翔太 ③
「で?その子、無事帰ったんでしょ?」
ジーズ・バーのカウンターの中で凪の隣にいるのは暦美だった。
なぜか隣で一緒にグラスを磨いてくれている。
ちょっと教えただけでコツを掴むあたりは、要領のいい暦美らしい。
「うん。次の日のお昼くらいには迎えに来たんだけど。付いてきたお姉ちゃんが強烈で」
「この間、自宅まで迷子が付いてきて」
と凪が話すと、
「それ、迷子じゃなくストーカーでしょ」
と、暦美のツッコミが入った。
(ああ、確かに……)
と思いつつ、あの日のことを話していたのである。
暦美がジーズに頻繁に訪れるようになって、当然会話をすることも増えた。
小学校時代は活発でしっかりと自己主張するタイプの暦美と、凪はあまり親しくしていなかった。
ウィンガーになってからは、話をしたり一緒にいる機会も増えたが、それも成り行き上、仕方なくという感じだった。
今にして思えば、意識的に避けていたかもしれない、と凪は思う。
強い口調で意見を言われると、無条件に従わなければならない気がして、ちょっと引いていたところがあった。
暦美の性格の強さは今も変わらない。
ルームメイトの未生も言いたいことをハッキリ言うタイプではあるが、おおよそ筋は通っている。
一方、暦美の場合は自分のご都合主義で言うことが変わることが多々あった。ただ、その言動も、凪は最近面白がるようになっている。
自分からは決して出てこないだろう言葉の数々に、時として溜飲を下げることもあり、全く共感できないこともあり。
それを面白いと思うのは、大人になったということなのだろうかと、考えたりする。
そうして、あまり構えずに話せるようになると、暦美が愚痴や悩み事に対してはとても真摯に向き合ってくれることに気がついた。
雑談のつもりで切り出した翔太の話も、興味深そうに聞いてくれている。
「姉は弟にキビシイからね」
そう言って、ニマッと笑う暦美にも弟がいる。
「うん、いや、そういう感じともまた違って……おばさんは、ご迷惑おかけしました、すいません、って平謝りなんだけど、その後ろでずーっと、スマホいじってて。で、翔太くん見るなり、事故にでも遭って死んでりゃよかったのに、って……」
「うわ、キツイね」
「しかも、冗談とかそんな感じじゃなくて。本気で言ってるな、って」
姉は18歳だと翔太から聞いていたが、バリバリに目力を強調したメイクのせいか、凪よりもずっと大人っぽく見える少女だった。
白いワンピースに白いサンダルと、清楚系の出立ちなのだが、苛立ちと不機嫌さを隠そうともせず、感じはよくない。
最寄り駅まで弟を連れてきてくれた水沢家の面々にも、小馬鹿にしたような視線を向けてきた。
叔母という女性は、差し出した名刺によればアパレルメーカーの広報部長を務めている、いわゆるバリバリのキャリアウーマンらしい。
ピッタリと体の線に合ったスーツを着こなし、謝る一方のこの状況にあっても、一筋縄ではいかない気概のようなものが感じられた。
姉の方は、絵州市にいる友達に会えるから、と付いてきたらしい。
翔太のことは全く無視し、早く電車に乗ろうとせかした。
さすがに叔母が、
「じゃあ、もうあなたはいいから。先に行きなさい。後でまた連絡するから」
と言うと、無言で背を向けて立ち去ってしまった。
「なにそれ、感じ悪。私なら後ろから捕まえて文句言ってるわ!別に、付いてこないで、勝手に友達のとこ行けばよかったのに」
唇を尖らせた暦美に、凪も頷いた。暦美だったら、確かに黙っていないだろう。
「まあ、翔太くんから家の事情は少し聞いてたから、そのお姉ちゃんの反応も、ああ、そうか〜って、感じもあって……」
「え?なんか訳アリ?」
「うん。お父さんは単身赴任で海外に行ったきり、ほとんど連絡も寄越さない。お母さんは……どうも精神状態が不安定な人みたいで、それで入院してるらしいんだけど……退院したら、彼氏の家に行くんじゃない?とか、翔太くん、平気で言うし」
「えぇ―それ、かなり重たい話なんだけど」
さすがに、暦美の手が止まっている。
凪も、駅まで送る道すがら、そんな話を平然とした顔でする翔太に、どう反応したらいいか煩悶し続けた。
「お金持ちではあるみたいなんだよね。叔母さんも普段は仕事で忙しいから、ご飯は家政婦さんに頼んでるって言うし。姉弟、2人とも私立の有名な学校に通ってるみたいだし」
叔母が最初に
「警察沙汰にしないでいただいて、ありがとうございます」
と言ったのは、学校に知られないように、ということだったらしい。
差し出された『お礼』は、母が固辞した。
のんびり屋の母だが、さすがに翔太に関してはこれ以上関わりたくないという様子が見てとれた。
相手もそれならばと、そそくさと立ち去ろうとしたのに、引き止めたのはそれまで黙っていた洸だった。
「もう、それっきりになると思ったのに。洸が、冬休みにまた会おうとか言い出して」
「へえ、洸ちゃん、気に入っちゃったの?その子」
先日、ジーズ・バーで会って以来、洸はその物おじしない性格のお陰で、姉の同級生たちの人気者になっていた。
なにしろ、あの西崎さえもが、
「音楽の才能、大したもんだよな。作詞、作曲に編曲。本人歌唱の動画も伸びてるだろ」
と、一目置くような発言を繰り返している。
洸は―確かに音楽の才能はありそうだ、と凪は思う。イベントで人前に出るのも、緊張より興奮が勝るようだし、そういう意味でも向いているのだろう。
だが、それで一生食べていけるほど、甘い世界ではないはずだ。
学校の成績もトップクラスなのにも関わらず、
「大学は行かない。音楽を仕事にする」
と宣言し、両親と堂々巡りの議論を交わしている現在である。
「年末に、そっちの地元のイベント誘われてるんだよ」
そう翔太に向けて言った後、洸は叔母に向かって
「行った時に、翔太にも声かけていいですか」
と、笑顔を向けた。
それは、質問というより確認だ。
「年末って、受験……」
口を挟もうとした母は無視された。
叔母は戸惑いの色を隠さなかったが、翔太が満面の笑顔で頷くのを見ると、ショックを受けたように口を開いていた。
「それは……じゃあ、またその時に……」
言葉は濁したものの、叔母の目は洸を凝視していた。
それが、どういう感情からなのか、凪にはよく分からなかったが、
(面倒なことになった)
とだけは、強く確信したのである。
「あはは、ファンを手放したくなかったんじゃない?」
暦美は笑うが、凪は笑えない。
あの、洸の言葉が引っ掛かっている。
あの後、洸はあまり翔太について話そうとせず、はぐらかされてばかりいた。
(コミさんには、まだ言わない方がいいかな。―大事にされそうだし)
「あいつ、ウィンガーになるよ」
その洸の言葉を、凪は胸にしまった。




