33話
未登録翼保有者対策室は騒然としていた。
エル・プロテクトのリーダー、つまり未登録のウィンガーを保護する実働チームのリーダーである須藤誠次と、スタッフの桜木隼也が亡くなってから、丸一日が経とうとしている。
昨夜、大規模な麻薬の取り引きが行われるという情報のもと、警察が踏み込んだ先で見つけたのは、倒れている4人の人間だった。
男性3人は、いずれも負傷しており、2人はすでに死亡していた。
須藤はかろうじて息があったものの、すでに意識はなく、救急車が到着した時には呼吸も心臓も止まっていた。
唯一、若い女性だけは無傷で、意識はないものの命に別状はなかった。
知らせを受けた対策室が、悲しみと驚きに包まれたことは言うまでもない。
だが、現場から拳銃が見つかり、そのうちの1丁をスタッフの隼也が握っていたことを伝えられると、対策室長の向田の顔から悲壮感が消えた。
ウィンガー保護のため、エル・プロテクトのスタッフにはある程度、護身用の武器の携帯が認められている。だが、そのために必要な申請は須藤から出ていなかった。もちろん、実弾の入った拳銃を携帯させることなどありえない。
隼也自身も、腹部への銃弾を受けたことにより命を落としているが、彼の前歴を知る向田は、警察関係者にすぐに隼也の自宅を捜索することを進言した。
愛凪に、向田から直々に連絡がきたのは、夜もだいぶ遅くなってからだった。
須藤と隼也が亡くなったことを、まだ知らないフリをすることは気が咎めたが、多分、愛凪が多少不自然な受け答えをしたとしても向田も気がつく余裕はなかったと思われる。
「夜中で申し訳ないが…」
と、前置きされてから、対策室へ呼び出された愛凪が到着した時には、フロア全体に灯りがともり、ほぼ全ての職員が集まっていた。
「現在の状況から、私が考えているのは」
エル・プロテクトのオフィスに集められた愛凪とワタナベ、そしてアベを前にして向田が考えていると言った筋書きは、ショッキングではあるが、おおよそ妥当と思われるものであった。
つまり、立山が病院跡に潜伏していることを知った須藤と隼也は2人で迅速に保護しようと考えた。ところが予想以上の抵抗に遭い、揉み合ううちに須藤と立山は翼を折られることとなった、というのだ。
2人の背中はどす黒く変色し、壊死を起こしていた。これは、翼発現中に事故などで翼を折られて死亡したウィンガーに共通して認められる所見だ。
状況から隼也を撃ったのは、立山の可能性が高い。揉み合ううちに、拳銃を奪われたのだろう、と向田は言い、更に隼也が隠していた事実を付け加えた。
隼也は銃器マニアで、自宅からはもちろん、車内からも殺傷能力を持つほどに改造されたモデルガンがいくつも見つかっている。
改造だけでは物足らず、実際使用してみたくなったのではないか、と向田は予想していた。
隼也は、自衛隊時代に同僚とトラブルになり、相手の肋骨と鼻の骨を折る重傷を負わせている。それ以前にもカッとなると、暴力を振るうことが何度かあり、その度に厳重に注意を受けていた。
「暴力的嗜好」
と、向田は言った。根本的なその性格が、銃器の違法改造や使用に至らせたのではないかというわけだ。
向田が話す間、誰も一言も発しなかった。
アベはひどく青ざめ、引きつった顔をしていたが、途中から嗚咽を漏らし、おかげで向田は所々、話を中断しなくてはならなかった。
一方ワタナベはというと、普段通りの仏頂面のまま、顔色一つ変えず。愛凪から見ると、少々不気味な位だ。
対照的な2人を見比べながら、愛凪は自分がどんな顔をしているのか、不審を抱かれるような様子をしてないか、緊張しっぱなしだった。
隼也の拳銃所持は対策室にとっては不都合な事実だったが、隠蔽などもちろん不可能、と向田は断言した後、
「ただ、」
と、続けた。
「ホストクラブの同僚たちの証言から、立山はかなり凶暴な性格であったことが予想される。万全の対策を取るために、桜木くんは独断で拳銃を携帯した、という見解を対策室として出すことになりました。もちろん、擁護される理由にはならないが、普通の人間がウィンガーと対峙を迫られた場合、恐怖心が良識を上回ってしまうことはあり得る」
それから厳しい顔で全員を見回し、
「この見解をもとに、明日記者会見をします。みなさんは取材などに関しては、一切ノーコメントを通してください」
有無を言わせない口調で結んだ。
病院跡で何があったのか、だいたいのことは聞いている。
だが、愛凪が凪や本郷から聞いた話と、向田のたてた見解には、大きな隔たりがあった。
ーー双方の話を聞いてから、よく考えてどうするか考えて欲しい。それまでは自分たちのことは黙っていて欲しいーー
本郷にはそう言われた。
その言葉を反芻しながら呼び出しに応じ、そして今、聞いた話では、愛凪には立山を悪者にして全てを解決しようとしているようにしか聞こえなかった。
病院に運ばれた女性が意識を取り戻し、
「須藤という人からコーヒーをもらって飲んだ後、意識がなくなった」
と証言しているということだったが、向田をはじめとする上層部が、その信憑性に疑問があるとして取り上げなかったことも、愛凪の不信感を強くした。
そして一夜明けた今日、そのままの流れで記者会見が行われる予定が、突如取りやめになった。
理由は、突然届いたメールだ。
本文はなく、添付されていたのは音声ファイルのみ。差出人も不明だった。
明らかに怪しいメールだったし、それどころではなかったから、対策室では放っておかれていたが、間もなく、あちこちの報道機関から問い合わせが入り始め、情報処理部を慌てさせた。
対策室に送られたのと同様の音声ファイルが、報道機関にも送られていたのである。
ただし、こちらには短い説明文がついており、
『対策室、もしくはアイロウから、真実が公表されることを強く願う』
と結ばれていたという。
向田が声を荒げるのを、愛凪は初めて聞いた。
「どういうことだね!同じメールが来てる?!報告されていないが!」
「すいません。三嶋さんもいなくて、手が回らなくて、確認が遅れました」
情報処理部のチーフが平身低頭で謝罪しながら再生した音声は、すでに問い合わせで内容は予想できていたにも関わらず、職員全員を絶句させた。
「ちょっとぉ、どうなっちゃうのよ、ここ」
「いやあ、私に言われても、今のところはねえ…」
緊急ミーティングのため、向田をはじめとする各部署のトップが会議室に閉じこもってしまうと、対策室のフロアでは、職員が通常業務など行えるはずもなく、あちこちから拾い集めた情報を元に囁き合っていた。
「だって、まさかトップが…亡くなっただけでもショックだったのに」
「須藤さんって、アイロウでも未登録者保護の仕事してたんでしょ?今まで怪しまれてたとか、ないのかな」
「いや、分かってたらこんなことになる前になんとかするでしょ!」
「でも、あの音声ファイルって編集されてるんでしょう?。捏造とかじゃないの?出どころだって、分からないんだし…」
「いやあ…だとしても、マスコミの方にも出回って、これだけのニュースになってるし、その時点でアウトだろ」
「ねぇ、三嶋さん、大丈夫かしら…彼氏が殺されただけだってショックなのに、裏で人身売買に関わってたなんて…」
「あのさ、それなんだけど…三嶋さんも知ってたとか…」
「え?!まさか…そんなこと…」
隅の方で黙って聞いていた愛凪だが、思わず口を挟んでしまった。
パッと、その場の視線が愛凪に集まる。
「あ…あの…だって、あんまりショックなことばかりで…」
真っ赤になって口籠ったが、その様子に集まった視線はたちまち同情を帯びた。
「そうだよねえ、入ったばっかでいろいろありすぎだものねぇ…」
総務の一番年長の女性が、いかにもという口調で頷いてみせる。
彼女が言う「いろいろ」よりも、三倍増しくらいいろいろある…と内心、呟きながら愛凪は居心地の悪さを感じていた。
対策室室長の向田は、厳しい顔つきで、会議室のデスクに座っていた。
常日頃の柔和な、「人のいいおじさん」の面影はどこにもない。厳格な、管理者の顔だ。
コの字型に並べられたデスクを囲む面々は一様に硬い表情で、閉ざされた部屋の雰囲気には似つかわしかった。
デスクに置かれたタブレットから流れる音声ファイルは、すでに何度も再生されている。
何度聴いても、変わるはずもない、不快な内容だが、どこかに突っ込みどころはないかと情報処理部のチーフは、必死の形相で耳を凝らしていた。
低く、にぶい音は立山を暴行していると思われる。
後半にいくにつれ、狂気じみた甲高い声が混ざる。その場にいる誰もが聴いたことのない声の調子だが、明らかに須藤の声だ。
「ウィンガー専門の人材派遣会社とでも思えばいい。ぼくらはスカウトマンってとこかな…言っとくけど、前よりずっといい暮らしをしてるウィンガーだって多いんだよ。一概に犯罪集団の片棒担いでる、みたいに言われたくないな…」
「ああ、彼は死んじゃうね。もって10分か、15分てとこでしょ…目の前でこんなものを見られるとはね…」
「素晴らしい素質だの、国内最高の能力者だの、おだてて、持ち上げて、都合のいいように仕事させて、いいとこだけ使って、ちょうどよく寿命がくる。いいとこ取りで使い捨てされるんだ、ウィンガーってのはね!…若死したって替えはきく。文字通り、死ぬまで使われるんだ!」
「ぼくは…優れた人材だ。いいように振り回されるだけの人間じゃない。それなのに、そこいらの人間より時間は限られている。今を!この時間を楽しんで何が悪い!楽しむために、必要な金を自分で調達して何が悪い!!」
会話は所々繋がらず、一部を切り取って編集してあることは明らかだった。だが、須藤の言っている内容は、どう説明したところで、誰にも受け入れることはできないものだ。
おまけに、時折り入る立山とのやり取りは、耳を覆いたくなるようなものだった。
須藤らしい饒舌さが、より不快感を煽る。
向田が、ため息と共に再生中のファイルを止めるよう指示した時、無遠慮なノックの音が響いた。
会議室の面々が一斉にドアを見る中、ノックと同時とも言っていい速さでドアが開く。
何の躊躇もなく、部屋に踏み入ってきたのはワタナベだった。
エルチームの一スタッフであるワタナベがそんな風に入ってきても、咎める者がいないのは、すでに彼の素性について会議室の面々が知らされていたためだ。
「厄介ごとが増えましたよ」
開口一番、いつもの仏頂面でワタナベは言い放った。
チラリとデスクの上のタブレットに目を走らせ、プロジェクターの方へ大股で近づいていく。
例の音声ファイルを再生しながら、大した話し合いができていないことはお見通しのようだ。
自身が持ってきたタブレットをプロジェクターへ繋ぐと、手慣れた様子で操作を進める。
「三嶋くんには、会えたのか?」
「いいえ」
向田の問いにはあっさりと答え、ワタナベはスクリーンにタブレットの画面を映し出した。
「でも、かなりの情報は得られました」
向田とワタナベ以外の面々は、無言で顔を見合わせている。
「三嶋あかりの様子が心配だとおっしゃってましたよね」
ワタナベの言葉は情報処理部のチーフへ向けられていた。
チーフといっても、ワタナベより少し年上、40歳前後と思われる男性だ。頷くと、かなり肉付きのいい顎が更に強調された。
恋人の須藤の死が伝えられてから、あかりは体調不良で休んでいる。
「私も確かに気になっていました。ただし、皆さんの言ってる意味とは異なる意味で、ですが」
背筋を伸ばし、一同を見回すワタナベには妙な迫力があって、自然と全員が注視していた。
「須藤と、三嶋あかり。付き合っていたと言われてますが、本当ですかね?私には、そうは見えませんでした」
ピクリと、向田の眉が動く。一瞬の沈黙の後、向田の視線は情報処理部のチーフへ向いた。
「え、いや、私もスタッフたちがそう言っているのを聞いて…本人と直接そういう話題で話したことは…」
言いながら、チーフもハッとしたようだ。丸顔の、おっとりした顔の男だが、勘は悪くないらしい。
「三嶋くんも、この事件に関わっていると…?」
スクリーンに履歴書が映し出される。
あかりのものだった。
「これが真実だとするなら」
ワタナベは、ぐいっとデスクのタブレットの方へ顎をしゃくった。
「須藤が一人でやっていたとは考えにくい。共犯がいたはずです。エルチームの中にいれば、一番仕事はしやすかったでしょう。だが、メンバーは比較的最近集められていて、過去に須藤との接点もない。そうすると、須藤の一番近くで仕事をしていたのは三嶋です。付き合っているとは私も耳にしていまし、三嶋はそれらしい話もしていましたが、須藤からは三嶋の個人的な話を聞いたことはありません。私の目には…息のあったビジネスパートナーに見えていました」
誰も微動だにせず、ワタナベの言葉に耳を傾けている。
「恋人同士で、表沙汰に出来ない仕事のパートナーでもあった、という可能性ももちろんありますが。私の主観では、仕事上の結びつきの方が強かったのではないか、ということです。いずれにしろ、三嶋あかりを調べる必要があると考えました」
スクリーンの履歴書が縮小され、右半分に別な履歴書が現れる。
「三嶋あかりの以前の勤務先に出されていた履歴書です」
ワタナベが説明するまでもなく、全員が異常な点に気がついていた。
顔写真が全く違う。
化粧の仕方が違うとか、ダイエットのビフォーアフターなんてレベルではない。
キリッとした目元、シャープな顎の線。写真だけでもちょっと勝気でハッキリものを言いそうな様子が伝わってくる、対策室の履歴書に対し、以前の履歴書の写真は、丸顔であまり個性が伝わってくる顔ではない。どこか焦点の定まっていない目と、明らかに吹き出物に悩まされている様子の肌艶のせいで、暗い印象を受ける。
「これ…は…」
向田は反射的に身を乗り出していた。
「身元の調査は厳重にされているはずです!」
傍から動揺を隠せない声が飛ぶ。
「厳重かどうかはともかく、確かに身元調査の記録もあります。誰かによって、改ざんされたんでしょう」
「誰が!」
ざわつく部屋の空気は気に留めず、ワタナベは淡々と続けた。
「三嶋がこちらへ来る際に、身元紹介や面接を担当したアイロウの職員がいます。桜木やアベも、その男の仲介でエルチームに来ています」
ワタナベと視線が合った向田が口を一文字に結ぶ。明らかに、心当たりのある顔だ。
「笠松、という男ですがね。変わり種のウィンガーだということで、ご存知の方もいるかもしれません」
室内の、ほぼ全員が頷いた。
「笠松も、昨日から連絡が取れません。三嶋あかり同様、行方不明です」




