22話
「お前、まだこんな骨董品乗ってんのかよ」
本郷の2人乗りのBMWを見て、真壁が馬鹿にしたような、感心したような声を出す。
「仕方ないだろ、もらいもんなんだから」
脇で会話を聞いていた立山が
「うへ〜誰にもらったんだよ」
と、心底羨ましそうな声を出した。
「兄貴だよ。大学の合格祝いに車やるってさ、自分のお下がりだぜ。燃費は悪いし、修理に出すと金はかかるし、大変なんだ」
「売っ払ってエコカーでも買え。結構いい値段でまだ売れるぞ」
そういう真壁は、本郷にそんな気はないことを知っているらしい。本郷もなんだかんだという割に、
「いいんだ。せっかくだから乗り潰してやる」
と、それなりの愛着があるようだ。
「そんな古い車なんだ」
大して興味がなさそうに車を眺めながら、凪が呟いた。
「ああ、15年…20年近く前の型か?」
「だな」
自分の言葉に反応があると思わなかったのか、凪は少し驚いたように本郷と真壁を振り返る。
「へ…え、そんな風に見えなかった」
助手席のドアを開け、自分の荷物を取り出しながら、凪は改めて車内にも目をはしらせた。
2シーターの車に乗ったのは初めてだった。座席はゆったりとしているが、荷物を置く場所がない。
バケットシートというやつも、座り心地は良くなかった。
それでも、車内にはゴミひとつなく、シートやフロアマットを見る限り、そんな古い車だとは思えなかった。
凪が荷物を出すと、代わりに立山が乗り込んだ。
「こいつ、送ったらすぐ戻るから、ここで待ってて」
凪にそう告げ、本郷も運転席へ乗り込む。
低い唸りを上げ、走り去る車を見送りながら、凪はノロノロと家の方へ踵を返した。
「水沢?」
なにか気がかりな様子の凪に、真壁が振り返って声をかける。
凪は、顔を上げてかすかに頷き、気を取り直したように足を早めた。
玄関を開けると、ちょうど二階から海人が降りてきたところだった。
「愛凪、まだ寝てる。ま、さっき寝言言いながら笑ってたから大丈夫みたいだ。本郷は?」
穏やかな笑顔を見せた海人だが、立山から聞いた話をすると、たちまち顔を曇らせた。
「なあ、それって、なんかヤバくないか?」
「まあ、な」
真壁は言葉を濁した。
「立山の言ってることが本当なら、ってことだったんだけどな。さっきの須藤の電話で信憑性が増したぜ」
「なんて、言ってきたんだ?」
「きちんと話を聞くから、ひとりで対策室まで来いと」
不自然な話ではない。
「ふうん…」
海人の相槌に、真壁は唇を歪めた。
「オレが気に食わねえのは、その後だ。オレに電話変われって言ってきてな…今回の件にはオレは関わってなかったことにするから、今後も立山のことは喋るなってさ。おじさんに迷惑かけるなとか…人の弱味につけ込みやがって!」
「…まあ、オレも、お前には面倒かけちゃったから…何にも言えないが…それならそれで、いいんじゃないか?立山に関しては、このまま登録されて、余計なことさえアイロウに漏らされなけりゃ、みんな、今のままでいられるだろ」
言葉を選びながら話す同級生の様子に、真壁は苛立ちを感じつつも、ホッとしていた。
先日、ここへきた時の海人は、とてもこんな風に冷静に話ができる状態ではなかったのだ。
「そりゃ、そうなんだけどよ…」
ああだ、こうだとしばらく話していると、不意に、スターウォーズのテーマが鳴り響いた。
「本郷からだ」
電話に出た真壁は一言二言話すと、同級生2人を見ながら、スピーカーに切り替え、テーブルの上に置いた。
「どういうことだ?元の進和会病院って」
真壁の問いかけに、凪と海人も顔を見合わせ、身を乗り出す。
「どういうつもりかは、わからない。あっちはナオちゃんがタクシーで対策室に向かってると思ってるから、黙って聞いてたけど、彼女も連れてきてやるっていうんだぜ。…なんか、怪しいだろ」
少し早口で話す本郷の隣で、何か言っている立山の声が聞こえた。不安げな響きだけは伝わってくる。
「対策室じゃなくて、元の進和会病院に来いっていうこと?」
テーブルに覆いかぶさるようにして凪が聞く。
「ああ。ちょっと心配だから、送ってからオレも様子見てくるよ。水沢、悪いけどしばらく待っててくれ」
『大丈夫だって、近くまで乗せてくれれば…』
そう言う立山の声が途切れ途切れに聞こえた。
「いいから、任せろって」
それは、その立山に向けた言葉らしい。
「下手に深入りはしないつもりだけど、そういう状況だから。あと、頼むわ。何かあったらまた連絡するよ」
「分かった。気ィつけろよ」
真壁がその言葉を最後に通話を切った後、なんとも言えない沈黙が満ちた。
「元の進和会病院って…今、廃墟だろ」
最初に口を開いたのは、海人だった。
「サスペンスドラマじゃあるまいし、廃墟に呼び出しって…何考えてんだよ」
絵州市の中心部から地下鉄で3駅ほどの場所にあった進和会総合病院は、2年近く前に市の北部に移転している。
地下鉄で3駅といっても、病院までは駅からは歩いて15分近くかかる。
建物の老朽化と、駐車場不足を解消するための移転だったが、その跡地に建設する予定のショッピングモールの運営会社が資金繰りが苦しいとかいう噂で、建物の取り壊しすら行われていないのだ。
「本郷に任せるしかないだろ。相手は素性の知れた公務員なんだし、犯罪がらみってことはないだろ」
そう言いつつ、真壁の顔色は冴えない。
立山の明確な不信感が、どうしても真壁の不安を煽っていた。
「…彼女、連れてくるって言ったんだよね…」
凪が、誰に言うともなく呟き、自分のスマホを取り出す。画面を手早く操作したが、
「電源、切ってる」
誰かに電話しようとして、繋がらなかったらしく気遣わしげな表情で、画面を見つめた。
「…え…誰…が?」
遠慮がちに聞いた海人にも答えず、凪は画面を凝視し続けている。
真壁と海人は無言で顔を見合わせた。
「なんか…なんか…これは……良くない…」
ボソボソと画面に語りかける凪の視線は、テーブルの上からソファの肘掛けを通り、だいぶ日の傾いた窓の外をかすめて、真壁の膝に着地した。
すうっとまぶたが上がり、真壁をまっすぐ見た大きな瞳には、はっきりとした意志を感じさせる光がある。
気圧されて、真壁はわずかにのけぞった。
「ここらへんって、バスある?」
凪が真剣な眼差しのまま聞いてくる。
「え、ああ、歩いて5分くらいのとこにバス停はあるけど。本数、少ないからな…絵州駅に行くやつだと…」
真壁は、時刻表を探そうと、部屋の隅の雑誌ラックに手を伸ばしたが、
「あ、絵州駅じゃなくて」
すぐに凪に制された。
「地下鉄の駅の方か、元の進和会病院の近くに行くバス、ないかな」
ガバッと立ち上がったのは海人だった。真壁も息を飲んで動きを止める。
「水沢、お前は顔、突っ込まない方がいいんじゃないか?」
眉間にシワを寄せてそう言う真壁と、戸惑い顔で立ち尽くす海人を交互に見ながら、凪はフルフルと首を振った。
子供じみた動きだが、その目には断固とした光がある。
「あたしが今一緒に住んでる子、彩乃さんの…ナオさんの彼女の友達なの。今日、彩乃さんに会いに行くって言ってて、今頃会ってるはずの時間なんだ」
同級生2人を交互に見ながら、凪は続ける。
「多分、彩乃さんとあたしの友達、一緒にいると思う。状況的に、未生ちゃんなら絶対ついて行くって言うと思うから」
話しながら、凪は傍らに置いていたパーカーに袖を通し始めた。
「あの須藤っていう人、ナオさんが言う通りになんか…裏がある人なら、未生ちゃんも彩乃さんも放っておけないから。ウィンガーに何も関係無い人を巻き込んじゃ、ダメでしょ」
その口調は、2人に同意を求めるものでも、増して協力を求めるものでもなかった。
ただ、淡々と自分に言い聞かせるように、だが、立ち上がった小柄な体は誰にも口を挟ませない空気を纏っている。
海人の唇が痙攣するようにピクピクしながら開いた。
「オレ…お、オレも行く…」
「大丈夫」
言い終わる前に、凪に遮られ、海人は途方に暮れた顔になる。
「大丈夫だから。愛凪ちゃんが目を覚ました時、そばにいてあげないと。そして、ちゃんと説明してあげて」
「あ…それは…」
「それが、あんたが一番やらなきゃないことでしょ」
穏やかな口調ながら、きっぱりと言い切られると、海人は黙り込んだ。
頭を抱え込んでいた真壁が、顔をあげて立ち上がる。
「車、一台使えるやつがあるから、乗せて行くわ」
なんだか諦めたような、呆れたような言い方だった。
今度は凪の方が戸惑い顔で口籠る。
「…でも、かべっち…こそ、これ以上、関わったらまずいでしょ?」
なんだか疲れたような顔で真壁は笑った。
「おう。だから、送るだけだ。車検、上がってる車届けに行くついでに」
それから、ふと笑顔を消して真顔になった。
「悪いな。オレ、おじさんにはマジでこれ以上、迷惑かけらんねえんだ」
凪は、当然と言う顔で、あっさり頷く。
「乗せてもらえるだけで、助かるから。ありがとう」
それから、海人の方にも確認するように頷いてみせた。
「…無理、しないでくれよ。お前が捕まったら…」
それ以上、言葉が見つからず、海人は俯く。
パン!と、その背中を真壁が叩いた。
「ちゃんと、妹、見てろよ!」




