ドナ☆ドナ物語~その実験は、伝説を生み出した~
それは、本当に唐突だった。
わたしには、よくわからない。
あの日、あの時、何が起こったのか今でも理解はできない。
わかっているのは、そう。
目の前には、見たこともないほど広い土地。
ああ――わたしは、自由なのだと、そう知った。
駆け出した。
わたしは、今、何者にも縛られていないのだ。
柵もなければ呼び止める人間もいない、そう、私は自由なのだ!!
青い空!
白い雲!
穏やかな風!!
誰もいないだだっ広い草原!!
(ああ、なんて気持ちいいんだろう……)
狭苦しい箱の中に閉じ込められ、光に包まれてよくわからない人間たちに色々言われて頭に何かをされた時には死を覚悟したというのに今はこんなにも輝かしい世界が目の前に広がっている!
私は心の底から歓喜した。ああ、生きているって素晴らしい!!
「ンっっっ、モ……オオォーーーーーーーォ……」
あの光が、わたしをここに連れてきたんだろうか。
以前よりも思考がクリアであることを考えれば、彼らがわたしになにかをしたんだろう。主に頭部に何かを。
彼らは言っていた。
顔を見合わせるようにしてからわたしを見て、『これは実験だ』と。
あの日、わたしは狭い箱に入れられて運ばれた。
そしてその途中でまばゆい光に包まれたのだ。
とにかく眩しくてびっくりしたことは覚えている。
だけど、びっくりしたところで、眩しい光がしたかと思うと――わたしは、そこから記憶がない。
その後は曖昧だ。
うっすらぼんやりと見えたのは、人間のような、そうでないような影だった。なんだかとにかく眠くて、うつらうつらしていたから。
それから、なにか会話が聞こえた。『成功』とか『知能があがる』とか。なんのことかさっぱりだったけど、とにかく痛いこともなかったしぼんやりしていたから後は覚えていない。
そして冒頭に戻るのだ。
気が付いたら広い世界がわたしを迎えてくれたのだ!
こんなに嬉しいことはない。
草を食む。ああ、美味しい。生きている。
しかしなんでこんなに美味しい草があるのに、わたしの仲間はいないのだろう?
見渡したところ、美しい自然はあるし近くに川もある。
ほかの生き物の気配はするのに、わたしの仲間の気配はない。
「ンモーぅ……?」
声を発してみる。わたしはここにいるよと訴える。
けれど、誰も返事をしてくれる相手はいなかった。
自由を謳歌していたけれど、ふと孤独だと気が付いてわたしは戸惑った。
いつだって仲間がいてくれるのが当たり前だったのに、今は誰もいない。
あの狭い箱には複数の仲間がいたはずなのに、一緒の光にのまれなかったんだろうか?
どうしたものかとおろおろしていると、遠くから地響きが聞こえてきた。
段々と近づいてくるそれに、わたしは脚が竦んだ。どうしたら良いのかわからない。いつもだったら仲間の誰かが走り出して、つられて一緒の方向に走るのだけれど今は自分だけなのだ!
(あら?)
そうこうしている間に少し離れた丘の上に、影が見えた。
その影は人間のようにも見えたし――仲間にも、見えた。
いや待って。私の仲間はあんなじゃない。けど頭がそっくりで、え? ええ?
わたしは混乱した。
よくわからないけれど、あちらもわたしを見つけたのだろう。
え、なんか。待って。いやほんと待って。すごいスピードで、こっちに向かってきてない?
やだやだやだ、怖いんだけど!? 怖いんだけど!
わたしは逃げ出した。仲間はほしいけどアレはなんか違う。
仲間たちと同じような頭をしてるけど人間みたいな体をしていて、でも蹄を持っていて、身体が大きくて、なんだあれ! 見たことない!!
あとよくわかんない、人間が薪割りに使っていた斧のすっごい大きなものみたいのを担いでる。
「ブモーーぉぉぉウ!!」
「モ、モォォウ!?」
なんか呼び止められたけれど、決して止まりたくはない。
仲間じゃない変なのが寄ってくるだなんてここは素晴らしい土地ではなかったんだ!
それはそうだ、わたしのブラッシングをしてくれる人間も、あの雨風を凌げる建物も何もかもがないんだもの、広々とした自由だけというわけじゃなかったんだ!
実験だと言っていたあのよくわからない人間たちによって、わたしは色んなことが理解できるようになった。
その理解できるようになった頭で思う。
わたし、ピンチ。
あのよくわからない仲間モドキ、わたしにこう言っている。
『嫁っこ、見っけた』
あああああ、いやいやできたら伴侶は同じ仲間が良いのです。
わたし、群れの中でも足が速いと思ってたんですけどね、今まさに追いつかれてしまいそう!
「ぶ。ぶ。ぶ、ぶもーーーーーおおおおおう!」
誰でもいい。
誰でもいい。
誰でもいいから助けてください、嫁にされる前になんだか吊るし上げられちゃうんじゃないかって怖いんです!
わたしがあらん限りの力で助けを求めて鳴き声を上げると、あちこちから「ブモーゥ?」「モーゥゥ?」という声が聞こえてほっとする。
ほっとしたのも束の間だった。
がさっという音と共に色んな茂みから顔を出したのは、わたしを追ってくる仲間モドキと同じような連中だったのだ!!
「ブモーーーーーーーー!? モッ!? もぉぉぉ……」
これってどういう状況? 詰んでない?
思わずわたしも足が竦んでここを駆け抜けるかどうか迷ったら、目の前に現れた相手を見て腰が抜けた。
だって、ひときわ大きなやつが、わたしの前に現れたから。
ああ、ああ、なんてことだろう。
束の間の自由だった……!
こんなことならもっと好きなだけ草を食んでおくんだった……!
そう嘆くわたしに鼻面を寄せてきたひときわ大きな個体が、ぶふんと鼻息を荒げてわたしの横をすり抜けていく。
えっ? と思った途端のことだった。
わたしを追ってきていた仲間モドキを、その大きな個体はこともあろうにぶっ飛ばしたのだ。
思わずへたりこんだわたし、こんなバイオレンスな場面に遭ったことないです。あ、イノシシがわたしたちのご飯を狙って来た時に人間の乗り物に跳ね飛ばされているのは見ました。あの衝撃に似ていました。
そういえば追っかけられたのも、夜中にやってくる熊の恐怖に似ている気がします。
おもわず、ていねいなことばづかいになるくらい、びびっております。
足腰ガタガタしちゃうのお!
ブフンと鼻息を荒げて戻ってきた個体は、すっかり腰を抜かしてへたりこんだわたしの前に座り込んで、べろりと舐めて……あれ?
なんということでしょう、仲間です。まるで幼い頃母にそうしてもらったあの時と同じ安心感があるではありませんか!!
「ブ、モーォゥ」
思わず甘えた声をあげるわたしに、その個体も応えるように「ぶもーぉぅ」と応えてくれたのです。ちょっと野太いですけど。
ちょっと癖のある言葉でしたけど、彼女(?)は怖がる私に大丈夫だと何度も声をかけてくれて宥めて、説明をしてくれました。
どうやらわたしには見分けは尽きませんでしたが、このあたりはメスが集う場で、あちらの丘向こうがオスが集まる場なんだとか。
わたしは見慣れぬ個体だからと追いやられることもなく、彼女たちに迎え入れられたのです。
そう、わたしは見知らぬ土地で、新しい仲間と居場所を手に入れた……ってことでいいんでしょうか。。
この『実験』っていうのがいつから始まって何をしようとしているのかはわからないけれど、仲間……仲間なのかなあ……。
わからないけど、とりあえず生き延びた! これ大事!!
新しい土地で、今日も葉っぱが美味しいです。
「よう、そこの牛のお嬢さん」
そんな私の足元から、ダンディな声が聞こえた。
思わずその声の主を探すけれど見当たらなくて、小首を傾げていると今度は私の首元から声が。
「悪いな、勝手に乗らせてもらったぜ。アンタが今度の実験体か。まあ、仲良くやろうぜ!」
わたしの背中に乗っかっていたのは、なんと白い毛並みのネズミさんだったのです。
え? あなたも実験体? 今度のって?
口の中にある草を飲み込んで、わたしはなんだかとんでもないことに巻き込まれているのでは、と今更思うのでした。





