Spring Storm ①
第2章まだ途中ですが、どうしてもこの時期に出しておきたかったので……
主人公たちの小学校時代のお話です。
小学校の裏の神社跡、通称『裏山神社』は、5年1組の一部の生徒には格好の集会所だった。
かつてはそれなりに大きな社を構え、春と秋にはお祭りも行われていた。地域の人が事あるごとに参拝に訪れ、この辺りでは名の通った神社だったという。
しかし今、社は黒々とした残骸となり、高い杉の木立に囲まれている。今にも崩れ落ちそうなそれは、放置されて10年以上経過していた。
不審火で全焼した後、大きな地震に見舞われ、さらに関係者の不祥事が続いて再建困難になった、なんて事情は子供たちの知るところではない。
学校からは危険なので境内にも入らないように、と言われているが、だからこそ隠れウィンガーとなった子供たちには格好の溜まり場となっていたのだ。
特に大きな翼を得た子供たちは、飛ぶことができただけに、飛行訓練をしたがったから、杉木立のお陰で周囲から見えないこの場所はおあつらえむきだった。
ほぼ崩れ落ちているとはいえ、社の建物が残っているお陰で、万が一参道をやってくる人がいても身を隠せる。
そもそも山の頂上にあるこの神社跡にわざわざ昇って来る者など、今は皆無だった。
水沢凪はキョロキョロとあたりを見回し、人影がないのを確認してから裏山神社の石鳥居をくぐった。
学校から立ち入りを禁じられたこの神社の敷地内に入るのを、口うるさい子に見つかるとチクられる可能性がある。
それでもまあ、鳥居周辺でたむろしたり、お喋りをしている分には大目に見られているようだが。
鳥居をくぐってすぐ左手には、凪の身長ほどのコンクリートの壁が立っている。
5メートル近い長さの壁には、ところどころ丸、三角、四角の穴が開いていた。
子供がくぐったり、登ったりする遊具の一種だったらしい。
付近には、かつて小さな公園になっていた名残りで、砂場の囲いの跡や、遊具の基礎になっていただろうコンクリートの土台がポツポツ地面から顔を覗かせている。
いつもならこのコンクリートの壁に寄りかかるか、丸い穴の部分に腰掛けて同級生の丹波清花や里田珠枝とおしゃべりしてから帰るのが、お約束のようになっていた。
期待を込めて、小走りにやってきた凪は、2人の姿がないことに、落ち込むと同時にやっぱりな、とため息をついた。
ここ数日、2人は凪にあからさまに冷たい。
理由はなんとなく分かる。
最初は、昼休みに凪だけが別のグループに誘われたこと。
別のグループ、というよりクラスの大半の子が参加しているドッチボールに誘われて、反射的に頷いてしまった。
当然、一緒にいた清花と珠枝も誘われたものだと思ったのに、誘いに来た小宮山暦美は
「水沢さんだけでいいよ」
と、あっさり言い放った。
「1人入ってくれると同じ人数になるから」
だったら3人入ってもいいでしょ、とは言えなかった。
そもそも清花も珠枝も、運動は得意ではなくて、休み時間は喋ったり本を読んだりして過ごすのが常だ。
凪は慌てて、代わりに行ってくれそうな人はいないかと教室の中を見回した。
体を動かすのが好きな、活発な子の多いクラスである。
教室に残っている者の方が少ない。そして残っているのは、とにかく運動神経に恵まれていない男子3人組と、なにやら推しキャラの話で盛り上がり、こちらを気にもしていない女子グループ。
つまり、いつも外遊びに加わらないメンバーばかりだった。
「行っておいでよ」
「そうだよ。水沢さんドッチボール得意じゃない」
清花と珠枝の言葉には棘がある。
「え…と…」
凪は言葉を発する間も無く、暦美に腕を引っ張られて教室を後にした。
それからも、ちょくちょく暦美や、そのグループの女の子たちから遊びに誘われている。
クラスの中心的なグループの彼女たちが、極めて地味な自分のことを誘う理由が凪には分からなかった。
しかも、あからさまに清花と珠枝のことは邪魔者扱いだ。2人が機嫌を損ねても当然である。
それに加えて、清花と珠枝が共に気にしている男子、西崎音十弥と凪が席替えで隣の席になったことも大きく影響していた。
クラスの女子の人気を二分しているのが、西崎音十弥と本郷宙彦である。
ともに、成績優秀、運動神経抜群に加えて2人ともピアノやギターが弾けた。おまけにそれなりに整った容姿をしているとなれば、人気にならないわけがない。
他の男子は2人のずば抜けたレベルの高さに競い合う気もなかった。というか、西崎も本郷も自分の能力の高さをひけらかすこともなく、あっけらかんとしていて、男子の中でも人気者だった。
凪としては2人に限らず、男子全員が苦手だった。とにかく話ができない。何を話したらいいか分からない。
ただ凪の場合、それは女子にも言えることで……早い話、人付き合い全般が苦手だったのである。
あからさまに無視したり、何も言わずに先に帰ってしまう清花と珠枝にも、はっきりと抗議もできず、かといって他の友達と遊ぶという選択肢も考えられない。
2人と一緒にいられないと、学校にいる間誰とも話さずに過ごすことになりそうだった。
コンクリート壁に触ると、冷気が腕を駆け上がってくるようだった。
空はどんよりと重さを増してきている。
夕方から雪の予報も出ていた。
清花か、珠枝の家のどちらかで2人は遊んでいる可能性が高い。
でも、わざわざそこへ乗り込んで行く勇気もない。
(どうしようもないしな……)
少し気分を落ち着けてから帰ろうと、凪はコンクリート壁の影にうずくまった。
吐く息が白い。
はあっと吐いたそれがふわふわと消えていくのを、凪はぼんやり見守った。
「…。……」
その耳に、微かに聞こえた音がある。
凪は三角の穴越しに社の跡の方を窺った。
音は確かにそちらから聞こえた。
じっと息を潜め、耳を澄ます。音は続いている。それは、確かに話し声だった。
最近、耳がよくなった気がする。お陰で、清花たちが「水沢さんの喋り方、おかしいよね」「そうそう、必ずえぇと、とかつけるし」なんて会話も聞いてしまった。
だから、今日だって自分から話しかけられなくて…
社の方へ気を取られていた凪は、反対からの足音にギョッとして身を隠した。
隠れてから、
(いや、隠れてるってバレたら、かえっておかしいでしょ!)
と、自分に突っ込んだが、もう仕方がない。
鳥居をくぐってきたのは、同じクラスの吉川美実だった。
それが分かった時点で、何気なく壁の影から出ていけばよかったのかもしれない。
だが、美実の思い詰めたような表情が凪の動きを止めた。
明らかに顔色が悪い。そして、真っ直ぐに参道の向こうを見つめ、コンクリート壁に隠れている凪に気付く余裕もなさそうだった。
美実は足早に、だが慎重に社の方へ向かっていく。足音を出来るだけ立てないように注意しているのが分かる。
凪も音を立てないように、隣の丸い穴に移動し、そこから様子を見ていた。
美実は社へ続く石段を登ったところで、脇の茂みに身を隠すようにしてしばらく立っていたが、やがて社の方へ進んでいった。
美実の姿が見えなくなったので、凪はそっと立ち上がり、参道の方へ近づいてみた。
何を言っているのかは分からないが、話し声は続いている。
帰るなら、今のうちだ。何も見なかったことにすればいい。きっと、大したことではない。だが……
「落ち着けって!!」
「ミミ!」
何人かの声が、はっきり聞こえてくる。
ミミ、と美実のあだ名を呼ぶ声は、間違いなく暦美のものだ。
考える前に、凪は声の方へ向かっていた。
5段ばかりの石段を登ると、社の跡が威圧的に正面を塞いでいる。すぐ脇の手水舎であったであろう石の水盤に、美実のランドセルが立てかけられていた。
「ちょっと!話し聞いてよ!!」
暦美の金切り声がはっきり聞こえる。
凪は反射的に美実のランドセルの脇に自分のランドセルを投げ出し、声のする社の後ろへ向かった。
ここまで奥に入ってくるのは凪は初めてだった。
焼け落ちた、と聞いていたけど思ったより社の外観は残っている。
声に加えて、足音や揉み合うような音まで聞こえてくるが、建物に隠れるようにして進んだ。
心臓がバクバクしている。引き返すなら今のうちだが、その選択肢は凪にはなかった。
なにか…なにか、起こる。
こんなに緊張しているのに、ひどく冷静に状況を俯瞰している自分も感じていた。
歩を進める足元は驚くほど慎重に音を立てない。
何が起こっているか見たら、どうしたらいいか分かるという、妙な確信が凪にはあった。
だが、建物の裏を覗き込んだ凪の目に飛び込んできたのは、それでも十分に衝撃的な光景だった。
(ウィンガーが……いっぱいいる!)
そこでは、純白の翼を広げた同級生たちが、右往左往していた。
足元まで届く大きな翼。動くと、空気を切る音が聞こえる気がする。
杉木立とその根元から生い茂る茂みに囲まれた空間で、何人ものウィンガーが翼を広げている姿は、ひどくシュールなものだった。
だが、凪はその翼の美しい流線と完璧な白に心を奪われた。
「……天使だ」
思わず呟きが漏れる。
うっとりと見とれて、凪は彼らが取り囲んでいるものにも、すぐには気づかなかった。
悲鳴のような息遣いが聞こえて、ハッと我に帰る。
ウィンガー達の中央でうずくまっている呼吸の主は美実だった。
彼女の背中にも翼が見える。
美実の翼は、そばにいる真壁和久や寺元信樹の翼と同じくらいの大きさだった。
「いやァァァ!やだ!助けてよ!訳わかんないっっ!!助けて…!!」
美実は頭を抱えながら叫んでいる。
「どうしよう…ミミ、落ち着いてよ、私の声、聞こえる?」
オロオロと声をかける暦美の翼は、美実のものより遥かに大きい。
だが、美実の肩に手を触れようとした暦美は弾かれるように後ろへ飛んだ。
音十弥と蝦名が慌ててその体を支える。
美実は立ち上がっていた。
肩が大きく上下している。それにつれて、翼も上下する。震える。
突如、美実は前方へ翔んだ。
獲物に飛びかかる猛獣のような勢いだった。
咄嗟に飛び退いた和久は、尻餅をついて転がった。
和久を狙ったわけではない。ただ、目の前の相手に本能的に飛びかかったようだった。
勢い余って地面に手をついた美実が、振り絞るように声を出す。
「止まらない…!うまく…動けない…!」
油の切れた機械のような動きで、美実の首が回る。
何を思ったのか、美実はまた突進した。黒い残骸と化した社の建物へ。
まだ意地のように建っている太い柱へ、頭から美実が突っ込もうとした時、
「ダメーっ!!」
凪は、訳もわからないまま、飛び出していた。
体の中を熱風が駆け抜ける。それは、不思議と爽快で心地良いものだった。
何かに背中を押される。驚くほど体が軽い。
世界は、ゆっくりと動いていた。
一度、地面を蹴っただけで美実の体に手が届く。凪の足は宙に浮いたままだ。
美実の体をしっかりと抱きかかえた凪は、背中に意識を集中した。
考えたわけではない。全て直感に任せた動きだった。
グイッと美実の体ごと上昇する。
声にならない声が美実から、そして足元なの方からあがった。
「ひっ…ふぇ……っっ?!」
「動くな!落ちる!」
手足をバタつかせる美実を凪は一喝した。
2人がいるのは……地面から完全に離れ、3メートルほども上空だった。




