25話
駐車場へ出ると、隼也はペンライトを消し、念のため周囲を見回した。
悪ガキどもが入り込んで、一時期騒がれた経緯があるから、誰か入り込んでるのが見られても、またかで済む。あるいは、通報があって様子を見にきた警備会社だと言えばいい。
そう言ったのは、須藤だった。
とはいえ、人目につかずに済めば、それに越したことはない。
未生は、隼也の車の中で眠っている、というか、眠らされている。
車は、この駐車場と道路をはさんで向かい側にある空き地に停めてあった。
薬は6時間くらいは効いている、というから、まだぐっすり眠っているはずだ。
気温は下がってきているが、凍死するほどではない。立山の処置が済んだら、自分の部屋に連れて行くつもりだった。
未生にどう説明するかは、立山の件が片付いてから、須藤と相談することにしている。
「菊森さんと違って、君の彼女はいわゆる"いいとこ"のお嬢さんでしょ。何かあったら親が大騒ぎする。友人も多いようだしね。なんとか内輪で話をまとめないと」
口調は穏やかだが、須藤が「内輪で話をまとめる」ために、手段を選ぶ気がないのは明らかで、隼也はヒヤヒヤした。
だいぶ暗くなってきた駐車場を横切り、バリケードの近くまで来た時、近づいてくる足音と話し声にぎょっとして足を止めた。
若い男と女だ。
そっとバリケードの端に身を寄せ、じっと通り過ぎるのを待つことにした。
暗がりだし、姿は見えないだろう。
だが、予想外なことに、男女の2人連れはバリケードの隙間をすり抜けてこちら側へ入ってきた。
「うおっ!」
ちょうど隼也の目の前に出てくることになってしまった男が声をあげて飛び退く。
隼也も息を飲んで、身構えた。と、
「桜木さん!」
男に続いて入ってきた、小柄な女性から呼び掛けられて、二度びっくりした。
「え…な、凪ちゃん?!」
隼也の頭は混乱した。なぜ、水沢凪がここにいる?しかも、隼也と出くわしたことに、たいして驚いた様子ではない。むしろ、
「やっぱり、桜木さんも一緒だったんですね」
当然、というか少し安心したような様子さえ窺える。
「未生ちゃん、一緒に来てますよね?」
たたみかけるように、そう言われて、隼也はすっかり狼狽してしまった。
「な、なんでそんな…未生が…連絡したのか…?」
未生のスマホの電源は、車に乗った時点で強引に切らせたはずだ。
「い、いや…困るんだよ、オレ、仕事中だから…こんなところ、来ちゃダメだから…!」
とにかく、ここにいられてはまずい。隼也は凪の肩をつかみ、男と一緒に追い出そうとしたが、
「まず、水沢の友達がいるのかどうか、答えてよ」
その手を男に掴まれた。
背格好は隼也とたいして変わらない。年頃は凪や未生と同じくらいか。何かスポーツでもやっているのか、がっしりと肩幅のある体つきだが、その気になれば一般人相手に負ける隼也ではない。
手を振り払うと、
「とにかく、外に出なさい!」
強い口調で言い放った。そのまま、2人を押し出そうとしたが、
「桜木さん!」
凪の方を振り向き、目が合った瞬間、クラリとした。
めまいとも少し違う。足元はしっかりしている。ただ、頭の中がぼんやりする…
凪の顔はよく見えているはずなのに、視界が黒く覆われていく…?羽…?
思ったことが、うまく口から出てこない。
「答えてください。未生ちゃん、どこにいるんです?」
聞かれていることはよく分かる。聞かれたのだから、答えなくてはならない。
「車の…中だ。まだ、眠ってるはずだから、問題ない…」
「眠ってる?なんかしたんじゃないか?こいつら…」
男の声が聞こえた。そうだ、その通り…
「なんで、こんなところに連れてきたんですか?対策室に連れて行けばいいはずでしょう?」
凪の声は淡々としている。いつも通りの落ち着いた口調だ。
なんで?…なんでって…
「…須藤さんに命令されたんだ…下手すりゃ、密輸のことバラされるからな。言うこと、聞くしかないだろ…」
途端に、隼也はゲラゲラ笑い出した。
「ヒャハハハ…そうだ、そういうことだよ!どうせなら、怪しげなことだって、金になった方がいいだろ!いい加減、コソコソ演技して生活するのは、窮屈でしかたなかったんだ!!」
腹を抱え込み、くの字になって笑い続ける。異様な笑い声が暗い駐車場に反響した。
「本郷、大丈夫だよ」
押し除けるように、凪と隼也の間に割り込もうとした本郷は、そう言われて素直に身を引いた。
「ああ、でも、こっちはあんまり大丈夫じゃないか」
ひどく冷めた眼差しで、笑い続ける隼也を見ながら、凪は呟く。
口元にうっすらと笑みを浮かべた少女のような顔立ちは、暗がりの中で、隼也の笑い同様の気味の悪さを感じさせたが、本郷はいかにも納得、といった顔で頷いた。
「ねえ、」
ずいっと前へ踏み出した凪が隼也の襟首を掴み、強引に体を引き起こす。
「ふ、ふひ…っ…」
隼也は笑いを収め、凪の顔を見下ろした。およそ、隼也には予想もできない凪の行動であったはずだが、驚いた様子もなく、ただぼんやりと凪の目を見ている。
「ナオさん…立山さんに、何する気だったんです?未生ちゃんまで巻き込んで」
「立山?…立山は、須藤さんに用があるんだ…あいつが、金になる…未生…未生…?勝手についてきたんだ。オレだって、迷惑してる…」
凪の目が険しくなった。
「彼女でしょ!付き合ってるんでしょ?!危ない目に合わせておいて、迷惑って、どういうつもり?!」
およそ、普段からは想像できないほど、感情的に声を荒げた凪に、隼也は下卑た笑いを見せた。
「は…彼女か。女がいた方が仕事上、都合がいいこともあるって言われて、付き合っただけだ。顔も体も申し分ないけどな…」
目尻が下がり、ニヤついた顔が凪の顔へ近づく。
「でもオレは、君みたいな従順な女の子の方が好みなんだ…」
途端に、バシン!と小気味のいい音がした。気がついた時には、隼也は2メートルほど離れた地面に尻もちをついていた。
「あ、やべ…」
凪が自分の右手を見下ろし、
「水沢、加減、加減!相手は一般人!」
傍から本郷が苦笑いしている。
左の頬の痛みに、隼也は我に返った。
何が起こったのか、何を喋ったのか、全て分かっている。分からないのは、
(なんで…ベラベラ全部答えてんだ、オレ…おかしくなっちまったのか?)
今の状況も、立場も全て気にせず、聞かれたことに、素直に応じてしまっている。
必死になって、考えられるだけのことを考えてみるが、突拍子もないことしか思いつかない。
(自白剤でも使われたか?何かに体を乗っ取られたのか?催眠術か?)
「なんなんだ!お前ら!オレに何をした?!」
気がつけば、左頬を押さえたまま叫んでいた。
凪は憐むような、蔑むような笑みを浮かべたまま。本郷も呆れたように隼也を見下ろしている。
その本郷が口を開きかけた瞬間、隼也は猛然と足元へつかみかかった。
考えての行動ではない。本能的に体が動いていた。取っ組み合って、一般人相手に不覚をとるはずがないという自信が、体を動かしたのだ。それが、状況を打破する唯一の手段に思われた。
ぼんやりと、凪に仕掛けてはまずい、と感じたからでもある。
(この子の前では、自分はおかしくなる)
そう確信めいたものがあった。
視界の端に映る凪は動かない。
だが、本郷の足を掴んで引き倒すはずの隼也の体はあらぬ方向へ傾いた。一瞬、世界の上下関係が分からなくなる。
声を出す間も無く、両足は空を切り、次の瞬間には、背中がアスファルトの大地を受け止めていた。
かろうじて、受け身を取れたのは訓練の賜物だ。それでも、衝撃に一瞬、呼吸が止まり、隼也は喘いだ。
「オレ、一応、合気道の有段者なんだわ」
ちょっと得意げな本郷の声に、
「へえ、合気道…」
のんびりした凪の声が重なる。
混乱し、パニックに陥りそうな隼也は仰向けのまま、2人の会話を聞いていた。
「お前の友達、ロクでもないのに引っ掛かったんじゃないか?」
「そう…みたいね…」
「どうする?ここまで来たら、須藤に直接、話聞いた方が良さそうだけど…お前は友達連れて、帰った方が…」
微かに、凪は笑った。
「ここまで来たら、そうもいかないでしょ。あたしが行った方が喋ってもらえるだろうし。むしろ…あんたこそ、いいの?」
「それこそ、覚悟はできてるって」
本郷のその言葉とともに、隼也は力強く腕を引っ張られ、立ち上がっていた。
「大丈夫そうだな」
「な…な、何が…」
うまく舌が回らない。何を言いたいのかもよく分からなかった。
「本郷、未生ちゃんの様子、見てきてもらえる?多分、近くに車が…」
「ああ、車の場所は分かる。ここの向かいの駐車場だろ」
確認のために覗き込む本郷の顔に、隼也は小さく、カクカクと頷いた。
「桜木さん!」
明るく呼びかける凪の声に振り向き、目が合った瞬間、隼也の緊張はほぐれた。
おかしな話だ。この子が妙な影響力を自分に与えると分かっているくせに、不思議な安心感に包まれる。
「車の鍵」
差し出された小さな手に、素直にポケットから出した鍵を乗せる。
凪はそれを、ふわりと本郷へ放った。
「すげえな。その状態でも暗示かけられるのか」
受け止った本郷はそう言って、感心したように、凪とぼんやりした顔の隼也を見比べる。凪は気まずそうに
「余韻…というか、影響が残ってるんだと思う。ちょっと…」
そう言って、言葉を濁した。
小さくため息をつき、凪は再び、隼也の目を覗き込んだ。
隼也は、ぼんやりした、だが、穏やかな表情をしている。
「須藤さんのところへ連れて行って下さい」
凪にそう言われると、素直に頷いて、建物の方へ足を向けた。
後ろから、本郷の声がした。
「気を付けろよ!オレもすぐ行く」
小さく手を振り、凪は隼也を追った。
「まあ、水沢なら大丈夫だろうけどな」
呟きながら、本郷は足早にバリケードの隙間を抜け、先ほど二台の車が停まっていた駐車場へ向かう。
道路には街灯はあるものの、だいぶ暗くなってきていた。
翼を出した方がよく見えるが、無駄遣いはしない方がいい。
先ほどのあの男は、自分たちがウィンガーだと気付いていないようだ。辺りが暗くなっていたせいもあるだろうが…
だが、須藤誠次を相手にはそうはいくまい。
(年貢の納め時ってやつかな)
不思議と気分は落ち着いている。むしろ、はっきりと心は固まっていた。
アイロウで、何が起きているのか、知る必要がある。それを成し遂げられるなら、大いに結構だ。




