30話
「誰かいるのか!出てきなさい!!」
2人が窓を乗り越えて外へ出ると同時に、複数の男性の声が聞こえてきた。
どうやら警察のようだ。
手早く窓を閉め、凪は本郷の腕を掴む。
「少しは飛べるんでしょ?」
頷いて、本郷は翼を出した。
(ギリギリだ…)
活動限界が近いことは、経験上分かる。
体が浮かぶ。
窓の向こうで、須藤が必死に体を起こすのが見えた。
絶望と、憎しみしか無い表情だ。宙へ浮いた2人に、追い縋るかのように腕を伸ばす。
悲鳴とも、哀願ともつかない絶叫が響いた。
「なんでだよ!なんでお前たちだけが…!」
その声は窓ガラスを震わせ、はっきり凪と本郷にも届いた。
しばし、空中で停止し、言葉もなく見守る2人の前で、須藤の体は前のめりに突っ込むように倒れ伏し、動かなくなった。
滑らかに上昇する2人の体は、3階の高さに届く前に大きくバランスを崩した。
本郷の翼が、闇に溶け込むように霧散する。
だが、ぐいっと、凪の腕が本郷の脇の下を支えたおかげで、高度は下がらない。
「行くよ!」
小さくそう言った凪に頷いたものの、本郷は下は見なかった。
窓を乗り越えて出た時に、凪に命を預ける覚悟はしたつもりだったが、首筋がゾクゾクするのは寒さのせいだけでは無い。
上昇スピードが途端に速くなった。いや、速いとかそういう問題ではなかった。
打ち上げられたロケット花火はこんな気持ちなのだろうか。
風圧に耐えきれないのと、まごうかた無き恐怖心で本郷は固く目を閉じた。
左の脇の下に食い込む凪の細い腕の痛みを気にする暇さえない。
(そう…だった!コイツの飛び方は…!!)
ドウドウと、耳元で風が鳴る。
当然、声など出せなかった。
アーククラス、と仲間内で呼んでいる、自分の身長を越すような大きな翼を持つウィンガーは飛ぶことが可能だ。
不思議なことに、全員、翼を発現したその日から飛ぶことができると自覚していた。ただ、ある程度の練習や慣れは必要で、飛べる時間や速さには随分差がある。
水沢凪ほど速く飛べるウィンガーを、本郷は知らない。そして、速さもだが、そのトリッキーな飛び方は誰も真似できないと思う。
急上昇からきりもみ状態で急旋回し、急降下したかと思えば、地上30センチの高さを滑空していく。そんな飛び方を何度もみている。
ツバメを思わせるその飛び方は、見ている分には感嘆し、楽しめるものだった。だが、自分がその状態で一緒に飛ぶとなると、楽しむ余裕などない。
絶叫マシーンが苦手なわけではなかったが、体全体にかかるGに、安全ベルトも無しに晒されては、恐怖を感じるほかに方法がなかった。
少し、上昇速度が落ちたのを感じて本郷はうっすら目を開けた。
見えたのは、満面の笑みの凪。
(…いい顔するよな…)
飛んでいる時の彼女は、いつも晴れ晴れとした、この上なく楽しそうな顔をしている。小学校時代もそうだった。
ついこの間、久しぶりに飛ぶ姿を見る機会があったけれど、その時も、目一杯楽しそうに飛んでいたっけ…
スピードは凄まじいが、飛び方は安定している。ふと、
『だって、翼の形してるだけで、翼とは違うでしょ』
小学生時代の凪の言葉を思い出した。
そこにいた同級生のウィンガー全員に不思議そうな顔をされて、凪はモジモジと黙り込んだ。
助けを求めて見回しても、同意する人間はいない。
「なにそれ。どういう意味?」
「ええ?だって、翼じゃん!」
口々に言われ、凪は泣き出しそうな顔になった。
「水沢、説明してみて」
周りを一旦制して、そういったのは西崎音十弥だった。
おとなしくて、口数の少ない女の子だった凪は、そう言われてかえって戸惑い顔になった。
「あの…ロケットエンジンを背負っている感じ…かな、と思うんだけど…多分。だから、パタパタすると、かえってグラグラ〜って…」
歯切れの悪い言い方だが、本人は一生懸命らしく、そう言いながら体を大きく横に振って、やはり賛同が得られないと分かると、しょんぼり俯いた。
「飛ぶためのエネルギーの噴射装置ってことか?羽ばたいて揚力を得るんじゃなくて、噴射エネルギーの強さと方向を調整する」
音十弥は本郷の方を見てそう言った。あの説明で、よくそんな解釈ができたものだ。だが、そう言われれば、理解しやすかった。
そこから、アーククラスの全員がなるべく翼に余計な動きをさせずに飛ぶように、練習した。全員があっという間に上達した…
走馬灯のように、そんなことを思い出しながら、半ばやけくそで目をしっかり開くと、思いの外いろいろなものが見えた。
遠くヘッドライトの連なりと、建物の灯り。だが、この辺りの空までその灯りは届いてこない。
下方には、黒々とした山の稜線と、そこを通る道の街灯が点々としている。
凪がその一角に視線を向けていることに気付いて、本郷も目を凝らした。
パトカーか、救急車か、緊急車両らしき車列が目に止まる。先ほどまで2人がいた建物の辺りだろう。
赤色灯の大きさからして、相当な高さまで上昇していることが分かって、本郷は改めてゾッとした。
そこから少し離れた暗い山あいの一角で、点滅している光があった。方向的にー
(オレが車停めたあたりじゃないか…?)
翼を出している凪は、本郷よりも夜目が効く。もっとハッキリ見えているはずだった。
「あそこ」
小さくそう言って、点滅する光へ顎をしゃくると、凪が本郷の腕を掴む両腕に力を込める。
次の瞬間には、その方向へ向けて2人の体は猛然と突っ込んでいた。
(ぎええええ!!!)
飛んでいるというより、これは落下だ。本郷は心の中で絶叫し、固く目を閉じた。
声を出さなかったのではない。風圧と恐怖で声など出るはずがなかったのだ。
(ていうか、これ、止まれんのか?!このスピードで?!)
だが、本郷にはなすすべはない。
「もう…少し…!」
凪の声が聞こえた気がした。
どこまでも、スピードは落ちない。
と、急に、フリーだった右腕に衝撃を感じた。
いきなり反対方向にGがかかり、首がガクガクする。
それでも、右腕を掴み取ったそれが、出来るだけショックを吸収しようと、自分を動かしていることを、本郷は理解した。
空中で、クルクルと回転し、上下関係も分からない状態から、穏やかな下降に向かっていることを確認し、本郷は目を開いた。
「迎えに来てやったわよ」
自分の右腕をしっかりと掴んでいるのが、小宮山暦美だと気付き、
(助かった!)
と第一に思った反面、ひどい気まずさも本郷は感じた。
女性2人に両脇を支えられ、フラフラと空中を漂っている姿は情けないにも程がある。
「…こみさん?!」
左側から、凪があやふやな調子で暦美の顔を覗き込んだ。
「イェイ!久しぶり!」
満面の笑みで手を振る暦美だったが、
「悪い!あとは頼んだ!」
短くそう言って、凪は本郷から手を離す。
鮮やかに身を翻した凪は、頭から地面へと向かっていった。
闇に溶け込んでいたと思われた黒い翼が、跡形もなく消えていることに気がつき、残された2人は、息を呑んだ。
「ちょ…っ…!!」
悲鳴に近い声がどちらからともなく漏れたが、追いかけようとした暦美はすぐに思いとどまった。
「…ビビらせないでよ、も〜」
大きくため息をつき、ゆっくりと下降に向かう。
夜目のきいている暦美には、凪が地面に激突する寸前で再び翼を出し、ハザードを上げている車のそばへピタリと着地したのが見えていた。
「大丈夫だったのか?」
「うん。相変わらず、ヤバい飛び方」
暦美の返事にホッと力を抜きそうになって、まだ空中にいることを思い出し、本郷は慌てて体に力を入れた。
いくら翼を出していたとしても、脱力した男性の体を運ぶのは楽じゃないはずだ。
途中で嫌になって投げ出されるのはごめんだった。
『あーもう、重い!ヤダ!!』そう言って自分を投げ出す暦美を、容易に想像できる。
(いやいや、さすがにコミも、そこまではしないだろ。だからこそ、助けに飛んできてくれたんだろうし…)
自分の想像に自分で突っ込んでる間に、地面はすぐそこになっていた。
ハザードあげているのは、白っぽいワゴン車だった。
道路脇に停まっているそのワゴン車の前に、自分の車が停まっているのを確認して、本郷は周囲にいる人物に目を凝らす。
暦美がここにいるということは、おそらく…
「え…かべっち、なんでいるんだよ?」
同級生の蝦名あたりが来てくれたのかと思った本郷は、少しきまりわるそうな、諦めたような顔で近付いてくる真壁に驚いた。
地面に降り立った本郷の左腕をがっしりと支えてくれる。
「まあ、な。いろいろ巻き込まれたついでだ。とにかく急げ。早くここから離れるぞ!」
ふらつく足元を、引きずるように車の方へ連れて行かれた。
ハッチバックを開けて、中へ乗り込むよう手招いているのは吉川美実だ。
車の側面に、『いちのせ呉服店』の文字を見止めて、ああ、なるほどと納得する。
「本郷、カギよこせ。そんなんじゃ、運転無理だろ」
手を出す真壁に
「いや、オレの車、マニュアルだし」
と首を振ったが、
「お前、オレの仕事分かってっか?そのくらい、動かせるわ!」
断言され、本郷は思わず苦笑した。確かに少し休まないと、体がだるくて仕方がない。
「…頼むわ」
キーを渡すと、転がすようにしてワゴン車に積み込まれてしまう。
美実の隣にいた凪も、ぴょんと、飛び乗ると美実が間髪入れず、ドアを閉めた。
「ヨレヨレじゃん!」
前方から、遠慮のない声が飛んでくる。
運転席からこちらを振り返っているのは、個性の強い顔立ちの女性だ。
『いちのせ呉服店』の文字を見た時点で予想はしていたが、
「なんで、お前が来てんだよ」
思わずそう口をついて出てしまう。だが、
「助かったよ、サンキュー」
そう、付け加えるのは忘れなかった。
「そうね。お礼、楽しみにしてる」
そう言って、本郷にはちょっと高飛車な、凪には懐かしそうに愛想良い微笑みを送って、一ノ瀬桜呼は前を見てギアをドライブに入れた。
疲労困憊の状態で荷物スペースの側面に寄りかかり、本郷は深く息を吐いた。
向かい側には凪が、似たような格好で寄りかかっている。
「お前、オレ運ぶのギリギリだったんだろ」
最後、翼を消して地面に突っ込んで行ったのは、翼を出しておける時間がわずかだと分かったからだろう。
凪が不貞腐れたように鼻を鳴らした。
「うるせ。あんたを下におろすまでは間に合ったさ。こみさんが来たから、楽させてもらったんだ」
普段より、明らかに口調が荒い。
後ろの座席に座った暦美と美実が振り向いて笑う。
本郷もその口調に、むしろ笑顔になった。
翼を出している時、その後もしばらく、水沢凪は少々、粗暴な言動を見せる。それは小学生時代もそうだった。
ウィンガーが翼を出している間、攻撃的な性格になるのはよく知られたことだが、翼の出し入れをコントロールできるようになると、その性格変化も抑えられるようになる。
己の精神状態を客観的に把握し、落ち着かせることが翼をコントロールするコツだと、トレーニングセンターでも最初に教えられる。
凪はそれを最初から直感的に理解していた。その上、相手の精神状態を操る能力まで持っていたときている。だから、翼を発現した同級生たちを落ち着かせ、コントロールできるよう、導くのは彼女の役目だった。
その凪が、己に関しては言動をコントロールできない、という。
ただし、口が悪くなって、少々行動が荒っぽくなっても凪が人に危害を加えたりすることはなく、同級生たちはその変化をむしろ面白がっていた。
本人としては、落ち着いて自分の言動を振り返ると、きまり悪いことこの上ないらしい。
それもあって、凪は極力翼を出そうとしなかったのだが、一方で『飛ぶ』ことは、彼女にとってこの上ない楽しみだった。
二重人格のようなキャラ変を晒すのは恥ずかしいが、飛べる時には飛んでおきたい。わかりやすく、ジレンマで悶々としている凪の様子もまた、周りで見ている同級生には面白おかしく映っていた。
今も…暦美と美実は不貞腐れた顔で壁に寄りかかっている凪を、懐かしそうに、嬉しそうに見ている。顔を見合わせ、『これだよ、これ』と言いたげに頷き合っている。
そちらへは目を向けず、逸らした頭を軽く窓へ打ち付けて凪は言った。
「精神状態落ち着くまで声かけるな。ーったく、ウィンガーだらけだな…」




