屋上にて ②
身長を超えるような巨大な翼を持つ『アーククラス』のウィンガーは、かなり特殊な能力を持っている。
飛行能力がまず一番だが、翼を出していないウィンガーを判別できる、強制的に他人の翼を発現させたり、消したりできる、などだ。
ただ、アーククラス同士なら相手がウィンガーかどうか判別するのは難しい。気配を隠すように、翼を所持していることを隠すことができるのだ。
できる。そう西崎は思っていた。
屋上に上がった時、人影は1人だけだと思った。
こんな時間、こんな場所に誰かいるなど思いもしなかったからかなり驚いたし、しかもそれはウィンガーだった。
気配を消していないアーククラス。
飛べる人間ならここへ来られた理由は理解できる。
同級生の誰かかとも思ったが、小柄な男性らしい姿に見覚えはなかった。
それに、同級生のアーククラスなら、用心して気配は消しているはずだ。
西崎の疑問は、男性の背後で起き上がった影が自分の名前を出したことですぐ解決した。聞いたことのあるその声の主と、男性の顔は、よく似ていている。それで、大体の正体の予想がついた。
水沢凪と対照的な、やたら人懐こい弟の態度は、西崎の気に入った。
「なんでまた、ここに?」
西崎の問いに、洸が口を開きかけたが、起き上がった凪は
「洸、パンパンして」
自分の背中の埃を払うよう弟に命じ、西崎の方には目もくれない。
「はいはい」
素直に姉の背中の埃を払い、心なしか強めの力で尻まで叩いたのは身内ならではのご愛嬌だろう。
ジロっと弟を睨みつけてから、凪は西崎の足元に目を向けた。
「もう、帰るつもりだったから」
それだけ言うと、次の瞬間、暗闇よりもまだ暗い漆黒の翼がその背に広がる。
「じゃ、」
それだけ、短く言って小柄な体は宙へ浮かんだ。
西崎の返事を待たず、背面跳びのような鮮やかな姿勢でフェンスを飛び越えると、凪は真っ逆さまに地面を目指した。
「ひゅう、相変わらずだな」
西崎は凪の態度に気を悪くした様子もなく、楽しげな笑みさえ浮かべた。
アーククラスのウィンガーといえど、凪ほど見事な飛び方をできる者はそうそういない。
しばらく海外生活を経験し、同級生以外のアーククラスとも出会えたが、それでもその評価は変わらなかった。
「ああ…すいませんね〜」
洸が申し訳なさそうに、凪の消えた先を見ながら言う。
「姉ちゃん、ガラにもなく考え事してるもんで。いっぱいいっぱいなんですよ」
「……」
少し不思議そうに首を傾げた西崎へ、洸は妙に大人っぽい口調で続けた。
「普段から何も考えないで、人に言われたとーり、するクセがついちゃってんですよ。でも、さすがにこの頃の事件で、もの思うところがあったみたいで。で、こんな時間にオレ、付き合わされちゃって」
肩をすくめてみせる洸へ、
「そうか…」
と、西崎は頷いた。
「悪かったな。いろいろ巻き込んで」
「いえいえいえいえ」
洸は大袈裟に手を振って、ニターッと笑った。
(姉貴と違って百面相だな)
淡々とあまり表情を変えない凪と違って、くるくる変わる洸の顔に、西崎はそんな感想を持った。
「いいことなんですよ。多分だけど」
いたずらっ子のような幼い笑みを浮かべたまま、洸は続ける。
「姉ちゃんは、ちょっと特別です。そうでしょ?でね、オレ、それには意味があると思うんですよ」
「…意味?」
洸は大きく頷いた。
「黒い翼の意味。人の心さえ操る力を持ってる意味。無視して、逃げてるだけでいいわけないでしょ?」
西崎は眉をひそめて、少し驚いていた。
洸の言っていることは、西崎自身も考えたことがある。
凪のことだけでなく、ウィンガー全体を含めてのことではあったが。
ウィンガーが現れた理由は今もわかっていない。
そもそも何が原因で翼が現れるのかも分からないし、明らかに自然界の法則を無視した身体の変化、身体能力の変化がどのような過程で起こるのかも説明できていないのだ。
そんな能力を突然与えられた人間は、やがて考える。
この能力は、何のために与えられたのかと。
本郷や同級生たちとも何度か話したことはある。だが、いつもオカルト方面やSFチックな方向へ話が進んでしまい、議論と呼べるほどのことは出来なかった。
洸は変わらずニコニコとしている。
だが、その言葉は本気だった。
あどけなさの残る顔を、西崎は用心深く見つめた。
ともすると、その考え方は危うさを含む。
「オレは逃げたっていいと思う。というか、選択肢の違いであって、逃げたわけじゃないだろ」
「……ありがとうございます。みんな、優しいっすよね」
笑顔は変わらないが、洸の顔に、少しホッとした表情が見てとれた。
「皆さんのこと、聞いてます。みんな、姉ちゃんの選択を許してくれたんでしょ?だからね、1人くらい厳しく反対する人間がいないとなんですよ。じゃないと姉ちゃん、何にも考えないから」
冷やかすような口調の中に、真剣な思いがあった。
「お前…なんか、大人だな」
西崎は思ったことを素直に口にした。
ヒヒっと、肩をすくめて洸が笑う。
「苦労しますよ、あの姉ちゃんの弟やってんの」
小さく、口笛の音が聞こえた。
「あ、やべ、姉ちゃん呼んでる」
「犬じゃあるまいし…」
思わず苦笑した西崎に、
「翼出した後の姉ちゃん、凶暴度増し増しで、大変なんですよ。みなさんには温厚なフリしてるでしょ?オレには当たり強いんですから!」
しかめっ面で洸は言った。それもまた、真実らしい。
ため息と同時に洸は翼を出した。
ふわりと、優美な曲線を描く白い翼を軽く広げると、緩やかに宙へ浮かぶ……多少、ヨロヨロと。
「じゃ、どうも〜」
小さく会釈し、浮かんだ体がフェンスを越えていく。
凪のような背面飛びはしない。
頭から地面を目指すようなこともせず、奈落へ下がっていくステージ歌手のように、一定のスピードで下がっていった。こわごわと下を見ながら…
(……飛ぶの、下手くそだな。大丈夫か…?)
思わずフェンスに近づき、耳を澄ました西崎が聞いたのは
「おせーよ!置いてくぞ!」
抑えた声ながら、弟を急かす凪の声だった。
(…まあ、凶暴化というか、翼出した後のアイツらしいというか…)
フッとため息混じりの笑みを漏らし、西崎は空を見上げた。
八川小学校。ここで、自分たちのウィンガーとしての人生が始まった。
これから先のことを考えると、無性にこの場所を訪れたくなったのだ。
もしかしたら、水沢凪も自分と同じようなことを考えてここへ来たのかもしれない。
(どういう答えが出たんだろうな?)
西崎は、姉弟が飛び去ったフェンスの向こうへ目を向けた。




