魔法使いは正体を隠したい
異世界への転生や転移に憧れている人もると思う。
俺は高校生の時に、異世界転移を経験した。異世界の名はイノセンス……お約束のファンタジーな異世界である。
そんな俺からのアドバイスだ……もし異世界に行く機会があっても絶対にやめておけ。
どんなチートな能力をもらえても、異世界には行くな。命懸けの戦いをしても、得られる対価は少ないんだぞ。
最強の魔法使いと言えわれた俺だけど、今はしがないサラリーマン。
ハーレム?勇者が独り占めで、おこぼれもすらなかったわ。
名誉?貴族連中に手柄を横取りされまくりだってっての!
強さ?俺のジョブは魔法使い。マナのない日本じゃ、悲しい位役に立たない。
「間方!書類はまだか!」
課長、書類とはあんたが新人女子職員とだべりまくった所為で、俺の所に回ってくるのが遅れたやつの事でしょうか?
「申し訳ございません。もう少しで出来ますので」
今日も課長は理不尽だ。しかし、上司に逆らっても一文の得にもならない。
間方》健司二十七歳、元魔法使いで今はしがないサラリーマン。独身彼女なし、ついでに出世の予定もなし。
「早く仕上げろ。そんなんだからいつまで経っても、出世出来ないし女も出来ないんだよ」
反論したいが、何年も彼女がいないのは事実……攻撃魔法を使えたらぶっ飛ばせるのに。
「あれ?間方さん、それイノセンス戦記に出て来るアイテムですよね!間方さんも、イノセンスをプレイしているんですか?」
話し掛けてきたのは件の新人職員女子職員。名前は確か宇市妃華さん。容姿が整っており、宇市さんが配属された時は課の男連中がざわついた。
でも勘違いしてはいけない。彼女の視線の先にあるのは、俺の顔じゃなくアクセサリー。正確には俺の財布についている革細工だ。
「ええ、初期の頃に、少しだけ遊びました」
イノセンス戦記、大手T会社ハーキムの作ったMMO。そのリアルな世界観が受け、国内だけでなく海外でも大ヒット。
リアルで当たり前。作ったのは俺と一緒にイノセンスに転移した賢者の正陣信吾。ちなみに俺は遊んだ事がない……一度画面を見たけど、リアルなだけに色々トラウマが蘇って無理だった。
賢者の信吾は、今いや大会社の社長さん。かたや魔法使いの俺は安月給のリーマン。どこでこんなに差がついたんだろう。
「そうなんですか。それ初期でやったプレゼント企画限定のアクセなんですよね。私も欲しかったんですよ」
イノセンス戦記に出て来るマジックアイテムは、実際に使われていた物ばかりである。ゲームにありがちな、とんでも造形じゃないから再現もしやすい。アンティークなデザインが受けて、ゲームをしていない人も買っているそうだ。
俺の持っているのは、四本の革紐を交互に編んだ素朴なアクセサリー。先端に小さな石が付いているのが特徴だ。でも、これは異世界産のがちなマジックアイテムだったりする。
効果は幻術と催眠の無効化。俺が今使える唯一マジックアイテムだ。
「随分粗雑な造りだな……だべってないで、早く書類を仕上げろ」
課長は俺が士堂さんと親し気に話したのが気に入らないらしく若干不機嫌。
課長、士堂さんの男あしらいの上手さ見て気付きませんか?絶対の自分がモテる事を知っている人ですぜ……火傷しても知ーらないっと。
◇
今日は定時で上がれるとテンションを上げていたら、課長が部長と一緒に近付いてきた。嫌な予感しかしない。その後ろにいるのは、人事課の課長……時計さん、早く定時を刻んで。
「間方、人事の新人がやらかした。お前、明日ハーキムに顔出しに行くんだよな。その新人も一緒に連れて行け。謝罪には課長が付き添うから心配するな」
なんでも人事の新人が、ハーキムから出向して来ている人に、かなり失礼な事を言ったらしい。
なんとか定時で上がれたけど、テンションは全く上がらず。なんで俺が殆んど(話をした事のない新人の尻拭いをしなきゃいけないんだよ。
名前は増田総司、一言で言えばチャラいイケメンだ。
(とりあえずメールで信吾に謝っておくか……ハーキムからメールが来ているな)
信吾、仕事早過ぎないか?
「これはアンケートか……“貴方もイノセンスで冒険しませんか?”……絶対に嫌です」
なんでも今度体験型アトラクションを作るから、そのアンケートとの事。気持ちはNOだけど、YESで返信しておく。この手のアンケートなんて景気づけなんだし。
飯は不味いし、住環境も最悪。大金を積まれても戻りたくない。イノセンスの貴族より、日本のサラリーマンの方が良い生活をしていると思う。
なにより日本には王族や貴族がいない。あいつ等と比べたら課長も天使に見えてくる。
あそこは地獄だ。何百……いや、何千もの魔物を殺した。死にかけた事も何度もある。
(みんな、どうしているかな)
異世界に転移したの俺を含め五人。勇者の結城光、騎士の市豆恋、ティマ―の形代宗人、賢者の信吾、そして魔法使いの俺。
ちなみに光はアルジャンの姫と結婚して王様になった。恋さんはプラティヌの王子に見染められてお妃様に、宗人は商人ギルドの会長……考えたら、俺以外全員出世しているんだよな。
「ルーチェも俺の事忘れただろうな」
ルーチェ・モーント、プラティヌの騎士団長の娘当時七歳。いつも俺の後ろをくっついてきた……将来、ケンジお兄ちゃんと結婚するの”そう言っていたけど、今は素敵な彼氏がいると思う。
ちなみに例の組紐はルーチェのお手製。ドン引きされそうなので、信吾には今も使っている事は内緒にしている。
◇
……課長、職権乱用し過ぎじゃないですか?集合場所に行ったら、宇市さんもいたのだ。なんでもハーキムに行ってみたいと課長にお願いしたらしい。
「今日は俺の所為で、すませーん。あっ、俺運転ちょー得意なんで任せて下さい」
茶髪の青年が笑顔で申告してくる。俺、こいつの為に戦友に頭さげなきゃいけないの?
溜め息を漏らしながら、駐車場に向かっていると、突然悲鳴が聞こえてきた。
「ゴブリン!なんでゴブリンがいるの?オークまでいる!」
宇一さんの叫び声が駐車場に響き渡る。
ゴブリンにオーク?何かの見間違えじゃないのか?ここ日本なんだし。
(……まじでゴブリンとオークだ)
会社の前では阿鼻叫喚の図が広がっていた。
魔物に追われて逃げ惑う人々、中には既に息絶えている人もいた。
魔物はイノセンスにいた奴等と同じだ。イノセンス戦記に出て来る魔物のモデルになった奴等である。だから士堂さんも、ゴブリンだと分かったんだろう。
……でも、なんで魔物が日本にいるんだ?
「間方、俺達は先にハーキムに行ってるぞ……増田、何をしている。早く出せ」
考え事をしていたら、課長の叫び声が聞こえてきた。そして俺を置いて発進する車。
(これがホラー映画だったら、俺は死ぬパターンだな……ルーチェ、俺を守ってくれ)
革紐を腕に巻き付け、気合いを入れる。
漫画やラノベだったら、ここで無双をしている所だ。でも今の俺には魔力がないし、守ってくれる前衛職もいない。オークに見つかったら、即ゲームオバーだ。お目当ての奴を見つけるまで、物陰に隠れていよう。
「おやぶん、にんげんがいやしたぜ」
昔は隠れるのも、上手かったんだけどな……得意満面のゴブリンが俺の方を指差している。
「子分、でかしたど」
それに応えるはオーク……よし、逃げよう。オークは足が遅い。
「まずは……」
ゴブリンに体当たりして、そのまま踵を返す。もちろんゴブリンは殺せていない。オーク達が呆気に取られている隙に逃げるのだ。
「子分、大丈夫か?お前、待て」
待てと言われて素直に待つ馬鹿はいません。
「おや、お困りの様ですね。私が手を貸しましょう」
魔力を感じたので振り返ってみると、ボロボロのローブを着たモンスターがいた。
イビルメイジ。魔法使い系のモンスターの中では一番弱い奴だ。使える魔法は初級のみ。正体は悪霊化した魔法使いで、実体を持っていない。
魔力が回復出来ないのなら、持っている奴から奪えばいい。
「これぞ、天の助け!魔力をもらうぜ……マジックドレイン」
深呼吸をして、魔法を唱える。十年振りに身体の中へ魔力が入ってきた。頭が冴え、不思議な高揚感を覚える……やっぱり、イビルメイジ一人じゃ、満タンにはならないか。
「私に虚仮脅しは通じませんよ……くらいなさい。ファイヤーボール……あれ?」
イビルメイジが、間抜けな声をあげる。日本にマジックドレインを使える奴がいるなんて、思わないよな。
ここから一気に攻める。精神を集中し、魔法のイメージを思い描く。
「魔力よ、風を刃に変えよ!風属性一級…ウインドカッター」
次はいつ魔力を補充出来るか分からないので、一級魔法で済ませておく。
「ウインドカッターでオークを両断しやがった……何者なんですか」
確かにオークを、ウインドカッター一発で殺すのは難しい。でも、毛並みにそって魔法を放てば、案外簡単に殺せるのだ。
「戦場でお喋りは禁物だぜ」
右手をイビルメイジのフードの中へと突っ込む。直接触れる事で、イビルメイジを構成している魔力も残さず吸収する。
もぬけの殻となったローブがパサリと落ちた。
(さて、必要な物を買ったら、会社に戻って救助を待ちますか)
なんで魔物が現れたのかが、分かるまでは一般人のふりをしておくのが得策だ。
魔物と戦う力があるとバレたら、擦り切れるまで戦わされるだろう……そう、イノセンスにいた時の様に。





