35話
「仕事、辞めることにしたんです」
愛凪は、晴々とした顔でそう言うと、
「いろいろ、ご迷惑かけてすみませんでした」
と、頭を下げた。
凪は思わず一歩下がって、首と手を一緒に振る。
「もう、いいよ。そんな…」
語尾が呟くようになってしまう感じは、いつも通り。最初に会った時の雰囲気と一致していて、愛凪はホッとした。
あの日、帰ってきてからの凪はなんだか少し…上から目線の物腰で、そばに近寄り難い空気を纏っていた。
「翼を出した後の水沢は、いつもあんな感じだよ」
後でそう教えてくれた海人は
「そこも、相変わらずなんだな」
少し苦笑いしつつ、嬉しそうでもあった。
「登録は、されます。正直、隠し通す自信はないので。でも、皆さんのことは言いません。約束します」
愛凪の言葉を聞いた本郷が安堵の表情を浮かべたのに対し、凪の表情は読めない。
どこか不満そうな、諦めたような、でも安心したような…?
「須藤が亡くなったことに加えて、今回の暴露音声でショックを受けて、自宅で俺と話ししてるうちに発現した、ってことにする。ウィンガーの俺がなんとか暴走を取り押さえました、と」
海人がちょっと芝居がかった身振りを加えながらそう言うと
「あんまり凝った筋書作んなよ!妹がメモ残して失踪しました、とかいらねえからな!」
真壁がツッコミを入れる。
海人は顔を赤らめて言い返したが、2人とも明らかに楽しそうで、愛凪は笑ってしまった。
兄は、明らかに元気になっている。元に戻って来た、と言った方がいいか…
海人の精神状態を悪化させていたのが、服用していた抗うつ剤だと聞いた時には驚いた。説明してくれたのは、本郷だ。
あの日帰って来た後、疲れきった顔で、しかし愛凪にも分かりやすく説明してくれた。
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「ウィンガーって、薬が効き難いのは聞いてるだろ?だから、強めの薬を最初から処方されることが多い。それで、効かなければまた強い薬に変更する。それでもなかなか効き目はないのに、副作用だけが出てくる場合があるわけだ。カイの抗うつ剤、見せてもらったら相当強いヤツだろ。副作用の倦怠感や抑うつ症状で、あんな状態になってた可能性が高いと思ったよ。ウィンガーの薬処方は難しいのに、それが分かってる医者は少ない」
海人がかかっている心療科医には、元々は母がかかっていた。
海人が東京に行った後、ストレスから体調を崩してお世話になってから、母はその医師に絶大な信頼を寄せている。
海人が実家に戻ってくると、すぐに受診させ、薬を出してもらっていた。
本郷はそこらへんの事情も聞いていたようで、
「その医者が悪いとかじゃなくて」
と、前置きして続けた。
「ウィンガーの診察を専門にしてる医者なんていないからな。薬に関しては何種類か組み合わせたり、漢方薬併用したり色々やり方があるらしいけど…。中には、ウィンガー用の薬剤を開発した方が早いなんていう医者もいて…要するに、そのくらい面倒くさいんだ。そういうことまで分かってウィンガーの診察してる医者なんて、日本に2、3人だろうな。カイもそんなこと知らなくて、言われるままに薬飲んでたっていうし」
そういうわけで、真壁の家に保護された海人に、久しぶりに再会した本郷が勧めたのは、薬を止めるか、減らすかということだった。
ただでさえ愛凪のことで、切羽詰まった精神状態だった海人は、薬を飲まずにいる不安感も強く訴えたが、
「どっちにしろコイツ、薬、家に忘れて出て来てたしな。飲まずにいるしかなかったんだよ」
本郷がニヤニヤと笑い、海人は照れ隠しに天井を見上げた。
3日ほど薬を飲まずにいただけで、食欲が出始め、自分でも変化を自覚したという。
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愛凪を助けてくれたお礼と、迷惑をかけたことをきちんと謝りたいから、と海人が本郷に連絡すると、今回の件に関わった同級生たちが集まってくれた。
絵州駅前のからカラオケボックスに集まった面々は、誰も曲など入れることもなく、ワイワイと話をしている。
隅っこに、ちょこんと腰を下ろした凪は、あまり喋らず、ともすると風景になろうとしているようだったが
「エライ事に巻き込んで、申し訳ない!水沢さんなら、カイの相談に乗れるんじゃないかと、単純に考えたもんだから!」
対角線の向こう側から、蝦名が太いよく通る声で話しかけるものだから、今は全員の視線を浴びていた。
愛凪は、蝦名の名前は聞いたことがあったが、会うのは今日が初めてだった。
体はゴツイし、声もデカいが不思議と威圧感はない。
見た目で言えば、オレンジ頭で全身黒ずくめ出立ちの真壁のインパクトの方が強いせいかもしれない。
その真壁にしても、先日の一件で友人思いの面倒見のいい性格を知った愛凪には、気のいいお兄さんとしか、映らなくなっていた。
凪の隣りに座った暦美は、なんだかんだと、あちこちの会話に口を出している。
いかにも気の強そうな女性で、海人はもちろん、本郷や真壁もやり込められているのが、気の毒でもあり、ちょっと面白くもあった。
ふと、クラス会に一人だけ部外者が混ざっている状態に気付き、愛凪は複雑な感情に囚われた。
海人は…楽しそうだった。
付き合うことを遠慮して、疎遠になっていたのは、海人の一方的な思い込みだったのは明らかだ。
話をしているのを聞いてるだけでもわかる。
(この人たち、すごく強い繋がりがあるんだ)
ただ、同級生で、ウィンガーで、という共通点だけでは説明のつかない、絆がそこには感じられた。
正直、羨ましい、と思う。
愛凪の同級生でもウィンガーになった男子を知ってはいるけれど…こんな風に話せる自信はない。
結局、誰も一曲も歌わないまま、1時間ほどで解散となった。
積もる話はいろいろありそうだったが、今回のこともあり、登録者の真壁や海人と同級生が一緒にいるところを、あまり見られたくない、ということらしい。
「あいつ、れいこ先生のことも調べてたみたいだ。対策室がどのくらいオレらに目をつけてるかは分からないけど、頻繁に集まったりしない方がいい」
本郷の言葉に全員が頷いた。
愛凪が今後、ウィンガーになったと知られれば、『野宮れいこのクラス』がまた取り上げられることは間違いない。
対策室が登録されていない、いわゆる普通の同級生にも疑惑や監視の目を向ける可能性はある。
集まったり情報交換を頻繁にしていることが分かれば、より疑いは持たれやすくなる。
蝦名が送ってくれるというので、駐車場に向かって歩く道すがら、隣を歩く凪が呟くように言った。
「登録、されてもいいと思ってたんだよね。…むしろ、ちょうどいい言い訳になると思ったんだけど」
「言い訳、ですか?」
愛凪が首を傾げると、凪はかすかに笑みを浮かべた。自嘲気味の、苦い笑い方だ。
「弟が、ね。うちも姉弟そろってだから」
公道を歩いている最中だから、あえてウィンガー、という言葉を口にするのを避けたのはすぐに分かった。
「そう…だったんですか。水沢さんちも…」
なんだか、ここまでくると驚く気持ちも希薄だ。なにしろ、後ろにも前にも、ウィンガーが談笑しながら歩いている。
確率からすれば、一生に一度出会うかどうかのウィンガーが、普通にいる存在なのではと、錯覚してしまう。
「本当は、弟がそうなった時に登録されようと思ったんだけどね。アイツ、嫌がって。登録されたら、姉ちゃんのクラスの人達のことも全部、喋ってやる!とか、あたしを恐喝したもんだから…結局、ダラダラと今になって…」
「なかなか…強い弟さんですね」
なんと言っていいのか分からず、とりあえず、そんな相槌を打った。
小学校2年生の時に、水沢洸とは同じクラスだったはずだが、正直、あまり記憶にはない。
ぼんやり、そんな名前の子もいたかな、くらいで、顔なんてもちろん、覚えていない。
凪は嘆息し、小さく首を振った。
「あたしは…ウィンガーには関わらないつもりだったんだよ。これからも、そのつもり…」
愛凪に言っているというより、自分に言い聞かせているみたいだった。愛凪も黙って聞いていた。
(…そう…なのかな…そう、なるかなぁ…?)
ぼんやりと、そんな風に思いながら。
足取りも重く、地下鉄の駅を出た未生は、ロータリーに停めた車から、見慣れた人影が降りてくるのを見た。
グレーのミニバン。いかにも営業車両、といった地味な車だ。
「あ!ナッピ!」
思わず声をかけてから、
(あ…声かけていいタイミングだったかな…)
と、逡巡したが、振り向いた友人は嬉しそうに笑った。
「未生ちゃん!」
トコトコと駆け寄ってくる凪の後ろから、さらにゾロゾロと人が降りてくる。
未生はギョッとして、足を止めた。
同じ年頃かと思われる男女、はまあいい。が、助手席から降りてきたオレンジ頭の目つきの悪い男と、運転席からちょっと窮屈そうに出てきたゴツイ体付きの男性は、どう見ても『凪の友人』のイメージとはかけ離れている。
「あ…えと、知り合いに送ってもらって。あたしも、今帰ってきたとこ」
未生の戸惑った視線に気付いたのか、凪はそう説明したが、未生は小柄な友人と、オレンジの頭を反射的に見比べてしまう。
見られたオレンジ頭は顔を歪めて顔を背け(未生は相手の気に障ったのかと一瞬、焦ったが)
「…なっぴ…」
ボソっと呟き、クックッと笑った。
(え…)
その反応に戸惑っている未生は、女性がこの間、ジーズバーで会った対策室の職員だと気づいていない。
愛凪は海人に目くばせし、そっと車へ戻った。
その愛凪の様子を目の端に捉えたこともあり、凪はそそくさと他のメンバーに手を振った。
「夕飯、どうする?昨日、鶏肉安かったから買ってきたんだけど。唐揚げする?親子丼がいい?」
研いだ米を炊飯器にセットしながら凪は聞いたが、返事はない。
未生はソファにぼんやりと座っていた。
「…未生ちゃん、」
呼びかけながら向かい側に座ると、未生の視線は凪をとらえたが、今しがた話しかけられた内容は耳に入っていないらしい。
「彩乃さん、会ってきたの?」
頷き、たちまち未生は泣き出しそうな顔になった。
「思ったより、元気そうだった…昨日、お葬式したけど、遺体は、アイロウで調査されるから引き取れなくて…あ、仕事は辞めて、引っ越すって…そう言えば、ナッピに会ったって言ってたよ。病院でいろいろ差し入れしてくれてたんだってね。すごく、助かったって…」
そこまで一気に話し、唐突に黙り込む。マスカラで綺麗に整えられた目元から、ポロポロと涙がこぼれた。
「…彩ちゃん、すごくしっかりしてるの。すごく、辛いはずなのに。ナオさんが…最後まで守ってくれたから、1人でも頑張るんだって…絶対、忘れないって…」
しばらく、ティッシュて涙を拭いながら呼吸を整えた後、吐き出すように未生は言った。
「私なんか、ずーっと騙されてたのに!騙されて、1人で浮かれてて、馬鹿みたい!私はもう、全部忘れたい!隼くんのことなんか、思い出したくない!」
それまで黙って聞いていた凪が、そっと身を乗り出す。
少し、見上げるような角度で未生の顔を覗き込んだ。
涙のせいで、少女のようなあどけない凪の顔がぼやけて見える。
「…桜木さんはさ、」
じっと未生の顔を見つめたまま、いつものように淡々と凪は言葉を繋いだ。
「未生ちゃんを守るために、車に残したんじゃないかな」
「…え?」
「巻き込まないように、車においていったんじゃないかな。やってたことは酷いし、改造拳銃とか、全然ダメだけど」
苦笑いを浮かべる凪を見ながら、未生の脳裏には隼也の笑顔が浮かんでいた。
事件の前までは、いつも優しい彼氏で、よく気のつく男性で、愛されていると信じていた。
「桜木さんも、未生ちゃんを守ろうとしたんじゃないかな。大事に、思っていたんだと思うよ」
その言葉に、ふっと体が軽くなる気がした。
自分に向けられた隼也の笑顔は、言葉は、本物だったと、信じていいのではないか。
本当は、隼也だって、自分のことを巻き込みたくなかったのではないか。
それは、凪の顔を見ているうちに、未生の心の中で、確固たる自信になり、涙を乾かした。
「隼くんも、私を守ってくれたんだ…」
ぼんやりとした、だが穏やかな表情で呟く未生に、凪も笑顔で頷く。
安心したように息をついて立ち上がった凪が、キッチンへ戻っていく。
その背中が、柔らかな光に照らされているように見えて、未生は目をパチパチさせた。
照明のせいだろうか、涙で曇った目のせいだろうか…
「親子丼でいい?」
振り返った凪が、小さく首を傾げて聞いた。
(了)
これで一応一段落です。
背景や人間関係分かりづらいところあるので、水沢凪視点でもそのうち書いてみたいと思います。




