姉弟(本郷家)
「宙彦、またフラれたんですって?長続きしないわよねぇ」
弟、宙彦の顔を見るなりら姉の遥香は真っ先にそう言った。
「一年で出戻った人がよく言うよ」
「あら、なんか言った?」
「いいえ、別に」
気の強い姉相手に言い争う気はない。一年で離婚に至ったのは、内科医として多忙を極めている、ということより、その辺りの理由が大きいのだと思う。
寝癖のついた頭のまま、宙彦はコーヒーをカップに注いだ。
父親の単身赴任先と自宅とを行ったり来たりしている母親は、今週いっぱい自宅にいる。
お陰で、朝起きればコーヒーの香りが満ち、朝食ができているのがありがたい。
もちろん、1人の時は1人の時で、伸び伸びと過ごしているのだけど。
遥香は勤務している病院近くのマンションに暮らしているが、母の帰宅に合わせて昨日から泊まりに来ていた。今日は、2人で買い物に行くらしい。
「そういうのはご縁よ。合わない方と無理してお付き合いを続ける必要はないわ」
朝食を並べたテーブルについた母がニッコリと宙彦に微笑んだ。
(あなたの良さを分からない女性なんて、こちらから願い下げよ)
と、その笑顔が語っている。
姉とは10歳差。歳の離れた末っ子に母は甘い。
「でもねぇ、就職したら近づいてくるのなんか、医者狙いのあざとい女ばっかりよ。早めにいい子、見定めておかないと」
ミニトマトをフォークでつつきながらそんなことを言う娘に、母はちょっと顔をしかめた。
「我が弟ながら、顔は悪くないし、シュミもいいと思うんだけど。それでダメなんだから、なんか性格に問題あるんじゃないの?大丈夫?」
「それで少しは褒めてくれてるつもり?てか、オレそんなに性格も悪くないでしょ。結構いいヤツだよ」
「あー、自分で言っちゃうあたり、どうかしらねー」
そう言う自分の性格を見直せ、と言いたいところをグッと飲み込む。20年、この姉の弟をやっていれば、どうすれば話が1番早く終わるか分かっていた。
この場合、他の話題を提供するに限る。
「そう言えば、この間の開業の話、どうなったの?メディカルビルって、一から建物建てるより設備投資が少なくて済むって、先輩も言ってたよ」
遥香は眉間にシワを寄せて、ため息をついた。
「ああ、それ。その分、家賃が高いのよ。びっくりしちゃった。スタッフ集めたりするのも面倒だし、今はまだ勤務医でいいわ」
母が隣で大きく頷いた。
「元の進和会病院の跡地でしょ。あんな事件のあった土地で開業なんて、やめて正解よ。ショッピングモールの建設の方でも揉めてるみたいだし」
「ふーん」
宙彦は、喉の奥にコーヒーとは別物の苦味を感じた。
あの事件のことは、忘れられるはずもない。もちろん、母も姉も宙彦が事件に関わっているなど、想像もしていないだろう。
視線を皿の上のトーストへ落とし、表情を気取られないように言葉を繋いだ。
「分譲マンションの建設は無しになったって聞いたけど。まだ揉めてるんだ?」
事件の後、警察やアイロウの捜査が一通り終わると、病院や、事件の現場となった職員寮の建物はすぐに取り壊されていた。
元々、ショッピングモールの建設が予定されており、近隣住民は買い物の利便が良くなることを期待していたし、何より事件が起きたことで、治安のことを心配する声が強くなったのだ。
当初は高層ビルの下層階にショッピングモール、高層階には分譲マンションというスタイルの計画がされていたが、事件の影響でマンションに買い手がつかないことが懸念された。そのため、分譲マンションの計画は取りやめ、その代わり、メディカルビルや、保育・福祉施設の併設などが計画案として出てきたらしい。
「なんだか地権の問題が解決していないとかで、着工にもまだかかりそうなんですって。この間、千坂さんから聞いたのよ」
ああ、やっぱりな、と宙彦は思った。
小学校時代の同級生、千坂満秋の家は不動産業を営んでいる。いくつか貸しビルなども持っていて、母親は情報集めに力を入れていた。―要するに噂話が大好きな人だった。
「殺人事件とかって、やっぱり影響するのかな?オレの同級生に一ノ瀬って、いたでしょ」
「ああ、呉服屋さんの……」
「うん、あいつが仕事用に使ってるマンションも殺人事件のあった場所に建ってるけど、全然安くなかったって、言ってたよ」
「え?それ、どこ?」
宙彦の言葉に、遥香が身を乗り出す。
場所を言うと、母と姉は揃って頷いた。
「そう言えば、あったわね、そんな事件。あれも、ウィンガーの人じゃなかった?」
(そうだよな……)
宙彦も言ってから気づいていた。5年近く前の、あの事件で殺されたのも、ウィンガーだった。それもアイロウの職員。
年末に訪れた桜呼のマンションの土地には、それ以前は自動車の中古部品の販売店があった。
何台も置かれた廃車の影に、その男性は倒れていた。
首には閉められた跡があり、争った形跡もあったという。
身元はすぐに分かった。アイロウの職員で、自身もウィンガーとして登録されている人物だ。
絵州市でのウィンガー保護件数の増加に関して、現地調査に訪れていた中で、事件に遭っていた。
当時はかなり大きく取り上げられた事件だった。後に未登録翼保有者対策室が絵州市に設置される直接原因になったと言ってもいい。
犯人は未だに捕まっていなかった。
「ああ、嫌だわ。ウィンガーの話なんて。もっと楽しい話題はないのかしら?」
母親がわざとらしくため息をつきながら言ったので、宙彦はそれ以上、その話題に触れるのはやめた。
ウィンガーに関する話を、母があまり耳にしたくないことは知っている。
チラッと遥香を見ると視線が合った。
姉も同じことを考えたらしい。
「ねえ、オトちゃん、こっちに帰ってきたんでしょ」
一番、母が食いつきそうな名前を出してきた。
「そうそう、今日、会ってくるんでしょ?」
案の定、母はすぐ笑顔を見せる。
親友、西崎音十弥の家と本郷家は家族ぐるみの付き合いだ。元々は父親同士が大学の同期だったのだが、妻同士も気が合い、子供の頃は頻繁に行き来していた。
成績優秀で、大人びた音十弥と宙彦が親しくするのを、母は喜んでいた。
西崎家がアメリカへ引っ越すことが決まった時は、宙彦よりもガッカリしていたくらいだ。
「うん、だいたい引越しの片付けも済んだみたいだから、顔出してくるわ」
「もう。引越しの片付けの時こそ、手伝いに行くべきじゃないの!何か足りないものがあれば……」
「いやいや、」
宙彦は母の言葉を遮った。
「あいつ、引越し慣れしてるから、余計な荷物とかないの!片付けも手伝うって言ったの、断られたんだって。自分のペースでやりたいからって」
それでも母は不満げだ。
「ねぇ、ママがこっちにいる間に、食事でも誘ったら?私も久しぶりにオトちゃん、見たいわ」
姉の「会いたい」ではなく、「見たい」という言葉に宙彦はちょっと笑ってしまった。
小学生の頃からずば抜けて身長の高かった音十弥は、高学年の頃にはランドセルも、体育の赤白帽子も全く似合わなくなっていた。
遥香はそんな音十弥をよくからかっていたのだ。
「そうよね、せっかくこっちに戻ってきたんだもの。お正月に来た時も、あまりゆっくりお話しできなかったし。今週、どこか都合つけれないか、オトちゃんに聞いてみてちょうだい」
20歳を過ぎてまだ「オトちゃん」と呼ばれることを音十弥が喜ぶとは思えなかったが、食事くらいは快く来てくれるだろう。
宙彦はため息混じりに頷いた。




