兄妹(高野家)
階段を上がってくる足音が聞こえた。
別にウィンガーの聴覚をもってしなくとも、それが妹の愛凪だということは分かる。なんとなく
「お兄ちゃん!」
と、ノックもなくドアが開くことも予想できていた。
「おかえり〜。早かったな」
「早くないよ!ねぇ、帰り、誰に会ってきたと思う?」
やや興奮気味の妹に、高野海人は首を傾げた。
「室長!ああ、元室長。対策室の室長だった向田さん!」
海人は向田とは会ったことはないし、顔も知らない。だが、愛凪から何度も名前は耳にしていてし、「優しそうに見えて、なかなかやるおじさん」だと聞いていた。
「バイト終わったら、突然現れて。ちょっとビビったけどね。駅の案内所で働かないかって」
海人は顔を曇らせた。
愛凪は特殊な能力を持つウィンガーだ。
翼を出していない時でも、ウィンガーかどうか判別できる、シーカーと呼ばれる能力者。
世界でも10例ほどしか確認されていない。ことになっている。
実際には、海人の同級生の隠れウィンガー達にはシーカーの能力に加え、飛行能力、その他を持つ者が複数いるから、海人にとっては珍しい能力ではない。だが、一般的解釈では、愛凪は貴重な能力者だ。特に、隠れウィンガー捜索に関わる者にとっては。
「それってさぁ、」
「うん、要するに駅に出入りする人の監視」
海人が全部言う前に、愛凪は言った。
「対策室は解散したけど、アイロウでは絵州市の隠れウィンガー対策は続けたいんだって。トレーニングセンターでも、それは言われたんだけどねー」
シーカーの能力を買われて入った未登録翼保有者対策室が事件で解散した後、愛凪には引き続きアイロウの職員として働く選択肢もあった。
だが、ウィンガーという存在の暗部を見てしまったことと、兄の同級生たちの秘密を知ってしまったことから、アイロウとは極力関わらないことにしていたのだ。
もちろん、登録ウィンガーとして、現住所や就職先は報告しなければならないし、必要に応じて面談に呼び出されることもある。アイロウとの関わりを全く断つのは、無理な立場だった。
「その向田って人、今はアイロウで仕事してんの?」
「んー、聞いたんだけど……なんか、いろいろやってますって」
「いろいろって……雑なごまかし方だな」
「すごく顔は広いみたい。感じはいい人なんだよ。時給も1500円くれるっていうし」
「げっ!オレの時給よりいいじゃん……」
年明けから、海人は運送会社の倉庫管理の仕事についていた。
週3日から始めたバイトだが、今は週5日通っている。
初日から同僚にもウィンガーであることは伝え、
「力仕事は得意です」
と、翼を広げ100キロの荷物を軽々持ち上げてみせた。
これが大いに受け、今は元々の明るいキャラで伸び伸び仕事ができている。
「だからね、かえって怪しいかなーって」
愛凪としても、さすがにうまい話すぎると思ったらしい。
返事につまる愛凪に、向田はその理由も、
「高野さんの能力は正直、アイロウとして手放したくないんです。絵州市の隠れウィンガーの増加を考えれば、対策室に準ずる組織を置く必要はある。それが、アイロウの管轄になるか、独立した組織になるか、警察の一部で対応するか……まだ分かりませんがね。ただ、そこで高野さんに活躍して欲しいのが、アイロウの、私の本音です」
と、率直に話してくれた。
それでも、あの事件以降、アイロウやそこに関係する大人への不信感は愛凪には拭えない。
海人に至っては、アイロウについて疑いの眼差ししか持てていない。
「やめといた方がいい」
「よね?」
目を見合わせた兄妹の意見は一致していた。
「でも、ね、」
愛凪は上目遣いに海人を見る。
「もしかしたらさ、私がアイロウと繋がってた方が、情報集められるとか……ないかな?」
「お前……スパイみたいなこと考えてる?笑い話じゃないんだぞ」
ちょっと楽しげな愛凪と比べて、海人の目つきは厳しくなっている。
「だって、本当はアイロウのこと、もっと調べたいんじゃないの?お兄ちゃんの友達の役に立つかも」
「それは、お前の仕事じゃない」
海人はキッパリと言い切った。
「調べようとしている奴らはいるよ。でも、それはそいつらに任せておけばいい。お前が首を突っ込む必要はないよ」
「それは……まあ、そうだけど」
愛凪は海人の同級生たちとの交流が、なんとなく羨ましかった。自分もウィンガーとして、彼らの輪に入ってみたい気持ちがある。
ウィンガーとして発現した時、暴走しかけた自分を助けてくれた凪に、恩返ししたい気持ちもあった。
「オレも登録者として、おとなしく生活していくことに決めたんだ。ニッシーや本郷もそれは分かってくれてる。だから、お前が関わるなんて、絶対ダメ!」
ビシッと言われて、愛凪はため息をついた。
(まあ、そうだよね。好奇心だけで首突っ込むことじゃないし)
それは自分でも十分、分かっていた。
「頼むよ。安西莉音のことだってある。危ないことは―」
兄の言葉を耳にしながら、机の上のペン立てに目が止まる。
(……あれ?)
それはよく目にするものだ。ただし、兄の部屋ではなく……
「お兄ちゃん、それ、私のだよね?」
愛凪が指差した先を見た海人はすぐに頷いた。
「ああ、ボールペンなくて。ペン立てごと借りてたわ」
返そうとペン立てを差し出した海人は、妹の怒りの形相にのけぞった。
「えっ、なん……」
「私の部屋!勝手に!入ったのっ?!」
「あうっ……」
つい先日も、愛凪の部屋で勝手にドライヤーを使っていて怒られたばかりだということを、海人はここで思い出した。
「べ、別にっ、あちこち開けたりしてないし!だって、お前もオレの部屋、勝手に……」
「はあっ?!掃除も片付けも全然しないからでしょ!この間だって、わざわざ着替えしてる時に覗きに来てっ!!」
そう言えば、そんなこともあったんだっけ、と振り返る。
「いや、わざとじゃないって、謝っただろ!お前だって、オレが着替えてたって平気で部屋入ってくる―」
「家中どこでもパンイチで歩いてるくせに、何言ってんの?!もうぅぅぅ、それだっていつもやめてって!」
「翼を出すな!お前、コントロールできるようになったはず―うわっ」
翼を出したウィンガーに対抗する手段の一つ。自分もウィンガーならば翼を出して相対する。
「愛凪〜落ち着こうよ〜」
純白の翼を全開にし、両手で愛凪と組み合いながら、海人は情けない声を出した。
階下のリビングでは、2人の母親が夕食を作っている最中だった。
2階から響くドン!ゴゴン!!という音にため息をつく。
「いくつになっても、小学生みたいなケンカするのねえ」
愛凪がウィンガーになったと聞いた時、1週間寝込んだ母親だったが、その後は本人も不思議なくらい状況を受け入れていた。
「もう、開き直りよ!」
2人の子供を前に、そう宣言し、今は2人の翼を見ても呆れたようにため息をつくだけになっている。
「ただいま」
リビングのドアが開き、父親が入ってきた。
単身赴任先から、最近は週末毎に帰宅するようになった父親だが、相変わらず表情は冴えない。
だが、ドタバタする天井を見上げると、わずかに頬をゆるめて呟いた。
「いつ来ても、賑やかな家だなぁ」




