異世界三度笠無頼 ~凶状持ちの股旅者が精霊の異境へと旅立った~
俺は渡世人、そして、安住の地を持たない無宿人だ。
江戸の世の中では人別帖に記されて住む場所を得る。
だが、いろいろな理由から故郷や住まいを捨てて、土地から土地へと流れ歩くやつもいる。
そう言うのを宿無し――無宿人と言うわけだ。
どこの土地にも居場所がないから、誰も守っちゃくれない。
たとえ町や村の片隅にでも腰を落ち着けることすらできない。
町から町へ、村から村へ、いつか野垂れ死んで骨となるその日まで流れ歩く。
俺は昔、理不尽に親を殺された。俺が十二の頃だった。
親無しとなり、世間の辛酸をなめて育ち、生きるために戦う術を身につけ、
生きるために裏世界の道理を頭に叩き込み、やくざ者へと見事に落ちぶれていた。
そして、忘れもしない十八の歳の頃――
俺はついに親の敵を追い詰め斬り伏せて殺し、無宿人の暮らしへと逃げ延びた。
土地土地の貸元の親分さんのところへ〝仁義〟と呼ばれる挨拶をし、客人として隅っこにて一宿一飯の恩義に預かる。
頼まれて敵を斬り、金を受け取り、人目を避けて、また、見知らぬ土地へと当て所なく旅立つ。
追手の役人は7人は返り討ちにした。切り捨てたやくざ者は数え切れない。
そして、いつしか街角には俺の名前と顔が描かれた高札が立つことになる。
すなわち【お尋ね者】として――
俗に【凶状持ち】と呼ばれるやつだ。
そう、俺は凶状持ちの無宿の渡世人――
この世に身の置き場のない正真正銘の屑だ。
そんな俺の生まれは相模の国の、愛甲郡
鍛冶屋のせがれの身の上なれど、
親を理不尽に殺され怒りの湧くままに仇討ちし人生の裏街道
足の速さと、太刀筋の鋭さからついた二つ名は『疾風』
人呼んで『疾風の丈之助』
今の俺には、故郷も家族もない。
ただ、名前だけが残されていたのだ――
§
凍てついた雨の降りしきる中、三度笠と道中合羽姿で、例幣使街道を西へ西へと向かう。
栃木宿のあたりで、方々の親分さんのところに草鞋を脱いでいたのだが、身の回りが怪しくなってきた。
お役人や目明かしのような連中がちらつき始めたのだ。
世話になった親分さんたちを巻き込む前に、俺は挨拶もそこそこに草鞋を履いた。
栃木宿を旅立ち、富田、犬伏、天明へと宿場町を流れ歩く。
そして、八木宿を越したあたりから渡良瀬川沿いに脇道へと足を踏み入れた。
足利の郷の背後に控える山道へと、人目を避けるようにして分け入って行く。
だが、ほどなくして俺は判断を誤ったことに気がついた。
「追ってきやがる」
数人の追手が着実に俺の足跡を追いかけてきている。
そして、巧みにその姿を匂わせながら、俺を追い立てている。
寒さと飢えと疲れで頭が回らなかったのだろう。追手の連中が追い立てるままに、脇道へ、脇道へと、追いやられてしまったのだ。
人気の多い表の往来で腰に下げた脇差を抜くわけにも行かない。
それなりに人気の少ない場所へと逃れてやり過ごそうとしたのだが、飢えた野犬のように着実に俺の足取りをたどってくる。
ならば、さらなる山道へと足を踏み入れて、獣道にでも分け入って振り切るしか無い。
否、それしかないと俺は思い違いをしていたのだ。
名も知らぬ山道へと迷い込む。全身が凍てつきながらもひたすら歩く。
いつしか、人里も家々もまばらになってきたときだ。
――ドッ――
俺の左肩を背後から熱いものが貫いた。
「な――?!」
驚きとともに俺を襲った熱い痛みの正体にすぐに気づいた。
それは一本の〝矢〟だった。
俺を追う追手の手勢の者たちが俺を狙って打ち込んだのだろう。
「嘘だろ?」
おもわず喉元を否定の言葉が突いて出る。
――ヒュッ!――
だが、俺の頬をかすめて飛んでいった2本目の矢が、それが現実であることを思い知らせていた。
「くそっ! 俺を射殺す気かよ」
どうやら追手は俺の生死は関係ないらしい。あるいは矢傷で穴だらけにして俺を生け捕るつもりやもしれない。
――ザクッ!――
3本目の矢が右の二の腕に浅く突き刺さる。
その痛みを感じつつも俺は更に足早に進んでいった。
山道を分け入って、歩いて、歩いて、歩いて――
それからどれだけ歩いた? もはや意識は切れかけていた。
――ドスッ――
また俺の背中に矢が突き刺さる。雨に伴う霧が立ち込める中で、背後から聞こえる声がする。
「よいか! 〝疾風の丈之助〟はめっぽう剣の腕が立つ! うかつに近寄れば返り討ちとなる!」
なるほど。普通に正面から捕まえるのは諦めたってわけだ。
こすっからい役人どもの考えそうなことだ。
――ドッ!――
またもう一本、今度は右脇腹。
腹の中の臓物がやけに熱いのは腸の中が傷ついているからだろう。
やべぇ、視界がぼやけてきやがった。足も前へ進まねぇ。
俺は終わるのか?
もうこんなところで終わるのか?
待ってくれよ――
こんな、こんな人生送るために俺は生まれてきたのか?
親を殺され、住む家も奪われ、世の中を恨みながら必死に生きて
親の仇を討っても認められずに殺しの下手人にされ
世間を爪弾きに遭いながらも流れ歩いて、
そして、そして――
「ふざけんな」
俺の喉の奥からその言葉が漏れたその時――
――ドスッ!!――
ひときわ強い一撃が俺の左胸を背後から貫いた。
肺を貫き
心の臓を串刺しにされて
俺の胸の中から熱い血がこみ上げる。
「ち、ちくしょ――」
俺はついに力尽きた。
前のめりに倒れると俺の体からすべての力が抜けていく。
この降りしきる雨ですっかり冷えていた俺の体は、そのまま冷たい躯へと変わり果てるだろう。
あぁ、連中、なんか言ってるぜ。
生憎だったな生け捕りにできなくてよ。
ザマァ見ろだ。あの世に逃げさせてもらうぜ。
じゃあな。
§
俺は死を覚悟していた。
餓鬼になるか、畜生に落ちるか、地獄で責め苦に苦しむか、そんな事を思いながら娑婆に別れを告げたはずだった。
「聞こえているか?」
誰だ? 俺に呼びかけるのは?
「お主の霊魂の傷は癒えている。目を開いてくれ」
その穏やかで情のある語り口に俺はほだされるように目を覚ました。
「あ、あぁ、すまねぇ」
頭を振りながら体を起こす。そして語りかけてきた声の主へと視線を向ける。
「すっかり寝ちま――」
そこまで語って俺は言葉を失った。
「ど、どこだ? ここは?」
俺の目の前に立っていたのは金色の髪に金色の目の南蛮人――見たこともない異国の王族のような衣を身につけて俺を見下ろすように佇んでいる。
そして、周りはあたり一面が青々とした野原で、空には満天の星空が広がっている。だが地面は陽の光が注いでいるかのように明るくどこまでも見渡せる。ここが俺が今まで居た娑婆でもなければ、三途の川のほとりでも無いことはすぐに分かる。
俺は立ち上がりながら眼前の南蛮人に問いかけた。
「どちらさんで?」
そいつは笑みを浮かべたまま語ってくる。
「私は〝カロン〟――死出の魂たちの見届人だ」
「死出の魂? するとあっしは死んだんで?」
「そうだ。君は命を落とした。すでに魂だけの存在となった」
死んだと言われれば納得するしかねぇ。
「だが、君は別な世界から迷い込んだ魂だ。今ここで君の善悪を精査する事はできない」
「別な世界?」
「そうだ。君はこのリーザンブレーグズへと迷い込んだのだ。世界の裂け目からこぼれ落ちてな」
カロンが指差す先には、裂け目のようなものが空に浮かんでいた。それもすぐに閉じていいく。
「時折り君のように他世界から迷い込む魂がある。私はその様な者たちには一度だけ生き還す機会を与える事にしている。次なる死の時に黄泉路の裁きを受けれるようにと」
カロンは俺を見つめながら言った。
「時に問う、丈之助よ。生き直す事に異論はあるか?」
「娑婆でやり直せるなら多少の苦労は厭いやせん」
俺は真剣な表情で言った。
「ここがどんな土地かは存じやせん。ただ人間らしい人生を送らせていただけるのなら本望です」
カロンが満足気にうなずいていた。
「そうか、ならば機会を与えよう。お主の意志の進むままにだ」
「承知いたしやした」
素直に答える俺にカロンは言う。
「生へと旅立つお前に三つの施しを与える」
俺はカロンに耳を傾けた。
「一つ、肉体の修復、君が生前負った傷や病はすべて癒やされる。
二つ、こちらの世界での言葉を話せるようにしておく。
三つ、お前自身がこれまでの生で身につけた技や力を最大限に活かせるようにしてやる」
見知らぬ地で生きる上でどれもありがたいものばかりだ。
「ご厚情痛み入りやす」
礼を口にする俺にカロンは言った。
「見た目に違い、礼儀正しいのだなお主は」
その言葉が合図となり俺の体は怒涛のような力に捉えられた。
「さぁ行くがいい。お前の新たなる生へと。そして力の限り生きてみせよ!」
濁流に飲まれたように俺の意識は飲まれていく。一瞬、意識を失い、そして再び何処かの地面へと投げ出された。
とっさに受け身をとって立ち上がれば――
「鬼?」
目の当たりにしたのは数人の子鬼に襲われている見知らぬ南蛮娘の姿だった。
その理不尽に俺の中で怒りが湧いていた。
見知らぬ森の中で俺は思うよりも早く、脇差を抜いて駆け出した――





