ジーズ・バーにて ①
慣れた動きで、開店の準備をするマスターを、渡辺はカウンター越しに見ていた。
顎髭でもこけた頬は隠せていない、"しょぼくれた"という形容詞の似合う男だった。
ジーズ・バーについては、須藤の報告書である程度のことは知っている。
このマスターの高橋元太が、ほぼ1人で切り盛りしている店だ。週末にバイトに来ていた立山が亡くなった後は、新しいバイトも入っていないらしい。
木目調でしつらえられた店内は、狭いが落ち着いた雰囲気だった。
所々に、ハガキより一回りほど大きいサイズの水彩画が掛けてある。
ほとんどが酒瓶やグラスなどの静物画だ。
渡辺自身、それほど美術に興味があるわけではなかったが、淡い色彩はどことなく店の雰囲気とそぐわない感じがした。
同じ画家のものらしいから、マスターの好みなのかもしれない。
「すみませんね、忙しいところにお邪魔して」
一応の社交辞令の渡辺の言葉に、
「忙しくはありませんよ。年中、閑古鳥の鳴いてる店ですから」
相手は淡々と応じた。
頼りなさげだが、穏やかな物腰。客商売には向いていそうだった。
「あまり思い出したくはないでしょうが、立山さんの事件に関して、少し答えていただきたいことがあります」
テーブルやカウンターを拭き終わり、メニュー表を整えているマスターへ、単刀直入に切り出す。
最初から、元対策室のスタッフだとは伝えてある。相手は少し身構えたが、拒絶する様子はなかった。
「思い出さない日はありませんよ。立山くん、いい子でしたからね」
身振りで、カウンターの席に座るよう促され、渡辺は従った。
「報道されている内容が本当だとすれば、ひどい話です。あまりにも、不条理だ」
元々悲しげな顔に、憂の影が落ちる。本心から、立山の死を悼んでいる顔だった。
渡辺は目を伏せた。
「面目ない。すぐそばで見ていたのに、須藤が企んでいたことに、全く気付けていませんでした」
「いや、あなたを責めているわけじゃありません。あなた方も、ある意味被害者でしょう」
カウンター越しに向き合うと、疲れたような笑顔が見えた。
「せっかくだから、何か飲みませんか?お仕事中はダメですか?」
「いや、」
渡辺は素早くメニューに目を走らせた。
「じゃあ、ダルモアを」
「かしこまりました」
渡辺は椅子に座り直しながら、ネクタイを緩めた。
マスターは手際よく、グラスを用意している。
「仕事といっても、もう対策室のスタッフではありませんし、アイロウとも無関係です。フリーのジャーナリスト兼、探偵といったところです。そのつもりで話していただいて、結構ですので」
マスターはチラッと視線を上げ、探るように渡辺を見た。
言っていることの真意を測りかねたのだろう。
補足するように、渡辺は続ける。
「私が知りたいのは、須藤のことなんです。何をしようとしていたのか、仲間は他にもいるのか。どうも、得体の知れないところがある男でしてね。対策室の仕事の他にもいろいろと嗅ぎ回っていた節がある。ここへも、何度か来ているはずだ」
コースターの上に、コトン、とグラスが置かれた。
琥珀色の液体の中で氷がゆっくり回っている。
グラスを持ち上げると、カラカラと小気味いい音がした。
「立山くんが姿を消してから…2度ほどですね。2回ともお客様として、ですよ」
おもむろに切り出したマスターの口調に、感情は感じられなかった。
立山を死に追いやった須藤に対して、思うところはあるはずだが。
(…なかなか、食えない人物のようだな。夜の客商売にはよくいるタイプだ)
渡辺は、用心深く言葉を選んだ。
組織のしがらみから解放されている今なら、手の内を晒すのも自由だ。
ずっと公職についていた身が解放されたことで、少々大胆な行動をとりがちになっていることも、それを密かに楽しんでいることも、渡辺は自覚していた。
グラスを口に運びながら、微かに自虐的な笑みが浮かぶ。
「聞かれたのは…立山くんの家族や、恋人のことでしたね。特に不自然な感じはしませんでした。その時はね」
相変わらず、マスターの口調は淡々としている。協力的とも、非協力的とも言えない語り口だ。
胃の腑からじんわりと熱気が上がってくるのを感じながら、もう一口流し込む。
そういえばアルコールを口にするのは久しぶりだった。
(高野愛凪の歓迎会以来か…)
元々はイケる口だが、いつ呼び出しがあるか分からない仕事をしている間は、おいそれとは飲みにも行けなかった。
自宅でアルコールを口にすることはまずない。
(そういえば、立山が逃亡した時、高野もこの店に来ているんだったな)
事件に巻き込まれ、更にウィンガーになり、今はトレーニング施設にいる少女を、渡辺はそれなりに評価していた。
世間知らずで、精神的にも幼い様子は丸出しだったが、なんとか仕事で役に立とうとひたむきな姿勢は好感が持てたし、なによりシーカーという能力は重要だった。
(ウィンガーなんかになってしまうとはな)
須藤を慕っていた彼女には、事件の衝撃は計り知れないものがあっただろう。
翼を発現したこと、事件のこと。早々に対策室を辞めたいと申し出があったのも、やむを得ない。
ふっとため息をつき、渡辺はグラスを置いた。
「須藤、自分のことは何か話しましたか?」
マスターはゆっくり首を振る。
「特には。そうですね…なんというか、正直もう少し立山くんの立場になって考えてくれないものかと思いましたよ。彼の境遇に同情しろとは言いませんが、まるで犯罪者として扱われているようで。あの方もウィンガーだと聞いて、だからなのかとも思いましたが」
外面はいいやつだったのにな、と須藤の屈託のない笑顔を思い出した。少々わざとらしくて、渡辺は気に食わなかったが。
(鋭い人間には本性が見透かされるものだ)
あの人当たりの良さも、鷹揚な人柄も全てが計算ずくだったのだと、今は確信できる。
「経済的な事情なんかは、須藤が一番共感できななかったことでしょうな」
グラスを見つめながら、独り言のように渡辺は言った。
「両親とも亡くなってますが、資産家の一人息子で、マンションやアパートなどを所有してましてね。家賃収入だけで暮らしには困らない。対策室でも、相当な給料をもらっていたはずだし、金には困ったことがない」
「…ほぅ…」
マスターは眉間に皺を寄せ、少し疲れたような吐息を漏らした。自分用のグラスに、アーリータイムスを注いでいる。
それを一口煽ると、ニヤッと笑みが浮かんだ。
「いいんですか?そんな個人情報漏らして」
フッと、渡辺も笑い返す。
「さっき言った通り、私はもう公人じゃない。それに、調べればすぐ分かりますよ。ネットで書き立てられていますからね」
「…なるほど」
「しかし…そんな金に困らない人間が、金のためにウィンガーを売っていた。そこまで大金を必要とする計画があったのか、金は二の次で己の鬱憤を発散させたかっただけなのか……共犯の連中も捕まらない以上、そこもはっきりしないわけです」
グラスあける渡辺を、マスターは静かに見ていた。




