ジーズ・バーにて ②
「これは聞いちゃダメなのかもしれませんが……その調査はどなたからか依頼を受けているのですか?あ、いや…」
言ってから少し戸惑ったように、
「警察やアイロウの仕事なんじゃないかと思いまして」
マスターは付け加えた。
その指摘は当然だった。だが、渡辺にとっては虚しい指摘だ。
「アイロウも政府も、この事件は早く忘れて欲しいんだ。ご当人はもう死んでいる。突っ込んだ調査をする気はない」
渡辺はキッパリと断言した。
「誰に頼まれたわけでもありませんよ。だが、何が行われていようとしたのか、背後関係を明らかにするのは必要だ。被害を最小限にとどめるためにも」
マスターの眉がキュッと寄った。
「なんとかいう…環境保護団体ですか。なにかの陰謀論みたいですね。まるでフィクションの世界ですが、実際、立山くんは巻き込まれてしまったのだし……この町にウィンガーが集まってきているなんて都市伝説も、もしかしたらなんて、思ってしまいますよ」
「都市伝説か…」
ふん、と渡辺は鼻を鳴らした。
「須藤はそこに便乗したのかもしれんな…下手に頭の切れるヤツは厄介だ。ましてウィンガーときては」
自分の手元に語りかけるように呟いた時、ドアが開いた。
「こんばんわ〜」「あー、寒いわねえ」
入ってきたのは、和服の中年の女性2人連れ。
一目でクラブのママか、チーママかといった風情がみてとれた。
常連らしく、
「ああ。いらっしゃいませ。どうぞ」
マスターが親しげな笑顔を見せる。
それを機に、渡辺は席を立った。
2人の女性ともから、少し残念そうな視線が注がれる。
「お邪魔しました。もしかしたら、また伺うかも知れません」
用心深く観察したが、また来ると聞いても、マスターは不快そうな様子は見せなかった。
須藤はこの店に、立山の話を聞きに来ていただけだったのだろうか?
ならば、なぜ一人で来ていたのだろう?元々スタンドプレーの多い人間ではあったが…
そんな引っ掛かりが、渡辺の足をこの店に運ばせたのだが、収穫はなさそうだった。
レジまで行くと、脇に掛けられた小さな絵に目が止まる。
店内の他の絵と同じタッチの水彩画。だが、バーにはそぐわない題材な気がした。
描かれているのは幼い少女。
膝を抱えて横向きに座り、顔だけこちらに向けている。柔らかな線で描かれた、肩にかかった愛らしい三つ編み、ふっくらした手と頬。
膝につけるように傾けた顔は、何かもの言いたげにも、少し拗ねているようにも見える表情で、じっとこちらを見ている。
渡辺の胸に、ズキン、と痛みが走った。
玄関を開けると、元気よく響いてくる軽い足音。
膝の上の温かな感触。
満面の、笑顔。
それらが一気に胸を塞ぎそうになって、渡辺は急いで絵から目を逸らした。
帰る道すがら、じわじわと記憶に浮かんで来た絵がある。
始めはぼんやりと、まさかと思ったが、自宅のドアを開ける時には確信に変わっていた。
渡辺は真っ直ぐ、物置代わりに使っているロフトへ上がった。
1LDKの居住スペースの荷物は驚くほど少ないのに、3畳ほどのロフトはダンボールや衣装ケースでいっぱいに埋まっている。
全て、どうしても捨てられない品々だった。
普段滅多に上がることのないロフトは、ちょっと動いただけで埃が舞う。
それでも、目的の物がどこかはすぐに分かる。
隅に置かれた、扉付きのカラーボックス。
ピンク色のそれの、一番下の扉に手をかけ、渡辺は一瞬躊躇した。
目を閉じ、息を吐く。
何を確認しようとしているのだ?確認して、どうしようというのだ?
だが、確かめずにいられなかった。
扉を開けると、黄色いぬいぐるみが倒れてきた。だいぶ型崩れしたクマのぬいぐるみ。
直視しないように、そっと脇にどけ、ボックスの中を覗き込む。
半分ほどはぬいぐるみが無造作に詰め込められている。残りの半分のスペースは、絵本で埋められていた。
何度も手に取り、見慣れた背表紙に指をかける。
『りなちゃんのぼうけん』
取り出した絵本は、少し表紙に痛みはあったものの、きれいな状態だった。
麦わら帽子を被った三つ編みの女の子が、白い犬と並んで野原を歩いている表紙。
それは、ジーズ・バーで見た少女の絵とよく似ていた。
いや、同じ作者の絵だと渡辺は確信した。
表紙に書かれた作家の名前を指でたどる。
さく・え あんざい げんた
何かが、渡辺の中で繋がろうとしていた。




