疑念
「花を連れて行った知り合いの女性」について、室田が知っていることは実に曖昧だった。
ジャネット・カトウという日系人で、アメリカでカウンセラーのような仕事をしているらしい。
コロラド州の森の中に別荘があり、花もそこに滞在しているらしい。
かなりの資産家らしく、滞在の費用などについては心配ないと言われている。
彼女が仕事などで不在の時も、日本語ができる人間がそばにいるので、花の生活に支障はないらしい……
話しながら室田も、全てジャネットから聞いた話だけで、本当がどうかは分からないことに、気がついてきたようだ。
怯えたような目を西崎に向けてきた。
「どうやって知り合った?」
声を荒げるわけではないが、凪には西崎が苛立っているのが分かった。本郷や暦美もそれは感じただろう。
「店の先輩の知り合いの知り合いの友達で……」
暦美が凪の方を見る。
(これ、ヤバくない?)
唇の動きを読むのは容易だった。
「まず、妹とちゃんと話すことだな。それからそのジャネットって人のこと、知ってそうな人にあたって、分かるだけのこと調べろ」
一通り話を聞いた西崎が口にしたのは、もっともなことだった。だが、室田は不安そうにキョロキョロしている。
「あ……なんか、まずいかな?花、大丈夫かな?」
話しているうちに、やっとことの重大さに気付いたような口ぶりだ。だが、室田だって内心ジャネットについて疑念があったから、食事も喉が通らないくらい心配していたのではないだろうか。
(どうも、室田くんって肝心なとこが抜けてるというか、心配するポイントが違うというか……)
凪は首を傾げた。
普段から話していても、どことなく視点が違うと思うことはあった。自分がズレているのかとも思っていたが、そうでもないらしい。
「あと、そのジャネットともだな。向こうは日本語できるんだろ。室田の言いたいことをちゃんと伝えろ。妹の保護者はお前なんだからな」
西崎に言われ、ハッとした顔で室田は頷いている。
「もしそれで、妹返さないとか、帰らないとか、そんな話になったらすぐ相談しろよ〜。そしたら、専門家に相談することも、考えなきゃならないからな〜」
黙って聞いていた本郷がそこで口を挟んだ。
敢えて重くならない口調で言うのが本郷らしい。
「そういうことだな」
西崎が頷き、室田も何度も頷いた。
「ありがとう。みんなに言ってよかった……」
(まあ、話がついてよかった。室田くんも少し安心したみたいだし。相談できる相手がいるって、大事だよね)
カウンターの片付けに戻りながら、凪が心の中で首肯していると、マスターのため息が聞こえた。
「みんな、いろいろあるねぇ。穏やかな日常を願っても、そうは行かないことの方が多いんだよねぇ」
(マスターが言うと重みが違う……)
「……そうですね」
凪は小さく頷き、それだけ言った。
ふと、顔を上げると、室田がこちらへ来ていた。どこか心もとなげな様子は変わらないが、顔色は幾分良くなったようだ。
「店、出勤しなきゃ」
多少、無理したような笑顔を作り、それからまた何か言いたそうにして黙り込む。
「―なにか、いる?」
仕方なく凪がそう聞いてみると、
「あ……の、さ」
室田は口籠もりながら、それでも凪の目を真っ直ぐ見てきた。
「水沢さんなら……花を喋らせること、できないかな?」
「―それは……あたしの能力で、ってこと?」
室田はすぐ俯いた。
「水沢さんが、喋れ、って言ったら、喋れるように……なる?」
凪は少し間を置いてから、
「本人次第、かな」
と、答えた。
「花ちゃんが、喋りたい、話せるようになりたいって、望んでいるならできると思う」
しかし、凪はこれまでも室田から妹の話を聞いている限り、彼女がそう思っているとは思えなかった。
兄とのやり取りはほぼ、阿吽の呼吸で成り立っているようだし、細かい意思疎通はスマホやタブレットを使えば問題ないという。
兄以外の人との交流は嫌がって、カウンセリングに行くことすら、拒否しているという花。話を聞いている限り、声を出せるようになることを望んでいる様子はない。それに―
「声、出せなくなった理由って、どうなんだろうね?そこ、解決しないと難しいんじゃないかな?」
室田にその答えを求める気はなかった。
顔を上げた室田は戸惑い顔で凪を見つめたものの、それ以上妹の話をすることはなかった。
地下鉄の最終に間に合うようにジーズ・バーを後にした凪は、通用口のドアを出てすぐ立ち塞がった長身の影に、もう少しで声を上げるところだった。
「地下鉄まで送る」
凪の動揺を意にも介さず、西崎は歩き始める。
「ぁ、ぅぁ……ぇぇ」
有無を言わさない態度は、凪の「1人で大丈夫だよ」という断り文句をうめき声に変えた。
相変わらず、凪は西崎は苦手だった。
並んで歩いても、話す話題もない。と思ったが、
「コミは宙彦が送って行くってさ。方向同じだし、ちょうどいいだろ」
西崎の方から話し出す。
「コミなら襲った相手の方がボコボコにされるだろって言って、ぶん殴られそうになってたけどな」
西崎が左のの口角を上げて、ニヤリと笑った。
暦美に詰め寄られ、速攻で謝る本郷、という光景は、容易に想像できる。
「あそこらへんが、宙彦のモテない理由だろうな」
凪は思わず鼻で笑いそうになった。
(親友に対して、そんなこと言っちゃっていいのかね)
「でも、モテるらしいよ。うちの学部でも付き合ってた子いるらしいし。本人も彼女がいないことの方が少ないって、言ってたよ」
「長続きはしないぞ」
西崎の返しは早かった。
凪が見上げた先で、西崎は楽しげな笑みを浮かべている。
(少し、酔ってるかな?)
アルコールに強いウィンガーとはいえ、全く酔わないわけではない。
今日、テーブルで消費されたボトルを思い出してみる。
室田はほとんど飲まずに帰ったから、3人でウイスキー一本とワインを何杯か……大した量ではない。
しばらくして、西崎は足を止めた。
「ここか?室田の店」
「あ、うん。あそこの2階」
西崎は頷いただけでまた歩き出す。
相変わらず、この道は歓楽街らしい猥雑な空気で満ちていた。
それでも、だいぶ出来上がった様子の赤ら顔の人々が、西崎のことは避けるように歩いて行く。
長身かつ若干の強面、というのはこういう時は役に立つ、と、一歩後ろを歩きながら、凪は思っていた。と同時に、なぜ室田の勤め先を確認しておきたかったのだろう、とも。
「なあ、」
通りを抜けて、地下鉄駅の方へ曲がると、再び西崎が口を開いた。
「室田の妹、やっぱり無理か?」
「え?ああ……うん、花ちゃんが、何か話したくない理由があって喋れなくなってるなら、まず無理」
「じゃあ、室田はどうだ?」
一瞬、西崎の言っている意味が、凪には分からなかった。
「えっ?」
「室田、何か隠してると思わないか?」
西崎は、じっと凪の目を覗き込んだ。




