桜呼宅にて ②
15階のエレベーターを降りてすぐの部屋。
呼び出しに応じて、ドアは躊躇なく開いた。
「やだ、みんな揃ってきたのねえ」
誰よりも早く口を開き、そんな不条理な言葉を桜呼は吐き捨てた。
大胆に斜めに切り揃えた前髪を軽くかき揚げ、不機嫌そうに
「ほかに集まるとこ、なかったの」
なんて続けるものだから、今日のミーティングのことを桜呼は承知していなかったのかと凪は焦った。だが、
「うちに集まればいいって言ったの、あんたでしょうが!さっさと入れてよ!」
暦美は言い捨てて、ずかずか部屋の中へ入っていく。
蝦名と庄村がニタニタ笑っているので、どうもお約束のやり取りらしいと、凪も納得した。
「ほれ、お土産」
「あら気が効くじゃない」
「あ…!」
庄村が持っていた紙袋を桜呼に渡すのを見て、思わず凪は声を出した。
パッと桜呼が振り返る。
「あ…ごめん、手ぶらで来ちゃ…」
「なに言ってんの、地元にいる人にお土産もらおうなんて、思ってないわよ」
桜呼が笑いながら遮ったので、凪はホッとした。
(桜呼ちゃん、相変わらず、言葉とは裏腹に優しい…)
日当たりのいいリビングは暖かく、そして広かった。
20畳はあろうかというフロアに、黒いソファセットが置かれ、テーブルには既にお菓子がたっぷり出されている。
部屋に入った時から、コーヒーの香ばしい香りが鼻腔をついていたし、なんだかんだ言いながら、しっかり接待の準備をしてくれていたらしい。
思わず凪も苦笑を漏らした。
「広いな〜。なに、こんなとこ、1人で住んでんの?」
凪が思ったことを、庄村が言ってくれる。かすかに訛りのあるその口調が懐かしかった。
「住んではいないわよ。週末とか、仕事が立て込んだ時は泊まったりするけど。ほとんど仕事と趣味の部屋」
あっさりと言い放つ桜呼に、
「趣味の部屋…」
呆気に取られて庄村が繰り返す。凪はそんな庄村に心の中で大きく同意していた。
ソファに腰を下ろした暦美の隣を、凪は素早くゲットした。ちょうど隅っこで、何より暦美の隣にいれば目立たない、との判断である。
なにか意見を求められても、暦美が傍から口を出して代弁してくれるという期待もある。
「コーヒーでいいでしょ?」
カウンターキッチンの向こうから桜呼が聞いてくる。
他の3人がすぐに頷く中、
「あ、あたし、お湯でいいです」
凪は急いで言った。
「お湯ぅ?!」
コーヒーサーバーを持ったまま、桜呼がカッと目を見開いてこちらを見る。その勢いに、凪は小さく飛び上がった。
「あ、あの、ごめん、コーヒー、苦手…で…あの、水でも…」
「ああ、そうなんだ〜、紅茶もあるよ」
ケロッと表情を変え、桜呼は手招きする。
(よかった、怒られたわけじゃなかった…)
手招きに応じて、キッチンへ行くと、桜呼が陶器の器を出してきた。
「ティーバッグだけど。どれがいい?」
ノートほどの大きさの蓋付の器を開けると、中には色とりどりのティーバッグが綺麗に並べられている。
(お洒落な入れ物…こんなのどこで売ってるんだろ?)
白地に小花柄の可愛らしい陶器だ。
「ダージリン、オレンジペコ、アールグレイ…」
「あ、アールグレイがいい」
「ん、お湯沸かすね」
「じゃあ、コーヒーはあたしが」
ヤカンをコンロに乗せる桜呼の隣で、凪はコーヒーをカップに注いだ。
隣に立つと、改めて身長差を実感する。
学年女子で1番背の高かった桜呼と話す時は、当時から視線を上げなければならなかった。
ショートカットで、がっしりと肩幅のある桜呼に、無表情に見下ろされると、何か突っ込まれるようなことをしただろうかと、内心焦ったものだが、実際の所、怒られた記憶も文句を言われたこともない。
むしろ、庇ってもらったり、助けてもらったことの方が多い。
(怖がってるわけじゃないんだけどな…なんか引いちゃうんだよな〜)
少し緊張してコーヒーを淹れていることを実感しながら、凪はそんなことを思うのも申し訳ないと思っていた。
「ねぇ、そのセーター、エマ・ミランジェのじゃない?似合うね」
一瞬、桜呼が口にした単語の意味が分からず、凪はキョトンと顔を上げた。
(…セーター…のブランド…のこと、かな?)
スモーキーピンクの丈が長めのセーターは、凪も気に入っていた。
背中に入ったタッグの上にグレーのリボンが付いて、同じ色だがそれよりも細いリボンが袖口にも付いている。
こんなフェミニンなデザインと色の服、凪が自分では買うはずもない。
だが着てみれば、案外何にでも合わせやすい色だし、着心地も良かった。何より、暖かくて動きやすい。
「ぁぁ…もらい物だから、よく分かんない…」
「そうなの?ちょっとごめん」
桜呼が凪の首元を引っ張って、タグを覗き込む。
「ああ、やっぱりそうだよ。今年の新作じゃない?このリボンがかわいいよね」
「あ、ありがと…(このリボンが特徴のブランドなんだろうか?というか、新作とかすぐわかるの、さすがだな……?)」
ふと、凪は胸騒ぎがした。
桜呼が新作をチェックしているようなブランド?桜呼が自分と同じような、安売り量販店の洋服をメインに着ているとは思えない。
「あの、さ…結構…いい値段するかな?叔母さんからもらったヤツだから、4、5千円くらいかと思ってたんだけど」
正直に、だが恐る恐る聞いてみる。
桜呼はちょっと眉を寄せ、戸惑い顔になった。
「ゼロもう一つ、つくんじゃない?」
「う…が…ぁぁぁ、そう…」
まさかと、やっぱりという感情が同時に凪を襲った。
父の姉である叔母は、ちょくちょくプレゼントを送ってくれるのだが、どうも経済観念が違うような気がしていた。
(絶っっっ対に、食べこぼしできないじゃん!!)
むしろ、呪われた服のような気がしてくる。
(これ、お母さんに報告しとかなきゃだな。確かお母さんにも同じブランドの手袋が…)
考えごとに気を取られていた凪は、鳴ったインターホンに暦美が勝手に応じているのも気にしていなかった。
コーヒーや紅茶を運んでいるうちに、玄関が開く音がした。
(!いつの間に…)
凪は、後から来る2人がいることをすっかり忘れていた。
すぐにリビングのドアが開く。
「よう。お待たせ」
本郷に続いて、頭を下げながらドアをくぐり、長身の男性が現れた。
一目で、ここにいる誰より背が高いことが分かる。
浅黒い顔が一同をさっと見回した。
左の口角だけが引き攣るように上がる。ニヤーッと、独特の笑みが広がった。
「ニッシー!」
「おお!ニッシー!」
「ニッシー、来たァー!!」
それぞれが歓声にも似た声を上げる中、凪だけが身をこわばらせ、立ち尽くしていた。




