もう1人の同級生 ③
「この店、結構いい人多くてね。働きやすいんだ」
彼らが帰ると、室田はそう言って口を開いた。
「高校卒業して、こっちに戻ってからいろいろ仕事したんだけど。ここが一番居心地いいね」
バーカウンターの後ろから出てきた手には、暗緑色の瓶が握られている。
「シャンパン、どう?」
凪は慌ててブンブン首を振った。
「こ、こんなお店のシャンパンなんて……!」
「お金取らないって言ってるでしょ!大丈夫。オレ、結構稼いでるから」
顔のそばに瓶を掲げ、キメ顔を見せるあたり、いかにもホストだ。
(いや、なにより室田くん、こんなことするキャラでは……)
そう思ってからハッとする。
もう、8年も経っているのだ。しかも、当時だって室田とは碌に話したこともない。室田のキャラなど、自分は知らないのだ。
フワッと、前触れもなく室田の翼が現れた。
(え?!何?!なんのため?!)
凪があっけに取られている前で、室田はコルクを抜き始める。
「……へ?」
凪の怪訝そうな顔に、室田は無邪気に笑った。
「オレ、コルク抜くの苦手なの。翼出した方が器用になれない?力も入るし」
ポン!と小気味い破裂音がして栓が抜かれる。
「あ、もちろん仕事中は出してないよ。他の人に代わってもらう〜」
「……そういう使い方もあるんだ……」
凪はシャンパンのグラスを恐る恐る受け取り、言われるがままに乾杯した。
「ねぇ、登録はされてないんだよね?」
まず聞きたいことから、さっさと切り出した。場を繋ぐような話題も思い浮かばない。
室田は悪戯がバレた子供のように、上目遣いで凪を見た。
「うん……」
「いつから?」
「高一の……秋くらいだっけかな」
「あたしたちのことは……?」
室田は目を伏せ、少し逡巡してから
「ごめんなさい」
と、囁くように言った。
「小学校の時から、知ってた」
(やっぱりそうか)
と、同時にどこでバレたんだろう、とも思う。
凪は当時の記憶を辿った。
「裏山の、神社に集まってたでしょ」
室田は続ける。
「飛ぶ練習とかしてるの、こっそり見てた」
「!そうなの?!全然,気がつかなかった……」
それはかなり驚愕の事実だった。
凪たちが卒業した八川小学校は,小高い山の頂上に近い場所にある。
学校の裏、北側の坂を登り、山の頂上にある神社は、隠れウィンガーとなった子供たちの集会場所であった。
神社とはいっても、しばらく前に火事で全焼しており、当時は無人の廃屋と化していた。そのため参拝に訪れるものなど、なくなっていたのである。
黒焦げになったまま残っていた社の裏の空き地が、子供たちの秘密基地だった。
高い杉木立と社の残骸に囲まれた空間で、自由に飛び回ったのはいい思い出だ。
学校でも危険だからと境内への立ち入りは禁止されていたので、見つかる可能性は低かったし、翼を出す時は、誰かが見張り役をするなど気をつけていたつもりだ。
だが、室田は見ていた。そして、
「でも、黙っていてくれたんだ……?」
当時まだ翼を発現していなかった室田が、なぜ同級生たちの秘密を密告しなかったのだろう?
凪の疑問に、室田はむしろ当然だという顔をした。
「だって、みんな楽しそうだったし、悪いことしてるわけじゃないし……そうだな……誰かに言う方が怖かったかも」
(言うのが怖い……?)
首を傾げる凪に、室田は続けた。
「いいクラスだったでしょ?みんな、面白くて。そのままがいいと思った……かな。オレが何か言っても、大人に信じてもらえるかも怪しかったし」
最後には自虐的な響きもあったが、相変わらず室田はあっけらかんとしている。
「校舎の裏にちっちゃい門、あったでしょ。えっと、北門だっけ?あそこから草むら越えて行くと、ちょうど神社の裏に出るんだよ。それでね、木の影からそーっと、見てたわけ」
凪が聞く前に室田はネタバラししてくれた。
その口調には、少し得意げな響きがある。
「北門って、いつも閉まってたよね」
凪の脳裏にモスグリーンの塗料が剥げ落ちた門が浮かんだ。
身長より少し高いだけのその門の向こうは雑草が生い茂げる斜面になっていたはずだ。
「そう。人いないの見計らって乗り越えてさ。ちょっと行くと獣道みたいになってて、神社まで行けるんだ」
いたずらっ子の少年の顔が笑っている。
凪にはどうしても、彼が室田光だということに違和感があった。
当時の彼は、こんな風に笑わなかった。
怒ったり騒いだりしているところも見たことがないが、大声で笑っているのを見た記憶もない。
いつも人の顔色を伺いながら、曖昧な笑みを浮かべて隅っこからみんなを見ている。室田も彼が仲良くしていたおとなしい男子たちも、みんなそんな感じだった印象しかない。
室田は残っていたグラスの中身を一気に飲みほすと、少しぼんやりした顔になってしばらく黙った。
(顔には見覚えがある。間違いなく室田くんなんだけどな。こんなによく喋る子だったんだ……)
「本当はね、みんなのこと、羨ましかったんだ。水沢さんなんかブンブン飛び回ってたでしょ」
ややあって、室田はそう言った。そう言われても凪はなんと答えたらいいか分からず、口の中で微妙な相槌の音を発するしかない。
「翼が出た時、ちょっとやった!って思ったよね。誰にも言えなかったけど」
「……登録、考えなかったんだ」
室田はすぐ頷き、それから
「んー、と、ね」
天井を仰いだ。何か、話しずらいことなのかと、凪が口を開きかけると、
「ほら、うちの親、事件に巻き込まれたでしょ」
と言う。
「え?」
「あ、こっちいなかったから、知らない?うちの母親、重要参考人になったんだよ。殺人事件の」
あっけに取られた凪に室田は説明してくれた。
凪たちが中学1年生だった秋、駐車中の車のトランクから男の死体が発見された。死因は絞殺。
身元はすぐに分かった。車が停められていたビルに入る闇金で仕事をしていた男。そして、室田の母の交際相手だった。
防犯カメラには車を運転してきて立ち去る室田の母が映っており、本人も認めた。
だが、交際相手の男に、車をここまで持ってきてほしいと頼まれただけだ。トランクに死体があることなんか知らなかった、と殺害には全く関わっていないと主張した。
数日前に2人が激しく言い争っているのが目撃されており、さらに室田の母には他にも交際相手がいたことが分かると、彼女の疑いは濃くなった。
しかも、ケンカや二股の事実を当初は否定していたこともあり、ますます疑惑の目を向けられた。
重要参考人として、母親が警察に連れていかれると、室田の周囲はたちまち騒然とした。
マスコミはもちろん、殺された男の友人だの同僚だのいう人々が押しかけ、とても学校など行ける状態ではなかった。
助けてくれたのは、小学校の担任だった野宮れい子……
「妹と2人で、しばらく先生の家に隠れさせてくれたんだ。結局、証拠不十分で母親は帰ってきたんだけど、仕事は続けられないし、アパートにも住んでいられなくなって。妹のお父さんが、妹は引き取ってくれたけど、オレまでは無理だから……」
話の流れが分からず、凪は目をパチパチした。室田はそれに気づくと苦笑して付け加えた。
「オレと花、妹ね、父親が違うから」
「あ……そうなんだ」
「うん、それで先生が母方のおばあちゃんに連絡してくれて。うちの母親と色々あったらしくて、音信不通だったんだよ。でも連絡したら、オレ1人くらいならなんとかって……そんで、オレはおばあちゃんちに引き取られて、それから高校出るまでそっちにいたんだ」
どこか達観したように、和やかな表情で語るのは辛い経験をしたからこそなのかもしれない。室田の雰囲気が、昔とだいぶ変わった訳も、凪はなんとなく分かる気がした。
「まあ、オレはなんとか高校も行けたし、それなりにやってたんだけど、妹がね……」
かすかに室田の眉間がよる。
「あっちのお父さん、再婚してて、子供もいて。居心地よくなかったみたいでね。母親のところに戻る話もあったんだけど、うちの母親もオレらがいなくなったら、気が楽になったみたいでさ。バックれやがって」
最後の一言には苛立ちと寂しさを含んだなんとも言えない響きがあった。
「行方不明なの?」
「ううん、電話は繋がる。たまに。でも、絶対に居場所は言わない。ひどいよね」
大きく頷くのも気が引けたが、凪もその通りだと思う。
凪はふと、室田の雰囲気がどことなく立山尚に似ている気がした。
立山も以前ホストをしていたから、職業柄というのもあるのだろうが、親との関係に問題があるということで、余計にそう感じたのかもしれない。
もしかして、同業の繋がりで、立山のことを知っているだろうか、と思ったが聞くのはやめた。
先日の事件に自分が関わっていることを室田に話していいかどうか、まだ判断できない。
代わりに、
「実は今日、小学校のクラス会だったんだよ」
と教えると、室田は仰け反った。
「えっ?!ホント?マジ?……え、オレ住所不明になってるの?……まぁ、そうだよね、バタバタ転校してそれっきり誰にも連絡しなかったし。うわ、すごい偶然」
クラス会のことを知っていたら、参加したかったという室田が、凪には意外だった。
凪と同様、友人の少なかった室田が会いたい相手などいると思えなかった。だが、ウィンガーとして情報を共有するためにも、確かに西崎や本郷に会わせておいた方が良い。
「あのね、ジーズ・バーっていう店があるんだけど……」
「ワォ、水沢凪?アハハハ!」
PCのメールをチェックしていた女は、ソファにひっくり返らんばかりの勢いで笑い出した。
「ふふん、おもしろ〜い!結局、みんなあの街に集まるのね」
かすかに訛りのある日本語でそう言うと、女は飛び上がるように立ち上がった。
まるでバレエのようなステップを踏みながら窓へ近付くと、そのまま勢いよくガラス戸を押し開けた。
凍るような冷たい風が一気に流れ込んでくる。外は珍しく晴天だった。
積もった雪に反射する日差しが眩しい。目の前には、粉砂糖を振りかけたような針葉樹の森が広がっている。
風に舞い上がられた雪はキラキラと輝きながら、澄んだ空気に溶けていった。
女は素足のまま、躊躇いもなくバルコニーへ出た。
軽やかなステップを踏んだ体が易々と手すりを越える。空中へ躍り出た彼女の背中には純白の翼が広がっていた。
ヒュッと風を切った細身の体が、優雅な軌跡を描いて舞う。
ゆったりと上昇した彼女は、日の光をいっぱいに浴びるように、空中へ横たわった。
「Free……!」
満足そうな笑みを浮かべた唇から、囁くように言葉が漏れる。
(水沢さん、こんな風に今も飛んでいられるかしら?無理でしょうね)
吐いた息が白い。
「……フフッ……アハハハ!」
彼女は声を出して笑った。
見渡す限り広がる木々の上をその声は抜けていった。




