凪と本郷 ①
天井の高い室内に、掛け声や嬌声が反響していた。
入り口付近にたむろするのは小学生たち。
みな体操教室の顔見知りとあって、会話が絶えない。
スポーツジム、トップサインのトランポリン教室が開かれているフロア。
水沢凪は、15メートルのロングトランポリンの前で順番待ちしていた。
そろそろフリータイムの終了時間だ。
(この一本で今日はおしまいだな)
スッと両手を上げ、軽く上半身を捻る。体にイメージを覚えさせるための動きなのだけど、その動きさえ、後にいる小学生たちは凝視している。
体験レッスンで来ている子たちらしい。おそらく、ピョンピョン跳ねて遊べる、くらいの感覚で来たのだろう。
インストラクターの説明を聞いている段階から既に、彼らは凪の動きから目が離せなくなっている。
凪は、その視線には気がつかないフリを通していた。
トランポリンが空くと、3メートルほど手前のスタート位置に立ち、姿勢を整える。
数歩の助走、ロンダードの着地から、トランポリンに足が乗る。リズミカルにテンポ宙返りを繰り返し…最後は大きく跳躍した。伸身の後方宙返り一回捻り。凪の体は、スポンジで満たされたピットへ、足から吸い込まれるように埋まる。普通に床があれば、きれいに着地まで決まっただろう。
「うわ〜」「ひぇ〜」など、感嘆の声を漏らしているのは子供たちだけではない。
体験レッスンの子供の親たちが、部屋の隅でどよめいている。
インストラクターのスタッフが、それを見てニンマリしているのも、凪にはもう慣れた光景だった。
ジムの指定する時間に来てくれれば、半額チケットをあげますよ、と言われてくると、大抵この体験レッスンが入っている。
15メートルのトランポリン上を、軽やかに宙返りで流れていく凪の姿は、一瞬で子供達を魅了する。
要は広告塔なのだ。
「ここに通って練習すれば、あんな風にできるようになりますよ」
目を輝かせる子供はもちろん、親にもそう勧誘しているスタッフに、凪はツッコミを入れたくて仕方なかった。
あたしは、ここに通って宙返りができるようになったわけじゃないし、そんな宣伝のされ方に同意もしていませんよ、と。
それでも、半額チケットは魅力的だったし、気まずくなってここに通えなくなるのも嫌だった。
翼を出して飛ぶ時の感覚を維持するため、体幹を鍛えて飛ぶための筋力を維持するため、トランポリンは最適だと思ったのだ。
要は全て、飛ぶため、である。
実際、自由に飛べる機会などそうそう無いのだが、いざチャンスが来た時に自由に思う存分飛ぶための準備は整えておきたかった。
ピットから上がってきた凪に、インストラクターが笑顔で声をかける。
「お疲れ様です。調子良さそうですね」
凪も笑顔を返し、うなずいた。
「練習すれば、あのお姉さんみたいにできるようになりますよ」
向こうの方で、インストラクターはいつものように見学者にそんなことを言っている。
聞こえないふりをして入り口のほうに顔を向けた。
廊下側の壁はガラス張りになっていて中の様子がすっかり見えるようになっている。
廊下を挟んで向こう側はボルダリングのフロアになっており、そこもやはりガラス張りで見えるようになっていた。
ボルダリングのほうも結構盛況だ。色とりどりホールドがばら撒かれたような壁を、やはり色とりどりのウェアの人々が登っている。
ふと、ガラス越しに見知った顔がこちらを見ているの気がついて凪は唇をかみしめた。
本郷はこちらと目が合うと、手を挙げて微笑んだ。
(なにか、用があるんだろうな…)
そうは思いつつ、フロアの端の本郷の視界に入りにくい場所へ移動し、軽くストレッチをする。
レオタードの上にTシャツ、下はスパッツに短パンという、結構体の線が露わな姿を知人に晒すのは、少々気恥ずかしい。
別に、本郷が自分の姿を見て、何か思うとも考えられなかったが。
次の時間の体操教室の小学生たちが、ひねり方のアドバイスを求めて、そばに寄ってきた。
人懐こく、タメ口でまとわりついてくる少女たちに、凪なりに考えられることを答えてやる。
(このくらいの時のあたしにはできなかったことだな…)
ちょっと馴れ馴れしさに苦手意識も覚えつつ、羨ましさもある。
小学校高学年ともなると、凪よりも身長のある子もいて、
(もしかして、同じ年くらいだと思われてたりしないよね?)
そう考えると、自分の容姿にゲンナリした。
フロアのドアから出ると、案の定、すぐそばに本郷が待ち構えていた。
「すごいなー、水沢。オリンピックとか出れんじゃね?」
「(なに馬鹿なこと言ってんだか)そんなことないよ。トランポリンだから、コツさえ掴めば結構誰でもできるよ」
そっけなく返したが、本郷は本気で感心しているようだった。
「体験にでも来てたの?」
ちょっとした嫌味のつもりだったが、
「会員になったんだ。週一くらいで来てる」
本郷は、ボルダリングのフロアの方を指しながら、あっさりと答える。
「んぇ?!あ、そうなんだ…」
凪の戸惑った様子は意に介さず、
「ちょっと、時間ある?」
その言い方は、凪に時間があること前提のものだった。
どうせ、ここで断ってもまた出直してくるだろうし、さっさと話を聞いた方が良さそうだ。
そう凪も判断し、素直に頷いた。
ただ、
「送ってやるよ」
そう言われて、本郷の車を思い出した。
(あの、ちょっと目立つ車か…)
近くを知人が通りかからないことを凪は祈った。




