職業:探偵(クラス:ディテクティブ)
【ルールI ゲーム開始後、被害者にゆかりのある者から一人、職業:探偵を選出する】
人は生まれながらにして、個人情報をまき散らす生き物だ。
SNSからの情報漏洩だとか、企業サーバーからの流出だとか、そんなことが騒がれる昨今だけれど。
ただ息をしているだけでも情報は垂れ流れるのだから、気にするだけ無駄だと僕は思う。
葬式の会場の端っこで、喪服を着た人たちの動向を観察する。
身に着けている物、所作、立ち振る舞い、手の荒れ具合、爪の状態、髪の切り口、肌艶顔色、毛穴の状態、化粧の具合、体臭の種類、体臭の強さ、エトセトラ、エトセトラ……
それらの情報を精査して、統合して、解釈すれば、人となりや、懐事情や生活習慣、はてには住所まで割り出せてしまうのだから、隠すだけ無駄というものだろう。
目の前を通り過ぎていった老人と介護している女子大生が、淫らな関係であることを察した僕は、辟易とした気持ちになってそっと視線を逸らした。
そこには一人の女性の遺影が飾られていた。
玉響汐海。
小さいころ、僕の隣の家に住んでいた幼馴染。
歳は三つ上の大学院生。いつまでもいつまでも、僕のことを子ども扱いしていた、姉のような存在。
彼女の中で僕は永遠に子供のままで、これから先もずっと、その事実が変わることはなくなってしまった。
葬儀に来た人間は、こんなにも不快な情報を垂れ流しているのに。
だけど汐姉からは何一つ読み取れない。
いくら彼女を見つめても、どれだけ彼女の名前を呼びかけても。
汐姉が発しているのは「死」という絶対的に揺るがない事実ただ一つだけで。
つまるところ、「死」とは情報を生み出さなくなることなのだということを、僕は知った。
汐姉は殺された。
最近街で話題になっている、連続殺人鬼の手にかかったのだろうというのが、警察の見立てだった。
事情聴取であれこれ聞かれた気がするが、あまり良く覚えていない。
犯人が見つかったところでなんだというのか。
汐姉はもう戻って来ない。
『およ? お困りだねえ、拓海君』
という、あのお決まりの台詞は、もう聞くことができない。
私がいないと、何にもできないんだから。
いつも彼女はそう言って、僕に手を差し伸べてくれたけれど、実際のところ真に困っていたことなど、数える程度しかなくて。
僕は汐姉のことを、お節介なやつだと邪険に扱っていた。
「今、人生で一番困ってるんだけどなあ……」
そう呟いたところで、汐姉の声が聞こえるはずもなかった。
失ってから初めて大切なことに気付く、なんて。そんなありふれた台詞に混ぜたくない感情が、胸の奥でくすぶっている。
葬儀は粛々と進む。
ふと顔をあげると、一人の男性に目が行った。
男性の年齢は三十歳前後。メガネをかけている。
来ているスーツは見るからに良いもので、靴も時計も、それに見合っただけの価値がありそうだった。
きわめて普通な、上品な成人男性。
ただそれだけのはずなのに、妙に気になった。
男性はスラックスの裾を折り曲げていた。
この豪雨で、裾が濡れることを避けたのだろうか。
しかし、手に持っている傘は開かれてすらいなかった。濡れた形跡すらない。今さっきコンビニで購入したばかりと言われても、納得してしまう程に新品だった。
よく見れば仕立ての良い靴のあちこちに、泥が付着していた。しかし葬儀会場の周辺はアスファルトで覆われていて、泥がつくような場所はない。
一体この男性はどこから来たんだ?
男性は右足を引きずっていた。怪我をしているのだろうか。しかし数秒後には左足を引きずり始めた。
怪我をしているのはどっちの足だ?
付けている時計は全く違う時間を示していた。
持っているスマホは画面がバキバキに割れていた。
ネクタイだけ見るからに安物だった。
右手の爪だけ綺麗に切りそろえられていた。
そうか、分かった。
この人から発せられる情報の一つ一つが。
かみ合ってなくて、ちぐはぐで、一貫性が微塵もなくて、ただ単純に、驚くほどに――気持ち悪いんだ。
「いいですねえ!」
ぐるり。
メガネ男の目が僕を捉えた。
「すばらしい観察眼だ! 君だ君だ! 君に決ーめたっと!」
奇行。だった。
厳かな葬儀場に全く似合わない位明るい声で、スキップをしながら近づいて来るくせに、顔に張り付いた笑顔はどうしようもなくニセモノだった。
「あなた、玉響汐海を生き返らせたくはありませんか?」
「――っ」
急に何を言い出すんだ。
死んだ人間が生き返るなんて、あり得ない。
「不謹慎ですよ、こんな場所で――」
その時、気付いた。
周りの人間が、全く僕たちを見ていないことに。
時は動いている。葬儀は進んでいる。
だけど、僕たちはその時の流れの中にいなかった。
こいつ……何をした?
「理解が早い。理解が早いのはいいことです。それだけで生存確率を四割ほど押し上げる。今の時代、生き抜くために必要なのは、膂力でも知識量でもない、理解力なのですから」
満足そうに呟いて、男は続ける。
「申し遅れました、私、アルファロミオ・ベータジュリエットと申します。お気軽に、アルファとお呼びください」
明らかに偽名だった。
だが……この際そんな事はどうだっていい。
僕は早鐘を打ち始めた心臓を必死になだめながら、問う。
「汐姉が生き返るんですか」
「生き返ります。あなたがゲームで勝てば」
「そのゲームのせいで、汐姉は死んだんですね」
アルファは満足そうに息を吐いた。
「あなたとの会話にはストレスがない。素晴らしい。永遠に話し続けていたいくらいですよ」
僕はごめんだ。
「今この街には、七人の殺人鬼が放たれています」
「それが最近噂になっている、連続殺人事件の正体ですか」
しかし、七人とは……随分と多いな。
「ええ。サイコパス・メンヘラ・ストーカー・道化師・多重人格・思想家・教祖、それぞれのクラスに割り当てられたプレイヤーが、一か月間、殺した人間の数を競う。そういうゲームです」
「……狂ってますね」
「ただしい反応です」
「それで、僕はなんていうクラスで参加できるんですか」
「向こうを【シリアルキラー】もしくは【加害者】というカテゴリでまとめれば……あなたは【被害者】カテゴリに属します」
数枚のカードを懐から取り出した。
カードの裏面には、鎖につながれ、涙を流している人物画が描かれていた。その内の一枚を、僕に手渡す。
「あなたには――探偵のクラスについてもらいます」
「……勝利条件は」
「クラスには固有のスキルがあります。正式名称は現実拡張型固有特性なのですが、長いのでスキルでいいです」
「質問に答えてください」
「まあまあ落ち着いて。そのスキルが、あなたが勝つために極めて重要なのですから」
七枚のカードを取り出して、僕に見せる。
「シリアルキラーたちは殺人衝動を持ったものが選ばれます。人を殺したいという欲を抑えきれない者たちの背中を押してあげる。それがこのゲームの主題です」
聞けば聞くほど、ふざけたゲームだ。
だけど恨みつらみを言うつもりも、復讐してやろうという気持ちもなかった。そういうのは全部まとめて、汐姉を生き返らせた後にやる。
「そんな狂人たちが、人殺しに有利なスキルを持っています。正面切って戦えば、あなたは確実に負けるでしょう。勝負にすらなりません。ですが――」
パチン、と指を鳴らす。
「あなたは探偵だ。シリアルキラーの正体を暴き、追いつめ、終わらせることができる。つまり!」
「犯人はお前だ。面と向かってそう言うことで、相手をゲームから退場させることができる、と」
「くくっ……話が早くて助かります」
「使用制限は」
「10回」
「分かりました」
この街にいる七人のシリアルキラーを見つけ、ゲームから退場させる。
そうすれば、汐姉は蘇る。
「既にゲーム開始から一週間が経過しています。あなたは途中参加。当然、日数的には少々不利ですが……」
「構いません」
もともと探偵というのは先手を打って動く者ではない。
一週間の遅れくらい、誤差だろう。
「くくく……いいですねえ、最高にクールです。個人的には、あなたには是非勝っていただきたい」
「汐姉を生き返らせる準備をしておいてください。それで、ゲームはいつから?」
「私が指を三度鳴らします。三度目の音が響いた瞬間から、あなたはゲームに参加します。準備はよろしいですか?」
僕は頷いた。
ぱちん。
一つ、指が鳴った。
こんなゲームに参加するなんて……いや、そもそも、こんなゲームを信じるなんてこと自体が、バカげている。
ぱちん。
二つ、指が鳴った。
死んだ人間は生き返らない。人の死は覆ることがない。
分かってる、分かってるんだ。
だけど、しょうがないだろう。
汐姉が生き返る可能性が、ほんの少しでもあるのなら。
死という、ただ一つの情報だけを僕につきつける彼女が、また彩り豊かに動いてくれるなら。
僕は――
「それでは、ご武運を」
――この身がどうなろうと構わないんだから。
ぱちん、と三つ目の指が鳴って。
僕の隣にいた女子大生の首が飛んだ。
ゲームはもう、始まっていた。





