クラス会の後で ①
「ああ、そこの空き瓶はそのままでいいよ。お疲れ様」
マスターの声に頷き、凪は店内を見渡した。
ほぼいつも通りに片付いている。
3次会への誘いを丁重に断り、ジーズ・バーのバイトとして、後片付けを終えた。
これでいろんな意味で一段落だと、凪はため息をついた。
隠れウィンガーの同級生たちの今後は、
「現状維持だな。みんな、今更ウィンガーとして名乗り出る気はないって言ってる」
本郷の言葉は、ほぼ予想できていたものだ。
クラス会の連絡ついでに、それとなく話題に触れた時点から、誰もが
「これから登録されたくはないな」
と、言っていたらしい。
大人になり、ウィンガーの現状を自分の目で見て判断するに、その制約の多さは理不尽なものとしか見えない。
半ば監視された生活、海外旅行も自由に行けないなんて、というわけだ。
最初から登録された真壁と寺元は
「もう慣れた」
「旅行も行けないわけじゃないし」
とは言っているが。
(あたしも、明日からはごく普通の大学生さ)
そう考えると、凪は気分が楽になる気がした。別に同級生が嫌いなわけではない。ウィンガーが嫌いなわけでもない。
ただ、ウィンガーという特異な存在が身近だと思うと、緊張感が走る。
「凪ちゃん、はい、おつかれ」
マスターが差し出してくれたのは、薄い琥珀色で満たされたグラス。
「マスターのハイボール!」
凪は素直に喜んだ。
大学の飲み会では、若い女性らしく(?)甘めのカクテルや酎ハイを飲むことが多いが、一番口に合うのはハイボールだった。だが、ウイスキーを炭酸で割るだけのはずのこの飲み物、自分で作ったのと、マスターが作ったものでは何かが違う。
分量や混ぜ方など、真似してはいるのだが……
「やっぱり、元太さんのハイボール、美味しいです」
笑顔の凪に、マスターも微笑んだ。
「行かなくてよかったの?三次会。さっきも全然飲んでなかったでしょう」
さっきも聞かれた質問だ、と思いながら
「いいんです。あたし仲よかった子、来てなかったし。というか、その子はウィンガーじゃないんで……」
凪はもう一口、グラスを口に運んだ。
「みんな、変わらず仲よさそうで、良かったよ。結構、面影も残っているものだね」
マスターの視線はレジ脇の絵に向いていた。
言いようのない痛みが胸に走り、凪は笑顔を消した。
三つ編みの少女がこちらを向いている絵。
本当なら彼女もここにいたはずだった。きっと、キリッとした大人の女性になって。
「そう……ですね。変わったように見えても、性格昔のまんまだったり……でも、すっかり大人になってたり。面白かったです」
母親の笑顔を浮かべていた千沙紀、変わらない笑顔の寺元、すっかり背が高くなっていて、でも相変わらずの弁舌を見せた今藤。
二次会に来たメンバーの顔や声を思い出しながら、凪も絵を見ていた。
(元太さんは、どんな思いでみんなのこと、見てたんだろう?)
カラン、とマスターがウイスキーのロックを傾ける音がした。
「凪ちゃんには、莉音のこと、ちゃんと話してなかったね」
グラスの冷たさが、その言葉とともに凪の指先に刺さってきた。
「あ、あの、元太さん、無理に話さなくても……」
マスターはふわっと笑った。目尻に深い皺が刻まれる。
「いや、一度ちゃんと伝えておきたいと思ってたんだよ」
クラスには目立つ子もいれば、目立つ保護者もいる。
凪たちのクラスで言えば、PTA会長の伊達守さんの奥さん、つまり伊達守進之介の母を筆頭に、『千坂のお母さん』『本郷のお母さん』『室田のママ』などが、子供たちにも名前と顔を覚えられている存在だったが、父親ではダントツ『莉音ちゃんのパパ』がそうだった。
学校の行事にはほとんど顔を出し、熱心にビデオ撮影に勤しんでいたから、というよりもその特徴ある風貌が印象に残ったからである。
まん丸の顔はヒゲで覆われ、熊のようだった。オーバーオールが定番のスタイルで、突き出たお腹には、バランスボールでも隠してあるのかと思うほど。
むっちりした手でビデオカメラを抱え、熱心に娘の姿を追う太ったおじさんは、子供から見てもなんだか可愛らしかった。
だから……本郷にジーズ・バーのマスターを、
「安西莉音のお父さんだよ」
と、紹介された時、凪はなかなか信じられなかった。
痩せて頬がこけ、深い皺が刻まれた顔、骨張った手。
笑った時の優しい目はそのままだが、その笑みに昔のような明るさはなく、どこか疲れたような空気を纏っている。
莉音がひき逃げ事故で亡くなったことは聞いていた。
犯人がまだ捕まっていないことも。
「二次会を是非、ジーズ・バーで」
と、マスターが言い出した時、凪はなんだか複雑な気分にならざるを得なかった。
亡くなった一人娘の同級生たちのクラス会。
生きていれば当然、同じ年になり、同じように大人の姿になっているはずの莉音を想像しないはずがない。
それは、とても辛いことではないかと、凪は思った。
それは西崎や本郷も同様だったらしい。返答に戸惑った彼らに、マスターは寂しそうに笑ってみせた。
「君たちの姿を見て、20歳の莉音を思い描きたいんだよ。みんなと一緒に、笑っているところを想像すると、幸せなんだ」
絵の中の三つ編みの少々は、無邪気に、ちょっと困ったように微笑んでいる。
凪の記憶の中の莉音は、キリッとした目鼻立ちの、大人っぽい女の子だった。
長い髪をいつも綺麗に編み込みにしていて、服もいつもオシャレで……
「凪ちゃんのことは、時々、莉音から聞いていたから、小学校の時の顔も覚えていたんだよ。久しぶりに会った時も面影が残っていて、嬉しかったんだ」
「え、そうだったんですか?」
凪としては、莉音とそう親しくしていた記憶はなく、ドギマギしてしまう。
「莉音、スイミング習ってたんだけどね、凪ちゃんにクロールで勝てないって、悔しがってたよ。おとなしいんだけど、勉強も運動もすごくよく出来る子なんだって」
「え……えぇ?勉強も運動もできたのは、莉音ちゃんの方じゃ……」
マスターはお世辞を言っているわけでも、大袈裟な話をしている風でもない。だが、凪は莉音と水泳で競争した記憶もなく、それらしいことを言われた覚えもなかった。
マスターはゆっくりグラスを揺らしながら笑った。
「父親の僕が言うのもなんだけど、莉音は勉強も運動も結構出来る方だったと思うんだ。その子がすごいって言ってる子って、どんな子なんだろうって。学校行った時に教えてもらったら、小柄で可愛らしい子で,びっくりしたよ」
凪は返答に詰まった。顔がほてるのは、ハイボールのせいではない。
「一緒の中学校、行けないの残念がっていてね……もちろん、その頃はまだ莉音はウィンガーになっていなかったし、凪ちゃんたちの秘密も知らなかったけど。きっと、いろんな話、したかったと思うんだ……」




