室田の事情
「あの、ああ……なんていうか、みんなに言っても仕方ないというか、どうにもならないんだけど」
ところどころ吃りながら、そう前置きした後、室田はまた口を閉ざした。
どう話したらいいか考えているらしい。
その間に本郷もテーブルの方へ移動してきた。
凪は知らんぷりするわけにもいかず、かといってテーブル席に混ざるのも図々しい気がして、カウンターに寄りかかって様子を見ることにした。
こういう時、マスターは
「仕事中だよ」
なんて、注意はしない。むしろ、
「ほら、凪ちゃんも相談に乗ってあげて」
と、カウンターの中から押し出されることが多い。
今もマスターはカウンターの中から、保護者のような眼差しで見守っている。
いや、心持ちは保護者のそれ、そのままなんだろうな、と凪は感じた。
「えと……この間、花火見てから帰ったら……花がいなくなってて」
室田は訥々と語り出した。
「夜遅いし、1人で外になんて出ない子だから、びっくりして。そしたら、今からアメリカに行くからって、電話がきて……」
いろいろと修飾詞や説明文が足りない気がするが、要点だけは分かった。
「ええ?お金は?向かうに知り合いでもいるの?」
グイと、前に乗り出したのは暦美だ。
「ああ、うん、こっちに遊びに来てた知り合いが……一緒に連れて行ってあげるって」
室田の言葉に、暦美はキョトンと首を傾げた。
「え?なんだ、知り合いが連れてってくれるなら、いいんじゃないの?」
「あ……いや、」
説明が足りないことに気が付いたのか、室田はまた少し口をつぐんだ後、ため息をついた。
「そう……なんだよね、別に飛行機代とかも出してくれて……いいと言えば、そうなんだけど。でも、花がパスポート持ってたことも、オレ知らなくて」
「いつの間にかパスポート取ってて、知らない間にその知り合いが連れ出したって言いたいのか?妹本人の意思はどうなんだ?」
西崎の指摘はもっともだ。
「そうだなー、連絡はとれてるんだろ?あ、でも学校どうしてるんだ?たしか中学生って……」
「あ、あぁ……」
続いた本郷の言葉に、室田はまたため息をついて、視線を彷徨わせた。
パン!と暦美がテーブルを叩く。
「ちょっと!そこまで話したならもう少し詳しく!喋っちゃったら!まどろっこしい!」
その勢いに室田はビクッと身を逸らし、
「ご、ごめんなさい」
と漏らしたものの、お陰で決心がついたらしい。
「そ、そうだよね、もっと、ちゃんとしないと……分かんないよね」
室田は大きく息を吸った。
「花……学校、行ってないんだ。小学校の時から、ずっと不登校で」
そう切り出した室田を遮ろうとする者はいない。暦美も黙って頷いた。
そう珍しい話ではない、と思っているのだろう。
「それに……声が出せなくて。あの事件の後から―ほら、うちの親が逮捕されそうになったの覚えてるかな?」
凪も含め、全員が頷いた。
凪は数ヶ月前に室田から直接聞いた話だが、当時、同じ中学校に通っていた本郷や暦美にはインパクトのある事件だったのだろう。西崎もなんのことか、すぐに分かったようだ。おそらく本郷経由で、当時のことを聞いていたのだろう。
「あの後、れい子先生の家にしばらくお世話になって。その後、オレはおばあちゃんに引き取られて、花はお父さんのところに―あ、オレと花、父親が違うんだ。オレの父親はどこにいるか、もう分からないんだけど、花のお父さんは連絡取ってて。結構、いい人で。だけど、もう再婚して、ちっちゃい子供もいるんだよね。それで……引き取られて、しばらくしたら声が出なくなっちゃって。ストレスからくる精神的なものって言われたらしいんだけど。そこの家では面倒見きれないって、今度は父方のおばあさんに預けられてね。その人が……まあ、うちらの母親のこと、よく思ってないんだよ。食べる物も、服も最低限は用意してくれたらしいけど、花が喋れなくても、ほったらかしで。学校でも喋れないから、馴染めなかったみたいなんだ」
話しているうちに、かえって気が楽になったのか、一気にそこまで語ると、室田はホッと息をついた。
「そのうち学校に行かなくなって,引きこもりみたいになっちゃって。花を引き取ってくれたおばあさんって、学校行けっても言わないけど、完全にほったらかしでさ。一応、兄として、これはなんとかしないとっていうか……ずっと連絡はとってたけど、オレもおばあちゃんと2人で、生活ギリギリだったしね。だから、高校卒業して、金貯めたらすぐ迎えに行くからって、花には言って……」
室田はそこで、暦美の見開いた瞳に気がついたらしく、言葉を切った。
「すごい。室田。あんた、めちゃめちゃいい兄じゃん!!」
「えっ……えぇ?」
予想外の言葉に、室田は驚いて頭を振った。
「い、いや、でもっ、仕方ないっていうか、オレにも責任あるしっ」
「責任?室田のせいじゃないだろ」
西崎の言葉に本郷も頷く。カウンターの中で、マスターも大きく頷いていた。
「あ……それは……そう、なんだけど。ほら、オレがもっと早く様子を見に行ってれば、とか……おばあちゃん説得して、こっちに引き取ってれば、とか……ね、考えちゃって」
室田はひどく心細そうな顔になっていた。
「え、ちょっと待って、」
また暦美が身を乗り出す。
「妹、英語できるの?」
室田は首を振った。
「じゃあ、聞き取れないし、話もできないってこと?その状態で、あんたと離れてアメリカって、不安じゃない?」
「その知り合いって、もちろん、お前らの事情、分かってるんだろ?どういうわけで、妹を連れ出したんだ?」
西崎の顔を見て、室田は頷いた。
「うん、まぁ、お客さんのツテで知り合ったんだけど。花のこと言ったら、心配してくれて。環境を変えるのに、しばらくアメリカに来てみたらって言われてたんだ。だけど、花とその人2人だけで会ったことはないし、まさか、花がついていくなんて……カウンセリングとかも行くの嫌がって、買い物に連れ出すのがやっとなのに」
暦美が顔をしかめた。西崎と本郷も無表情だが、釈然としないものを感じているのは分かった。
凪は、室田がなかなか話を切り出せなかったのがわかる気がした。
家庭の事情を事細かに解説しないと、何が問題なのかよく分からない話になるし、あまり詳しく触れられたくない話でもあるだろう。
西崎たちの微妙な表情に気付いたのか、室田は慌てたように話を続けた。
「あ……そ、それで、だから……すぐ帰ってくると思ってたんだけど……すごい楽しいから、もうしばらくあっちにいるって、メールが来て……いや、本当に楽しいならいいんだけど……」
語尾はため息と共に消えた。
「全然、オレに相談もなかったから……なんか、落ち込んじゃったのかも。ごめん、みんなに言ってどうにかなることじゃないんだけど」
「室田」
隣に座っていた西崎が、室田の肩に手を乗せる。骨張った大きな手は、華奢な室田の肩をがっしりと掴んだ。
「気になることがあるなら、全部話してみろ。話すだけでも気分はだいぶ変わるぜ。相談もなくアメリカに行かれたことだけが、気に食わないわけじゃないだろ」
室田の視線は西崎を見ず、テーブルから床へと彷徨った。
カウンターまで泳いだ眼差しが、自分から突然逸らされたのは気のせいだろうと、凪は考えた。
「その知り合いって、信用できるのか?妹はお前がウィンガーだって知ってるって言ってたよな?その知り合いも知ってるのか?」
「そ、それは……」
テーブル席の3人を見比べながら、室田はブルブルと首を振った。
「ウィンガーのことは、その人には言ってない。信用って言われると……。悪い人じゃないけど、なんで花のこと、そんなに気にしてくれるのか、よく分からないんだ。あ、花にはホントによくしてくれてるんだよ。ただ……時々、テレビ電話とかしてるけど、その時もずっとそばにいるから……花と2人だけで話が出来ているわけじゃなくて……」
「電話って、妹、話せないんでしょ?」
「うん、だからオレが喋って、花は頷いたり、笑ったりしてるだけ。メールもその人が打ってくれてると思う。花のタブレット、持っていってないし」
テーブル席の全員が顔を見合わせているのを、凪はじっと見ていた。
室田がチラリと凪の方を見ようとしたが、
「その知り合いってどういう人なのよ?そこんとこ、もう少し詳しく話してよ」
暦美の言葉に慌てたように向き直った。
「うん、あの……」




