32話
「お兄ちゃん…」
海人は小さくなって、座り直した。
「あの…ごめん…その…」
すっかり恐縮したその様子に、愛凪は大袈裟にため息をついてみせた。
「ああ〜もう…分かったよ!なんか私が思ってるよりずっと…いろんなこと、隠して!抱え込んでたんでしょ!…もう…分かった!話の続きは?!他にもなんか隠してるネタ出てくるの?!」
海人は顔を赤らめ、目を泳がせながらコクコクと頷いた後、それが『隠し事』を肯定していることになると思ったのか、慌ててブルブルと首を振った。
「ええと、だからその… そういうわけで、連絡先は頭の中にしっかり入ってたわけ。でも、オレ、登録されてからは同級生にはほとんど連絡とってなかったからさ…なんか、やっぱり裏切ったような気がしてて…な。でも、そんなこと言ってられなかった。早くしないと、お前はいつ翼が出るかわからない状態だし。タクに電話して…水沢がT大に入ってることと、本郷もT大にいることを聞いて…その時のメモだろ?愛凪が見つけて、持ってきたって聞いて。驚いたわ、捨てたと思ってたし…」
複雑な表情で小さくため息をつく兄に、一言二言、小言を挟みたくなるのをグッと堪え、愛凪は黙って聞いていた。
「かべっちにも、そういう手掛かり残してきたなら言えって、怒られたけど、そんなメモ残してきたつもりオレだってなかったし…まさか、愛凪の方が先に水沢に会うなんて思わなかったよ。まあ、お前の話聞いていたこともあって、水沢もオレと直接会った方がいいと思ったらしくてさ。それで…今日、本郷と来てくれたんだけど…そこで…ほら、お前の暴走シーンに…」
そう言われると、やはりあの時の自分は暴走したウィンガーになっていたのだな、と思う。
ニュースでは何度も聞いた話だし、研修でも映像や当事者のコメントを聞いたりしたけれど…
(あんなの、自分でなんとかなんて、できない…どうにもならないよ…)
「水沢、あのマイケルって人にめっちゃ怒ってたよ。ウィンガーの予備軍だからって、無理矢理翼を引っ張り出すなんて、下手したら精神崩壊起こすってな。それ聞いて、オレもゾッとしたよ…ホント、愛凪が無事に戻ってきて良かった」
海人はまた目を潤ませ、グズっと鼻をすすった。
「そういえば、そのマイケルっていう黒人の…ウィンガーって、何者?あんまり顔とかはハッキリ覚えてないけど…すごいおっきな人だったよね」
「うん、オレもよく知らない」
涙目のまま、あっさり答える海人に、つられてこぼれそうになっていた愛凪の涙は引っ込んだ。
「オレも今日、初めて会ったんだよ。ウィンガーの失踪事件を調査しているらしい。なんか、あんまり詳しいことは、教えてもらえなかったけど…」
見開かれた愛凪の目からふっと視線をそらし、海人は目を擦った。
(なんか…まだ、隠してる…よね…)
直感的に愛凪は感じたが、まずは話を聞くことにした。
とりあえず、マイケルと大した面識がないのは確かなようだ。
「その…ウィンガーの失踪に関してだな…うん、愛凪…お前の上司の須藤って、どんな人だ?」
急に話が飛んで、愛凪は言葉に詰まった。が、
「すごくいい人だよ。ウィンガーなのは知ってるよね?今回の…お兄ちゃんのことも相談に乗ってもらって、それで真壁さんにも会わせてもらったし。そうだ、私がウィンガーになったことも早く報告しなきゃ。きっと、力になってくれる!お兄ちゃんのことも、大ごとにならないようにって、色々、気遣ってくれたんだよ。それに…」
明るい表情で矢継ぎ早に話す愛凪と対照的に、海人は顔を曇らせた。
考え込むように腕組みし、しばし黙り込む。
「須藤さんなら、大丈夫。ちゃんと、お兄ちゃんの話も聞いてくれるよ。あ、そうだ、お兄ちゃん、対策室で働く気ない?前にウィンガーのスタッフが欲しいって、言われたことがあって…」
須藤のことになると、饒舌、上機嫌な様子の妹をじっと見つめて、海人はぎこちなく微笑んだ。
微妙な空気を感じとり、愛凪も口を閉じる。
「そっか、よかったな、いい上司に恵まれて…ただ、な、頼みがあるんだけど…」
「今更、改まって何?」
「今回のいろいろ…立山のことも、愛凪の翼のことも、もちろん水沢のことも、しばらく黙っていて欲しいんだ」
正座に座り直し、
「お願いだから」
深く頭を下げる海人を、驚いたように、少し呆れたように見ていた愛凪は、ゆっくり首を振った。
「翼が出た以上、ちゃんと報告しなきゃダメだと思う。立山さんだって、何も事件なんかは起こしてないけど…登録はされるべきだよ。水沢さんは…助けてもらったし、なんか事情あるのは、わかるけど…あ、それに」
不意に愛凪は隼也のことを思い出した。
一緒に来たのをすっかり忘れていた…
そのことを言うと、海人の顔が微妙に歪んだ。
「気がついてたよ」
「え…」
「お前が翼出した後、すぐに出て行った車がいたから。誰かと一緒に来たんだとは思ってた。多分、暴走しそうなのを見て、逃げ出したんだ」
隼也ならそうするだろうな、と思いつつも、ずいぶん薄情だなとも思う。
それにしても、それなら須藤に連絡を取り、エル・プロテクトのメンバーで保護に乗り込んでくるのに十分な時間は経っている。誰も来ないどころか、電話もメールもないとは。
「あと、もう1人。庭の向こう側、崖になってるだろ。あの向こう側からこっち見てたやつがいたらしい」
ぼんやりと、真壁家の庭の光景を思い出す。もちろん、そんな人影など愛凪は気付いているはずもない。
「状況的に、須藤って人じゃないかって、かべっちが言ってた」
「須藤さんも…見てた?」
それがどういう意味かより、海人の言っていることが矛盾していることの方が気になった。
「じゃあ、須藤さんも桜木さんも、職場の人私がウィンガーになったこと、知ってるってことだよね?黙ってろって、おかしくない?」
「いや、ずっとって訳じゃないんだ。とりあえず、結果が分かるまで…多分、今夜中には…」
「結果?」
海人の目の、憐れんだような色が気に障って、愛凪は口を尖らせた。
「この際なんだから、もう少し、ハッキリ説明してくれない?」
だが、海人は首を振った。
「勘違いの可能性もあるんだ。そうだと…簡単なんだけどな…」
途端に軽快な電子音が鳴り出して、2人とも飛び上がった。
「あ…電話」
愛凪は自分のスマホへ手を伸ばす。表示を見て目を見開いた。
「水沢さんだ!」
海人が息を呑む。
通話ボタンを押すと、少し気だるげな凪の落ち着いた声が聞こえた。
「愛凪ちゃん?よかった。体、なんともない?」
「あ、はい。なんか…すいません。ご迷惑かけて」
「別に、あたしは迷惑なんかかけられてないよ」
微かに笑いを含む、どことなく馴れ馴れしい感じ。凪の口調に、何か違和感を感じつつも
「そこにカイ、いる?」
そう言われて素直に海人に渡した。
「ああ、オレ。どうだっ……え…死ん…」
絶句した海人の顔がみるみる白くなっていく。
愛凪は思わず乗り出して、会話を聞こうと耳を近づけるが、海人に制された。
「3人とも…か。いったい、何が起こってんだよ…」
通話を終えた後も、海人は血の気を失った顔で、しばらく天井を仰いでいた。
「お兄ちゃん…」
愛凪も、何かとんでもないことが起こったことは容易に予想がついた。
血の気を失った海人の唇が、大きく息を吸い込む。
「愛凪、立山が死んだよ」
一音一音ハッキリと、自分にも言い聞かせるように海人はそう言った。
「え、死ん…だ?」
突然のことに、まるで実感がわかない。
「それから、な」
その愛凪の表情をうかがいながら、海人はゆっくり続けた。
「須藤誠次も、だ。一緒にいた桜木って人も、亡くなった」
海人を見つめる愛凪の瞳は、しばらくまばたきもせず固定されていたが、
「須藤さんが亡くなった?」
淡々と発したその言葉に海人が頷くと、激しく動揺の色が滲んだ。
「なにそれ、嘘でしょ?3人もって…須藤さんなんか、すごいウィンガーなんだよ?!メチャクチャ運動神経なんかすごくて!頭もよくて…なんで?!なにがあったの?!」
次第に金切り声になってしまう。
やっとのことで息を吸う。だが、吸い込んだ空気はそのまま、背中へ抜けてしまうようだった。
背中へ抜けた息は、愛凪の背中で歪な糸となった。少なくとも、愛凪はそう感じた。
いや、糸と言うよりも絡まりあった、不揃いな繊維だ。
背中が引っ張られるー攣りそうだ。
慌てて息を吐き出そうとすると、その醜い繊維は驚くほどの鋭さで体に刺さってこようとする。
言いようのない恐怖に声をあげようとした時、パン!パン!と誰かの手が背中に刺さろうとしていたものを振り払ってくれた。
「よしよし。ゆっくり呼吸して」
耳元で海人の声がする。
しっかりと妹を抱きとめた海人の手が、あやすように背中を叩く。
「大丈夫。大丈夫。びっくりしたよな。ごめんな」
愛凪は必死に海人の声にすがった。背中から襲ってくるものに連れ去られないように。
古びた部屋の、煤けた壁紙が目に入った。
そして、その手前に白くふんわりとした山が見える。
純白の、海人の翼だった。
「助けて…お兄ちゃん、何かに引っ張られる…」
やっとのことで、声が出た。声が出た途端、体が楽になる。
「うん、助ける。絶対、助けるから。心配しなくて大丈夫」
その言葉を信じて、兄に体を預け、大きく息を吐いた。
もう、何も襲ってはこなかった。
「やっぱり、だいぶ不安定だな。しばらくは翼は出さない方が良いよ」
やがて、愛凪がすっかり落ち着いたのを見計らって、海人は言った。
こくん、と頷いたものの、どうすれば翼を出さずにいられるのか、まだ検討がつかない。つまり、これがコントロール出来ていない、と言う状態なのだろう。
「愛凪」
不安そうに揺れる愛凪の目をみながら、海人は再び頭を下げた。
「もうすぐ多分、みんな帰ってくる。水沢も、かべっちも…。あいつらの話を聞いてから、もう一度考えてくれないか?何が起きたのか聞いて、オレも一緒に考える」
愛凪はゆっくり頷いた。
「私も、何があったのか、ちゃんと聞きたい。お兄ちゃんの友達の事情も、直接聞いておきたい」
唇は震えているが、覚悟を決めた口調だ。
「オレは…流されてここまで来た感じだからな…ちゃんと、考え直すいい機会なのかもな…」
相変わらず、何も見えない窓の外を見ながら、海人は呟いた。




