超常探偵ゼオ
「いやぁ、ゼオさんの選ぶ豆はいいですね、香りがいい」
ソファに座った太り気味の中年男性は、コーヒーの湯気を仰ぎながら粘つく笑みでそう言った。その対面に座るゼオと呼ばれた男は、苦い顔をする。
「ゼオと呼ぶのをやめろと、何度言ったらわかる」
「毎度思いますけどね、何でそうこの呼び方が嫌いなんですか。沸光、いい名前だと思いますがね」
「世辞というものは、もう少し説得力をもたせるべきだ。沸光と呼べ」
沸石は水につけると沸騰するように見える鉱物である。沸光の両親はその石のことをよく知らなかったが、語感の良さだけで彼の名前をつけたのだ。俗に言うキラキラネームである。
「油田。さっさと本題に入ったらどうだ。あまり長いことお前のガマガエルのような顔を見ていたくない」
「えぇ。分かりました分かりました。本題と言っても二つありましてね、まずは一つ依頼を受けていただきたいなと」
「個人的な依頼か?」
「ええ勿論。ゼオさんは最近話題の殺人事件、ご存知ですかね」
「勿論知っている。日夜ワイドショーを騒がせているアレだろう。いまテレビつけてもやってるんじゃないか」
沸光は机に置かれていたリモコンを手に取り、テレビをつける。チャンネルを回せば丁度ワイドショーを放送しているチャンネルがあり、まさにその事件の報道をしているところだった。
「では、どこまでご存知で」
「事件が起きたのは十二日前、被害者は日折哲人50歳男性。容疑者はその息子である日折翔23歳男性。父親との口論の末、キッチンの包丁を使い父親を殺害。遺体を隠すも、十日前に悪臭が原因で通報され、現場に明確な証拠もあったため既に逮捕状も出ている。ここまでは至って普通の殺人事件だ」
テレビの画面を見れば、空撮で街の様子が打ち出されている。左下には日折翔の顔写真。テロップには「現在の追跡の様子」とある。
「この事件が大きく報道されている理由は、未だに容疑者が逃亡中であることにある。顔も名前も割れていて、今どこにいるかも分かっているのに、おたくら警察は未だに逮捕に至れていない」
「いやはや、うちの一課が面目ない」
油田はピシャリと広い額を手で叩いた。
実に十日間に及ぶ逃亡劇である。容疑者が潜伏しているわけでも顔を変えているわけでもなく、しかし未だに取り逃がしている現状。大半のワイドショーでは、警察の捜査能力に疑問が投げかけられている。
「それで、油田の依頼とはなんだ。実は犯人が日折翔ではないとか、そういう話か」
「いえいえ。まあ間違いなく犯人は彼ですよ。殺人事件自体はどうでもいいのです。ゼオさんにやって頂きたいのはですね、容疑者である日折翔の逮捕ですよ」
沸光は苦い顔をした。
「……逮捕は探偵の仕事じゃない。というか一般人に許されている事じゃないだろう。現行犯じゃあるまいし」
「逮捕というのは端的すぎましたね。正確には警察が彼を逮捕できるように、ゼオさんに容疑者を誘導してほしいのです」
沸光は最大限に苦い顔をした。
「『個人的な依頼』で?」
「ええ」
つまり警察と連絡も連携も取ることなく、何とかやれということである。
「もう警察がちゃんと逮捕してくれよ……一介の探偵がやれる範疇じゃない」
「ゼオさんは一介の探偵じゃないでしょうに。それに私がゼオさんに依頼しているということは、もうお分かりでしょう」
「ああ、嫌というほどわかる。お前がここに来るときはいつもそうだ」
沸光はため息をついてから、コーヒーを一口飲む。
「お前達公安は、この逃亡劇に超能力者が関わっていると考えているわけだ。この場合、恐らくは日折翔本人が超能力者か」
油田はニチャリと笑う。
「篠崎くん。資料を」
「はい」
油田の横で彫刻のように不動で座っていた女性が、ようやく動いた。彼女が一体誰なのか、恐らくは油田と同じく公安の人間であろうが、沸光の記憶にない人物だ。油田がこの探偵事務所を訪ねるときは、必ず一人だった。
沸光は取り敢えず素直に資料を受け取る。
「これは……」
「ええ。公安が独自で記録した、捜査一課が行った全ての作戦、そして日折翔の行動の軌跡を時系列順に並べたものです」
報道されていない詳細な情報の羅列であった。沸光は黙々と読み進める。最初は人員も少なかったが、三日もすれば警察は相当の人数を動員して包囲している。しかし日折翔は尽く警察の手をすり抜けていた。時として、警察の包囲を予見したかのように逆走することもあったようだ。
「一見して予知能力者だが、それにしてはルート選択がスムーズだ。幸運体質者にしては偶発性に乏しい。となれば、時間遡行能力者だな。遡行可能時間は一日ってとこか」
油田は大きな手で拍手した。
「お見事! 流石ですね」
「褒めても何も出んぞ。しかしA−クラスか。いよいよ俺がなんとかできる範疇じゃないな」
「そこを何とか!」
「少々よろしいでしょうか」
女性が手を上げて割り込んできた。気の強そうな声だ、と思いつつ沸光は発言を促す。
「どうぞ」
「時間遡行能力者とはどのような超能力者でしょう」
「えぇ……」
呆れつつも、沸光は油田を睨む。彼も苦笑しながら答えた。
「彼女は篠崎朱音と言って、公安の新人です。能力強化課程は終えているのですが、幾分その辺りの知識がまだ……」
「だから公安は駄目なんだろうが。先に終わらせておくべきだろう、こういうの」
「おっしゃるとおりで」
油田はヘラヘラと笑う。
「良ければゼオさん、解説していただけますか」
「はあ……」
見るからに真面目で頭の堅そうな女性である。沸光は渋々と頷いた。
「時間遡行能力者というのは、文字通り時間を巻き戻せる人間のことだ。恐らく日折翔の場合は最大一日だな」
「凄まじい能力であることは理解できます。しかし、今回の逃亡と関連性が見えません」
「時間を巻き戻せるっていうことは、何度でもやり直せるということだ。失敗して逮捕されれば、時間を巻き戻して逮捕されない方法を探すことができる」
右の道を選んで捕まれば、時を戻して左の道を選べばいい。これを繰り返し、正解の選択肢を選び続ける。能力者には今までのループの記憶が蓄積されていくのだ。
「時間が巻き戻ったことは、能力者以外には認識できない。だから他人からすれば、常に正解の道を何故か選び続けられているように見えるということだ。まるで未来でも見えているかのように」
「だから十日間も捕まっていない訳ですね。では沸光さんは、どのような超能力で対抗するのでしょうか」
「え?」
「はい?」
沸光と油田の目が瞬く。篠崎は二人の様子に首を傾げながら、続ける。
「建前上、公安の保護下にない能力者疑惑のある人物──東海堂 沸光の監視を私は任されました。しかし実際の私の任務は沸光さんの補助及び護衛であると油田さんから聞きました。そこから推測するに、沸光さんは探偵に偽装した公安の人間であり、公安が表立って行動できない場面で動く超能力者……と認識したのですが」
「篠崎くん。ストップストップ」
彼女の口から流れるように放出される情報に、沸光は置いてけぼりになる。油田も大分参っている様子だ。
「油田。つまり本題の二つ目とは……」
「まあ、ええ。彼女を助手として、ゼオさんの探偵事務所に雇ってはいただけないかと」
「……もう少し人選なんとかならなかったのか」
「人手不足でして。能力優先で選びました。まあ便利ですよ、彼女」
個人的にはもう少し柔軟な人に来てほしかった沸光である。
「篠崎さん、だったな。二つ勘違いを訂正させてもらおう。まず一つ」
沸光は一本指を立てる。
「俺は公安の人間じゃない。目はつけられているかもしれんが、本当にただの探偵だ」
「えっ。では、油田さんとは……」
「こいつが勝手に依頼してくるだけだ。しかも公安とは関係なく。そして二つ目だが」
沸光は二本目の指を立てた。
「俺は超能力者じゃない。マジで一般人だ」
「は……!?」
今度こそ篠崎は本当に驚いた様子であった。思わずソファから立ち上がる。
「で、では、一体どうやってこの犯人を捕まえようというのですか!? 超能力者が相手ですよ!?」
「さあ? どうやって捕まえるのでしょうね」
問い詰められた油田だが、彼は笑って答えるだけだった。
「何を悠長な……」
「ねぇゼオさん。日折翔の超能力に対抗することは可能ですか? もしできなければ、依頼は断って頂いても構いません」
「一応ある。確実とは言い切れないがな」
「なっ……!」
篠崎は立ったまま唖然とした。
「そんな、嘘でしょう!」
「ゼオさん。私も疑うわけじゃありませんがね、もし作戦があるなら聞いておきたいものです。何度でもやり直すことのできる、無敵の時間遡行能力者に、超能力無しでどのように対抗するのか」
沸光は立ち上がると、事務用の机の下にある棚を開け、ゴソゴソと何かを探しだした。
「お。あったあった。これを使う」
「これは……」
篠崎と油田は、彼の手の中にあるものをよく知っていた。
「サイコロ……ですか」
「そう。これを奴に振らせる。あとは根気の勝負だな」
沸光は笑い、テレビに映る日折翔の顔を見る。
「さあ日折君。ここからは地獄の時間だぜ」





