Spring Storm ②
水沢凪はクラスの中でもおとなしい女子の代表のような子であった。
授業中に発言することはまずなく、休み時間に大声で騒ぐこともない。
話しかけても、最低限の返事が返ってくるだけで、音十弥には「静かなヤツ」という認識しかなかった。最初は。
同じクラスになって半年以上経てば、意外な面も見えてくる。
凪はその筆頭代表だった。
体は小さいくせに運動神経はよくて、鉄棒や跳び箱はクラスの誰よりもできた。
ドッチボールやバスケもなかなかで、チーム分けで凪と一緒になると、暦美などはあからさまに喜んでいる。
席替えで隣の席になると、彼女が勉強も良く出来るのが分かった。
返される答案はほぼほぼ100点だし、授業中に出された問題はさっさと解いている。
だが、それに気が付くと凪は音十弥を苛立たせる代表的な存在になっていた。
「できた人から手を挙げて」
と、言われて凪が真っ先に手を挙げたことはない。解き終わっていても、数人が手を挙げたのを確認してから、そっと目立たないように手を挙げる。
発言や意見を求められた時は特に、頑なに手は挙げなかった。
体育の時間もよく見れば、凪は手を抜いているように見えた。
走れば最後にスピードを落とす。バスケやサッカーでは、他の子がいれば自分からボールを取りに行かない。ディフェンスも周りに合わせて走っているだけに見えた。
なんで、できることを全力でやらない?
勉強も運動も常にベストを尽くし、実際大抵のことでトップに立っている音十弥には、凪の行動がまるで理解できなかった。
気になると、観察せざるを得なくなる。
一見、誰とも仲良くやっていそうな凪だったが、音十弥が見る限り、誰にでも言われっぱなしだった。反論したり、自分のやりたいことを言えばいい場面でも黙って一歩引いているだけだ。
そしてその日、体育の時間が来た。
バスケの授業。試合中、凪は自分でシュートできるはずのボールを他の子にパスした。
ボールは相手チームにカットされ、たちまち敵ゴールに吸い込まれてしまった。ただでさえ、引き離され気味だった点差が開く。
凪と同じチームだった音十弥のフラストレーションが最高点に達する条件は十分だった。
「水沢!ちゃんとやれよ!」
気がつけば、音十弥は大声で怒鳴っていた。
チームが負けてくると気が立って、怒鳴ったり物に当たったりすることはよくあった。
ただ、それなりに自制はしていて、明らかに運動が苦手な子や、どうしようもなかったプレイの時にはグッと堪えるようにはなっていた。それともう一つ、女子相手には突っかからないのが音十弥のポリシーだった。
これは母と、口うるさくて自己主張の強い姉2人から「女性には優しく」と言い聞かされてきたことが大きい。つまり、女子の意見には真っ向から反論せず、可能なら程々の距離で接すのが得策ということだ。
お陰で「西崎くんは絶対女子には怒らない」という評価を得るに至り、他の男子ほど煙たがられていない自覚はある。
(あ、やっちまった…)
凪を怒鳴った後でそうは思ったが、
(でも、この場合、水沢が悪い)
音十弥は思い直した。
さっきのシュートだけではない。パスカットできる位置に凪は何度かいたし、その前にもシュートのチャンスで他の子にパスを回していた。とりあえず、みんなに合わせて動いていればいい。音十弥には、凪がそんな風に考えているように見えた。
「ちゃんとやれよ!手ェ抜くな!」
だから追い討ちをかけてそう言った。凪がどんな反応をするかなど考えなかった。
無表情で固まり、唇を震わせる凪を見ても、最初はなにも思わなかった。
(え…なんで…?)
ちょっとまずいかな、と思ったのは固まった凪に、一ノ瀬桜呼が声をかけた時だった。
「水沢さん、大丈夫?」
凪はぎこちなく頷いたが、大きく息をしている。逸らした目が音を立てそうな勢いでまばたきを繰り返す。
泣きそうなのを必死に堪えているのが分かった。
(なんで泣くんだよ!オレ、間違ったこと言ってないぞ)
口を開こうとした音十弥は、
「ちょっと、水沢さん、手抜いてなんかいないでしょ!」
桜呼にグイッと詰め寄られて、言葉を飲み込んだ。
身長160cmを超えた音十弥と、ほぼ同じ目線で話せる女子は桜呼ぐらいだ。
担任の野宮れい子は、生徒間の争いは出来るだけ生徒間で解決させる主義だったが、ゲームを中断させて掴み合いを始めそうな音十弥と桜呼の間に、さすがに割って入った。
この一件以来、音十弥はどうも凪に避けられている気がしている。
凪の行動というかスタンスは相変わらずで、音十弥を苛立たせることは多かったが、なにも言わずに我慢した。また他の女子が傍から口出ししてくると面倒でしょうがない。
隣の席になっても、2人は一度も言葉を交わさずに1日を終えることの方が多かった。
そんなこんなで、水沢凪は音十弥にとって、無視出来ず、かといって最近は積極的に絡みづらい存在となっている。
「水……沢…?」
その凪が今、自分達を睥睨するように見下ろしていた。しかも宙に浮いたまま。
音十弥を含め、何人か巨大な翼を持つウィンガーは最初から飛べることを自覚している。
凪の翼もまた、小柄な彼女の身長を凌ぐかと思われる大きさだ。だから飛べるのは分かる。問題はその色だ。
黒い。一部の隙もない黒。目に映る何よりも黒い。
つい先程、吉川美実が発現する瞬間に立ち会ったばかりだというのに、続けざまにもう1人。しかも、黒い翼など聞いたことがない。
凪の腕に掴まれている美実は先ほどよりおとなしくはなっているが、まだパニック状態には変わらない。
「なに?!なんで?!なんで飛んでるの!」
震える声で叫んでいる。
「一回、翼しまえ!」
ふだんからは想像もつかない荒っぽい口調で凪は美実に命じた。
「む…無理っ、分かんないよ!」
美実は反ベソだ。
「ああ…」
呆れたようにため息をついて、凪が降りてくる。ゆっくりと。漆黒の翼を広げて。
「息、吐いて。違う!吸うんじゃなくて、ゆっくり吐くの!」
地面に降り立つと、座り込んだ美実の肩を掴み、凪は真っ直ぐにその顔を覗き込んだ。
つられるように凪を見返した美実の表情が、ふっと柔らかくなる。
言われるままに、息を吐き出した美実の背中から、翼が消えた。
「はああああ〜〜びっくりしたぁぁぁぁ〜」
座り込んだまま、美実はまだ震えている。
それでもなんとか顔を上げて、周囲を恐る恐る見回した。
囲んだクラスメイト達は、混乱を極めた美実の眼差しと、お互いの顔と、それから見たことのない色の翼とを行ったり来たりして見ている。
凪は同級生たちの視線を浴び、そうっと自分の背中を振り返った。
ウィンガーになったことは理解しているだろう。なにしろ、飛んでたんだから。
(もしかして、発現してから何日か経つのか?)
すっかり翼をコントロールできている様子と、落ち着いた態度にそう思った音十弥の考えはすぐに否定された。、
翼を目にした凪は、固まった。たっぷり10秒ほど、動かない。その後、ファサッファサッと翼を開いたり閉じたりしてみる。
更にグルッと反対の翼を振り返り、勢いよく正面に振り返った。
「なにこれ!!黒いんだけど!!」
大きな目を思い切り見開き、食ってかかる勢いだ。
「なんで?!黒!これっ、黒!」
自分の翼を指差しながら、必死の形相で訴える凪に答えられるものはいない。
「……そうだ。確かに黒だ」
仕方なく、音十弥はそう答えた。
「ていうか、気にするとこ、そこか?」
傍から続けた本郷に
「当たり前じゃん!おかしいだろ!黒って!!カラスみたいじゃん!」
凪は大真面目な顔で憤慨している。
「カラス…」
真壁が顔を背けて笑っている。
凪と西崎と真壁を見比べていた蝦名が
「カラス…でダメなら…天狗ではどうだろう」
と、いつもの地声でトンチンカンなことを言い出す。
「え、黒、いいんじゃない?カッコいいよ」
「ちょ、ちょっと珍しいね」
暦美と寺元は凪に気をつかっているつもりらしいが、いずれにしろ全員がテンパって微妙な空気が流れていた。
「……まず全員、翼しまおうぜ。話はそれからの方がいい」
やや間を置いて、結局この場をまとめたのは音十弥だった。




