつを見る。
憎たらしくて忌々しいやつだと思っていたが、今は不思議と哀れに思えた。
「バリー。これで俺は死刑執行っていうわけか。よかったな」
「ええ、ええ。……ただ唯一、残念なことがあります。クロウくん、君がなんの未練も感じていないこと、それが、私にはとても悲しい」
『死を覚悟した者を殺すのは張り合いがない』という意図に決まっていた。
バリーは救いようのないサディストだ。弱者をいたぶって肌を艶めかせ、生を望むものを殺した時の悲鳴を聞いて肥える性質の持ち主。
だから俺は、ちょっとだけ喜ばせるようなことを言う。
「いや、俺だって生きたいよ」
石を見つけた時には、たしかに自分のものにしようと思ったし。
周囲の囚人に見つかって奪われないように、小癪な偽装もしたし。
それもこれも、生きるためだ。
でも、『どこかの子供が親を失うのか』って気づいたら、なんか、どうでもよくなったんだ。
「しかし、君は『石』を見つけられなかった。君の死刑は、本日中に執行しますよぉ?」
「うん、だから、逃げることにする」
「は?」
「『空』に戻るのはやめだ。お前を倒して、地を這いずって生きていくよ」
しばし、バリーは言葉の意味がわかりかねるように黙りこくっていた。
たっぷり十秒近く経って、ようやく、その脂肪でぷくぷくした顔を赤くし、怒りをあらわにした。
「できると思っているのか!? 『石』のないゴミの分際でッ!」
「試してみるか?」
「やってみろ! ……『エクスマキナ』ァ!」
バリーが叫ぶと同時に、どこからか、男とも女ともつかない声がする。
━━機翔石ID、確認完了。
━━武装要求、承認完了。
━━翼の一時返還、許諾完了。
━━濁った翼を持つあなた。よきフライトをお楽しみください。
バリーの胸の中から毒々しい虹色の『石』が浮かび上がって、肥大化、繭のようにその肥満体を包み込む。
繭は一瞬で消え去り、次にあらわれたのは、油を流したような、醜い虹色の輝きを放つ薄羽を背負った、金属質な姿だった。
嗜虐心をあらわすような、刺々しく、歪んでいて、そしてでっぷりと肥えたフォルムのそいつは、わずかに浮遊し、背中にある六枚の薄羽を大きく広げた。
「石を持たぬ『欠損児』の分際で私を舐めたこと! 後悔させてあげますよ!」
金属のバイザー越しの、微妙にくぐもった声が、威圧的に響いた。
この世界では、誰もが生まれつき金属の翼を持っている。
人は、神より授かったというその翼で空を舞う。
それゆえに瘴気にまみれた地上を捨てて、空に都をかまえ、そこで過ごした。
だが……誰もが生まれつき備えているはずの『翼』を、持って生まれることができなかった者や、なんらかの事情で失ってしまう者もいる。
そうすると瘴気にまみれた地上に墜とされ、再び翼を……翼を神より借り受けるための許可証たる『機翔石』を見つけるまで、空には帰れない。
そういった者は普段、監獄に収監され、七回だけ『機翔石』を見つけるために監獄の外に出るチャンスを与えられる。
その七回のうちに見つけることができなければ、『この世界に生まれるべきではなかった』とされ、殺されるのだ。
逃げようとしたって無駄。
看守は翼を持っている。
機械の翼を備えた者と、翼持たぬ者の力の差は圧倒的。
翼を持たない者は、絶対に翼持つ者に逆らえない。
それが、この世界の、常識。
この世界で生きていくつもりだった俺が、心にとどめて生きていこうと思った、この世界の『普通』。
でも。
どうにも俺は、この世界のルールには嫌われてしまったようだ。
ならもう、俺は俺なりのやり方で、生きていくしかないだろう。
だから、俺は自分の胸に手を当てて、つぶやいた。
「聖剣、抜刀」
心という鞘から抜き放たれた剣は、前世で世界を救った時と変わらない輝きを放っていた。
二度と見ることのないと思っていたきらめき。……たくさんの思い出がよぎって、思わずそのまばゆさに目を細める。
「なんだ、それは!?」
「聖剣だよ。ちょっと前世で勇者とかやってたもんで。前は人類の敵とかに立ち向かってたんだけど、今回はそうだな……」
抜き放った聖剣を直上に掲げる。
光そのものを剣のかたちに凝縮したようなそれは、はるか天空にある毒々しい雲に、一筋の切れ目を入れた。
切れ目からは陽光が差し込み、俺のいるあたりを照らす。
そのきらめきに宣誓するように、俺は高らかに告げた。
「機械の翼が支配する空に、剣と魔法で立ち向かおうか」





