セブン・サークリッズ 〜アルファ・テストは現地にて〜
「うをーーー! なんだこれ、なにこれ、ナニコレ!!!」
情けない絶叫が勝手に博人の口をついて出てる。噴き出す自分の汗にアドレナリンの匂いが混じり、独特の『恐怖』の香りが博人をさらに追い込んでくる。
今、鈍く光る片手剣の剣先を重そうに地面に垂らし、棒立ちで叫んでるのが外山博人。この話の主人公である。
普段周囲には冷静沈着と評価され、今年入社した会社内で「お前ほんとに新卒かよ」などと先輩たちにからかわれる程度には動じない性格をしてた。
そんな彼なのだが、今、彼は人生で2度目の強度の恐慌状態に陥ていた。
「タカは先頭で盾、桃はバフよろしく。ヒロトは桃の右に下がれ。そこで2ターン分溜めてから、2段階乗せたアイススラッシュを一番右のドレインワームへ。外さなけりゃ問題ない」
静流先輩の冷静な声を、前に走りだす木島先輩の装備がたてる騒音が追いかける。
こんな時なのに、静流先輩の声にはほんの僅かな焦りも感じられない。今はそれがどうしようもなく気持ち悪い。
なぜなら、今僕たちが相対してるのは、本物の、実物の、動きまわるモンスターの一団なのだ。
ごつごつとした岩の塊のような『ゴーレム』は一体だけだが、ざっと見、縦にも横にも人間の3倍近い巨体だ。頂上の頭は巨体に釣り合わぬ小さなもので、その中央、一つだけ空いた暗い穴の奥、赤く煌めく光眼が僕らを見下ろしてる。
その足元を這い回るのは紫色の『ドレイン・ワーム』の群れ。
遠目にはミミズそのものなのだが、そのサイズは全く可愛くない。全長は3mくらいだろうか。一番細い部分でさえ、僕の胴回りくらいの太さはある。
そんなのが何匹も絡まりあい、そのヌラッとした表皮を絶えず動かし続け、時に鎌首らしき先端を持ち上げてこちらを威嚇してくる。
そして最後の極めつけ。
空中に浮かぶ魔物の影、『シャドウ・パーティー』。
半透明の霧のようなこいつに実態はなく、薄暗い影が空中を上下左右に揺蕩っている。人というよりシーツを被ったお化けのようだ。目なんかどこにも見当たらない。それでもこちらの様子を伺っているのが気配で分かった。
僕はこいつらを知っている。
どいつもこいつも、すぐに名前がわかる程度には見覚えがあった。
そう、どいつもこいつも『ゲーム』では戦ったことのある相手だ。
だがいくら元が3Dゲームだからって、原寸大、いや自分より巨大なサイズでリアルに出現してるのに、恐怖を全然覚えないのは絶対におかしい。
「ヒロト、今だ!」
盾を構えた木島先輩の覇気の籠った呼びかけに、かろうじて静流先輩の命令を思い出した。慌てて剣を構え、アイススラッシュを仕掛けようとして、そのまま固まった。
これはゲームじゃない。操作ボタンなんてないんだ。
一体どうやって魔法を出せっていうんだ?
え、まさか、あの呪文を口で唱えるのか!?
「ま、マジかーーー???」
「ヒロト君、早く!」
オロオロと戸惑う僕を勇気づけるように、今度は桃ちゃん先輩の柔らかい声が後ろから響く。
会社ではとろけるように優しい桃ちゃん先輩の声が、今は緊張からか少し固い。振り向けば、跪き地面に手をつけた桃ちゃん先輩の周りに、銀色の魔法陣が眩く輝いて見えた。
その左隣りに黒いローブ姿の静流先輩の姿が見える。先ほど僕たちに指示を出してた静流先輩は、今は両手で握った杖を空に掲げ、長ったらしい呪文を聞き取れないほど高速で唱えてた。
うわ、やっぱり唱えるしかないのか。
「おい! お前が撃たなきゃ俺がいけねえんだよっ!!!」
詠唱を始めようか迷ってると、ガツンという大きな音ともに後頭部に痛みが走った。
痛みに顔をしかめて右を振り仰げば、僕の顔に影が落ちるほど間近で純也先輩がこちらを睨んでた。僕の身長ほどもある大剣を軽々と肩に担ぎ、温厚な顔を狂気じみた色に染め、眼光鋭く見下ろしてる。
普段からは想像もつかない純也先輩のドギツい睨みに震え上がり、僕は覚悟を決めて口を開いた。
「せ、精霊霧氷の聖名を授かりし我が手に氷雪の力を与えたまえ! アイススラッシュ!」
片手剣を掲げて詠唱を始めると、どこからともなく細かい光の粒が集まりだし、手の中の剣を中心に渦を巻き始める。まるで映画のワンシーンのようなその幻想的な光景に、詠唱しつつも意識はそちらへと流れた。
純粋に、美しいと思った。
わけの分からない熱が僕の胸の中心に湧きあがり、体が熱くなる。その高揚のままに、僕は輝く剣をワームへ向けて振り下ろした。
青白い光の粒子が長い曲線を描く刃の姿を写し取り、振り下ろした刀身の勢いのままに一陣の輝く氷刃が走る。
斬撃は風のように音もなくワームを切り裂き、そのまま後方の藪まで切り分けた。
一瞬の間をおいてワームの体が縦にサクっと切り割られる。綺麗な断面をこちらに晒しながら、二つに切り分けられた体がズルリとその場に崩れ落ちた。血のようなものは全く見えない。血がないのか、それともアイススラッシュで凍ったのか。
呆然とその様子を眺める僕のすぐ横を、二つの風がすごい勢いで駆け抜けていく。
左側を駆け抜けたのは、静流先輩の放ったライトニング・サンダー。
バリン、としか言いようのない硬質な音が、まばゆい一閃の輝きの後を追って耳に届く。豪速で走り去った雷光の尾が向かったその先で、直撃を受けた影の魔物がその全身を激しく震わせ、次の瞬間、破裂するように霧散した。
同時に右側を駆け抜けたのは、さっき僕の後頭部を小突いた純也先輩の頑強な体躯。大剣を頭上に掲げ、猛々しい雄たけびとともにゴーレムへと真っ直ぐ突っこんでく。
「うをぉぉぉおおおおお!」
まだゴーレムに届かない!
そんな場所で地面を蹴った先輩は、空中に飛び上がりながらその大剣を振りおろ・・・さずに、投げつけた!
「あー・・・俺の、作った、最高品質のガッソーブレードが・・・」
今まで一番後ろから静かに状況を見ていた町田先輩の、哀愁漂う呟きがかろうじて耳に届いた。
* * *
「ジュン、物品投げるクセいい加減治せよ」
「なぜに?」
「ガッソーブレードは投擲武器じゃない」
「でも投げれるで」
「そういう問題じゃない。俺はそんな使用目的で鍛えてない!」
少し離れた場所で先輩たちがやりあう声が聞こえてくる。
聞き取れはするが、まるっきり頭に入ってこない。
「あー、ヒロト。生きてるかー?」
「・・・・・・」
頭上から青木先輩の呑気な声が落ちてきた。
返事ができないのは、息切れのせいだ。
決して歯の根が合わず震えてるからなんかじゃない。
小気味よくポンポンと続く先輩たちのやり取りをバックグラウンドに、僕は地面に両手をついてへたり込んでいた。頭の中では、さっきまでの戦闘が何度もフラッシュバックしてくる。
あの時剣をゴーレムに投げつけた純也先輩は、なぜかそのまま素手でゴーレムに殴り掛かった。
三倍近い体格差をものともせず、四つに組んでプロレスのような取っ組み合いを始めた。
純也先輩とゴーレムの激しい立ち回りのせいで、それまで先頭でワームを威嚇してくれていた青木先輩までがゴーレムの動きをけん制するので手いっぱいになり。
結果、まだ生き残ってたワーム数匹が散開し、それぞれバラバラに僕たち後衛に襲いかかってきたのだ。
不測の事態にも関わらず、静流先輩と町田先輩は動じずに桃ちゃん先輩の左右に立って、襲いくるワームをケチらし始めた。町田先輩は確か鍛冶職だったはずなのに、しっかり大槌を振り回して応戦してた。
だが残念なことに、その時点で僕の面倒を見てくれる人は誰もいなくなってしまった。いっそ桃ちゃん先輩と一緒に守ってほしかった。さもなくば全部そちらで引き取ってほしかった。
むろん現実はそれほど甘くなく、一番小ぶりのワームが一匹、真っ直ぐ僕に向かって這い寄ってきた。すぐ目前に迫りくるワーム相手に、悠長に詠唱など出来るわけがない。襲いかかろうと鎌首を上げるワーム相手に、僕は慣れない剣で必死に切りつけた。
が、さっきのアイススラッシュの切れ味が嘘のように、僕が振り下ろす剣はワームの表皮を滑って全く切り裂けない。どんなに頑張っても、僕じゃワームの表皮を傷つけることさえ出来なかった。
結局、僕は切り倒すのを諦めて、手の中の重い剣を振り上げては下ろし、鈍器代わりに殴りつけた。
ワームも長い体をムチのようにしならせて僕を打ち倒そうと襲ってくる。避けきれず表皮が腕をかすった時、がっつりと何かが吸い取られるのを感じた。
そういえばこいつ、魔力を吸い取る『ドレイン・ワーム』だった!
そっからはもう、ただただガッツンガッツン殴り続けたのだった。
ありがたいことに、僕が力尽きるより早く、殴られるのに飽きたワームが林の中へ逃げて行ってくれた。
ふとまだ自分の手が剣を握ってるのに気づいた。離そうにも絡みついた指はガチガチに硬くなってて、どうやってもはがれない。
僕を見下ろしていた木島先輩が、無言で横にしゃがんで僕の指を外してくれた。
「木島先輩、なんでそんなに落ち着いてるんですか」
「・・・・・・」
返事はない。
「・・・もしかして、初めて、じゃないんじゃないですか?」
思わず聞きたかったことが口ついて出た。
意を決して顔を上げ、木島先輩に視線を向ければ、そこには口の片端を上げてニヤリと笑う木島先輩がいた。
「ようこそ、『セブン・サークリッズ』の世界へ」





