24話
隼也は、上着の内側に忍ばせた感触を確かめながら、駐車場を横切ってくる立山を待った。
あたりは暗くなってきているし、駐車場の外灯は全て点かなくなっている。
突然、飛びかかられてきたら、絶対不利だ。ウィンガーは翼が現れている間、夜目も効く。須藤が来た方が絶対よかったはずなのだが、
「大丈夫だよ。彼は、ぼくと話がしたいんだからね」
あっさりそう言われた。
余計な荷物を一つ増やしてしまった負い目があって、それ以上、嫌だとは言えなかった。
荷物とは、未生のことだ。
あの後、しばらくして須藤から連絡があり、菊森彩乃を連れてくるよう、命じられた。
いつもより、妙にテンションが高めの須藤の口調に圧倒されていると、
「君、お金は好きだよね?というか、必要でしょ」
急にそんなことを言い出した。
「ほら、アフリカに派遣された時からのお友達に困らされているという話を聞いてね」
隼也は息を飲んだ。
「今回の件、うまく処理ができたらちょっとしたボーナスが手に入る。お友達の対応にも、手を貸すよ」
「な…んで、そんなこと、知ってるんです?」
さすがに声が上ずった。
いつも通りの須藤の笑い声が聞こえる。
「そりゃあ、部下のことには、気を使ってるもの。さ、言う通りに動いてくれるかな」
反論も質問も許されるはずがない。
だが、彩乃を指定された場所へ連れて行くこと自体は難しいことではなかった。
立山に会える、と言えば彼女はすぐについてくるだろうし、今日は、彼女が出勤したことを確認した後は、監視が外れているはずだ。
だが、彩乃が勤務するショップに連絡し、迎えに行くと、未生と出くわしたのだった。
未生は、当然のように一緒に行くと言い出した。さらに、彩乃もそれを望んだ。
強引に断れば、後々未生は大騒ぎしそうだったし、周囲に人通りがある中で議論するのも憚られ、渋々、同行させたのだった。
駐車場で未生の姿を見るなり、須藤の顔に明らかな苛立ちが見えた。
一瞬のことだったが、殺気すら感じさせる表情に隼也は固まったが、未生も彩乃も気付いていない。
こちらへ歩いてくる時には、須藤はいつも通りの、爽やかな笑みで、この上なく愛想よかった…
空気は冷えてきている。寒さと暗さが相まって、隼也の体を余計に硬くした。
手の先まで、緊張がみなぎっている。
ほんの数時間前まで、こんな立場に立たされるとは想像だにしなかった。
どこで歯車が狂った?行先が変わった?
真壁の家で、後輩がウィンガーになるのを目撃した時からか?須藤とあかりの密談を聞いた時からか?それとも…立山を見つけた時から?
こちらへ向かってくる人影に神経を集中させながら、思考はループを繰り返している。いや、実際は考えているわけではない。今日の出来事を思い返しては、答えの出ない"なぜ"を繰り返しているだけだ。
立山は隼也の方へ真っ直ぐ歩いてくると、数メートル離れて立ち止まった。
隼也の顔は見覚えていたらしい。
「お待たせ。須藤…さんは?」
相手の声に緊張の響きが隠せていないことに、隼也は少しほっとした。
後ろの建物を指差して
「中だ」
と一言言うと、立山はあからさまに不審そうな顔をした。
暗くなってきてはいるが、そのくらいの表情はわかる。
「外だと寒い。彼女も来てもらってるし、な」
苦しい言い訳だと、自分でも思った。
だが、立山はうなずいてこちらへ近寄ってくる。
納得したというより、従うしかないと思ったのかもしれない。
いきなり翼を出して掴みかかってくる様子も無さそうなので、隼也も相手から目を離さないようにしながらも踵を返した。
「あんた、愛凪ちゃんの同僚だろ。心配じゃないのか?」
不意に肩越しに聞かれて、隼也は口元を歪めた。先程のあの現場に自分がいたことを知られている。
「お兄さんがいたでしょう、ウィンガーの。だから、大丈夫だろうと思って離れたんです。オレは…一般人なんでね。…大丈夫、だったんでしょう?」
「…そうか…ああ、なんとか落ち着いたよ。なんとかな…」
職員寮として使われていた建物に着くまで、交わした会話はそれだけだった。
不穏な空気だ。
廃墟と化したこの建物の佇まいが、その空気感をさらに増す。
数ヶ月前、元の病院の建物の方に、たちの悪い中高生が入り込んで、警備会社が出動したことがあった。時期的に夏休み中。元病院の廃屋なんて、肝試しにはうってつけだったのだろう。
その同じ時期にこちらの建物にも、連中は入り込んでいたらしい。
どういう理由か、病院本体の方には警備会社のセキュリティが入っていたのに、こちらの建物は野放しだった。
入口はロックされた上に、チェーンと南京錠で閉ざされてはいたが、破壊衝動に駆られた若者たちはチェーンを切断し、ガラスを破って侵入したのだ。
そこまでして、こんな廃屋に侵入したい気持ちは隼也には理解できなかったが、夜中に忍び込んだ建物で、アルコールや薬に興じていい気になっている若者たちの様子は容易に想像できた。
以来、壊された入り口は直されることもなく、放置されている。
不法侵入した少年少女が全員補導されたことで、事件が解決したからだろう。だが、治安上はよくないに決まっている。現に、自分たちのような人間が入り込んでいるではないか…
建物の中へ入ると、隼也はペンライトをつけた。
「へ…ぇ…」
後ろで立山が小さく声を出す。
見た目はアパートのようだが、一階の出入口は中央に一か所だけ。
そこを入ると、広々と、というより今となってはガランとした空間が広がっている。
一応、ここがエントランスで、一階部分は共用スペースとして使われていたらしい。
頼りない灯りの中でも、所々、天井が剥がれ落ち、床はホコリまみれの状態であることが分かった。
左手の部屋には『ミーティングルーム』『談話室』とプレートがかかっていた。
奥側の、『談話室』から、灯りが漏れている。
建物の奥、つまり北側は雑木林になっており、外からは見えない作りだ。灯りが漏れても見咎められることはない。
隼也が何か言う前に、足を早めた立山は、隼也を追い越し、談話室へ向かっていた。
「おい!」
止めようかと思ったが、足音で、須藤は自分たちが来たことに気付いているはずだ。
隼也も足早に後を追った。
バン!と、まるで室内の様子など気にかけないまま、立山は談話室のドアを開けた。
隼也の足元まで、光の帯が広がる。
教室ほどの大きさの部屋だが、LEDランタンの灯りは、十分な明るさをもたらしていた。
片隅にチカチカと視界に入ってくる金色の塊がある。部屋に入るなり、真っ先に目に入る物体だ。
立山も真っ先に、そちらに顔を向けて、何が置かれているのかと眉を潜めている。
それは、大きなアルミのシートだった。防災グッズなどに入っている、防寒用のシートだ。
端からはみ出ているのが人の頭で…自分の恋人の顔だと気付くと、立山は息を飲んで駆け寄った。
「大丈夫だよ。少し眠ってもらってるだけだから」
部屋の奥、少し暗がりになった場所から須藤がゆっくりと現れた。
顔には、表情がない。いつもの須藤を知る人が見たら、奇妙な不気味さを覚えただろう。
弾かれたように、立ち上がった立山は、強い怒りを含んだ眼差しで向き合った。
「あんたが須藤誠次か。彩乃に何したんだ!彼女は関係ないだろ!」
須藤が浮かべだ笑みは穏やかなものだった。穏やかすぎて、むしろ、床に横たわる女性を気にかけている様子がまるでないのことがわかる。
「よく処方される睡眠薬だよ。安全性は確立されている」
「そういう問題じゃない!!」
立山は彩乃の元にかがみ込み、頬に触れた。ひんやりした頬と、暖かい吐息。
上着を着て、保温シートに包まれているとはいえ、床からの冷気が上がってくる。お世辞にも丁重な扱いとはいえない。
彩乃を抱え起こした立山は、ふとその感触に何かを感じて、恋人の足元のシートをめくった。
「!…てめえら、どういうつもりだ…!!」
彩乃の両足首は、自転車のロックに使うようなワイヤーで結ばれていた。もちろん、ロックもかかっている。
「朦朧とした状態で、勝手に動かれると危ないからね」
平然と、須藤は言い放った。それから、ポケットから取り出した、小さな鍵を振ってみせる。
「よこせ!」
須藤は変わらぬ表情のまま、立山へ鍵を放った。
「少々、手荒な真似をしてしまったのは、申し訳なく思うよ。でも、ジミーの知り合いとなると、穏やかに話し合いが出来るとは思えなくてね」
鍵を開け、ワイヤーを解く立山を見下ろしながら、須藤は淡々と続けた。
「反社会勢力にくみするウィンガーなんて、いただけない。国際問題ものだ」
彩乃の呼吸が安定していることを再度確認してから、立山は相手をジロリと見上げた。
「正義の味方面するんじゃねえ。無関係の女の子、こんな目に合わせて。世間に公表して、非難されるのはどっちだろうな!」
「君とジミーの関係は?」
須藤は、立山の言うことはまるで意に介していない。
「橘華会のジミーといえば、一匹狼で有名だった。大した特徴のない顔、ガリガリで貧弱な体で目立たない、地味なジミー。組の連中がそう付けたそうだね。橘華会の中でも、彼の本名を知らない人間は多かった。なぜ、君は知っているのかな?」
彩乃の上半身を抱き抱えながら、立山はゆっくり息を吐いた。
今は、冷静に話し合わなければならない。激情しては、本当のことを聞き出せない。
「比嘉さんは…」
意識して、ゆっくりと喋った。
「その呼ばれ方が好きじゃなかった。なんでか…そう、なんでだろうな、最初にオレは名前を聞いた。フルネーム、なんですかって」
驚いたように、面白がるように、比嘉は立山を、じろじろ眺めたものだ。そして、『比嘉義章』という名前を教えてくれたのだった。
親からもらって、持っているものはこの名前だけなのだと。
「何をもってして、本名というかだけどね。確かに、彼はその名前にアイデンティティを持っているようだったな。だれも、呼ばない名前に、さ」
にこやかな表情とは裏腹に、須藤の言葉には明らかな蔑みがあった。
グッと奥歯を噛み締めて、ツバとともに怒りの言葉を飲み込んでから立山は頷いた。
「比嘉さんは、どこにいるんだ?落ち着いたら、オレには必ず連絡くれるって言ってた。あの人、約束を破るような人じゃないんだ」
「ずいぶん、信頼関係ができているんだな〜、そんな親しい相手、いないって彼は言っていたんだけど」
隼也は上着の内側に手を入れながら、そうっと入り口ドアを塞ぐ位置に移動していた。
須藤と立山の話している内容は、チンプンカンプンだ。
どうも、『ヒガ』というウィンガーが通称『ジミー』と呼ばれていて、裏社会とつながっている、ということらしい。
2人の共通の知人らしいが、隼也の知るウィンガーのリストに、そんな名前はあっただろうか…?
下手に口を出さずにいた方が得策なことは分かる。
立山はこの調子だと、翼を出しかねない様子だ。気を張り詰めて見守るしかない。が、
「桜木くん、彼女の様子、見てきたらどうかな。ぼくらはゆっくり、話し合ってるから」
不意にこちらへ顔を向けた須藤が、笑顔で言う。
明らかに、厄介払いだ。ここまで協力してやったというのに。
(人を、いいように使いやがって…)
口に出さずとも、顔には出たらしい。
須藤の目から笑みが消えた。
背中にゾクリと冷気が差し込んだ。
いつもなら、茶化すか、諭すような口調で一言二言、言ってくるはずなのに、沈黙だけが落ちてくる。
「わかりました」
どうにか言葉を発して、隼也は部屋を出た。




