20話
愛凪が真壁の自宅の方へ下っていくのを見届けると、隼也はイヤホンを耳に入れた。
ハンズフリーの通話キットだ。
須藤にかけると、すぐに応答があった。
「サイトウ、真壁さんの自宅に向かいましたよ」
「了解。打ち合わせ通りに。ぼくも近くに待機しているから」
近くがどこなのか、あえて聞かなかった。
対策室の仕事とは無関係のはずの、部下の兄の捜索。アイロウと警察に任せたはずの事件に、自分も須藤も深く首を突っ込んでいる。
(まあ、高野海人はウィンガーだしな…)
そう言い聞かせ、納得する。
"サイトウ アイ"として新人で入ってきたシーカーが、ウィンガーの妹だとは驚きだった。本名は"高野愛凪"というらしいが、今更本名で呼ぶ気もない。
同僚のワタナベや、アベは、まだこのことを知らない。
今日のうちに海人が見つかり、それで片がつくなら、2人には知らせなくてもいいのではないかと、須藤は考えているらしい。
ウィンガーの家庭というのは、思ったより複雑なようだ。
ウィンガーであること、その家族であることは出来るだけ隠したいものらしい。
須藤はある程度、世間的にもウィンガーであることを公言し、身近な人間にはあっけらかんと話をするが、そこら辺の事情は当事者として理解しているようで、愛凪や、その家族の意向を出来るだけ汲んでやっている。
「可能なら、桜木くんだけの胸に留めておいてくれるかな」
須藤が隼也にそう言った時、愛凪は申し訳なさそうな、だがホッとした表情になっていた。
「さっさと片付くといいんだがな…」
愛凪の姿が視界から消えて、しばらく経つと、隼也は呟きながら車を降りた。
ゆっくりと、愛凪の行った方向へ足を向ける。
店の脇に停めてある大型のハーレーの側を通る時、ふとその足が止まった。
マフラーに手をかざすと、ほんのりと熱が伝わってくる。
(誰か、客でも来てるのか)
普通車が買えるほどの値段のするバイクだ。真壁和久のものではあるまい。
「誰か、来てるようですよ」
通話が繋がったままの須藤に小声で報告する。
「お客?1人?」
「いえ、それは。店の前に、大型バイクがあるんです。1人か、もしかしたら2人とかかもしれませんが」
「ふうん。分かった。そのまま、様子見て」
言われるまでもなく、隼也は自宅の方へ近付いていた。
愛凪が積まれたタイヤの陰から庭の方を窺っているのを見つけて、隼也そっと植え込みの陰に身を隠した。
確かに庭の方から声が聞こえる。だが、隼也の居場所からは、何を言ってるかは分からない。
それでも、一部でも会話を聞き取れないかと耳をすましていると、突然、愛凪が立ち上がって、驚いた。
立ち上がった本人も、自分の行動に驚いている様子が、後ろ姿からも伝わってくる。
(なに、やってんだ!あのバカ!)
心の中で罵りながらも、隼也は冷静に状況を観察した。
「あいつ、飛び出して行きましたよ」
隼也の言葉に、イヤホンから落ち着いた須藤の声が答える。
「ああ、ここからも見えてる」
(見えてる?どっから見てんだよ…)
愛凪の姿が、タイヤの陰から出て庭の方へ見えなくなると、隼也はそっと前進した。
段々と、会話の内容が聞き取れてくる。
「私や、お母さんがどれだけ心配してるか、なんで分かってくれないんです?!」
最初にはっきり飛び込んできたのは、愛凪の金切り声だった。
(兄キがいたのか…?)
さっきまで、愛凪が身を潜めていたタイヤの陰から庭を覗き見る。愛凪の目の前にいるのは、
(立山尚!なんでここに!)
隼也も驚いた。愛凪が飛び出した理由は分かったが、それでもやはり
(軽率すぎるだろ!オレに応援頼みに来いってんだ!!)
隼也の憤りは治まらない。
「立山が…」
「しっ」
須藤に報告しようとしたが、短く遮られた。
「状況は見えてる。結構距離はあるから、会話は聞こえないけどね。様子を見て、保護のタイミングを測る。アイさんのお兄さんもいるなら、この場でウィンガー3人を相手にすることになる。無茶はするな。その大柄な外国人も何者か分からないしね」
確かに、隼也もその大柄な黒人男性は気になっていた。覗き込んだ時、愛凪よりも先に目に飛び込んできた人影だ。おそらく、さっきのハーレーの持ち主だろう。
身長が高いのももちろんだが、ジャケット越しでも分かるがっしりとした肩幅、太い首。
突然登場した愛凪に驚くよりも、興味深そうに見下ろしている。
ふと、どこかでこんな体格の黒人男性を見た気がした。どこだったか…かなりインパクトの強い人物だから、覚えていそうなものだが…
その時、
「もう、やめろ、愛凪!」
家の奥から声がした。真壁ではない。
「…お兄ちゃん…」
愛凪が、呆然と家の方を振り返った。
(…やっぱり、ここにいたのか)
少し、首を伸ばしてみるが、海人の顔は確認できなかった。
愛凪の金切り声が響いている。かなりの興奮状態だ。
(こういう女は見苦しいな…)
隼也としては、早く片をつけたい事態だが、須藤からの指示はないし、ひとまず、様子を見守るしかない。
海人が何か言っているようだが、隼也には、部分的にしか聞こえてこなかった。
「おかしいよ!ちゃんと説明して!私たちのこと騙してたの?裏切ったの?」
まくし立てる愛凪の背後に、黒人男性が近付く。
愛凪に声でもかけて、落ち着かせようとしているのかと思ったが、なんだか様子がおかしい。その横顔に浮かんでいる表情の意味を、隼也は理解できなかった。
哀れむような、蔑むような、それでいて面白がっているような…
愛凪は全く気付いていない。
(…?)
黒人男性が、突き出した右腕を愛凪の背中へ伸ばす。
「おい、マイケルさん、なにを…」
真壁が声をかけるのと、
「おい、何すんだ!!やめろ!!」
海人が叫んだのはほぼ同時だった。家の中から、男性が転がり落ちてくる。
「私ニハ、アナタノ方ガ、裏切リモノ二、見エル」
マイケルの太く丸みのある声と共に、彼の背後に光の粒が広がったのを隼也は見た。
それが何を表すのか、今では反射的に分かっている。
(バカな!コイツもか?!)
隼也は咄嗟に身を縮めた。本能的に、絶対今見つかってはいけないと思う。それでも、何が起こるのか、見ないわけにもいかなかった。
一呼吸もおかない間に、マイケルの背中に純白の翼が現れる。
「ひっ…」
隼也は、飲み込んだ空気が、喉の奥で警笛のような音を出しそうになるのをこらえた。
(あんな翼…見たことないぞ…!!)
その翼は特有の美しいフォルムを描き、マイケルの足元まで伸びていた。
ただでさえ、大きな体に、その身長を超えるほどの翼。まるで、純白の屏風を背負っているような、滑稽な感じさえある。広げれば、この狭い庭の隅から隅まで届くのではないかと思われた。
ザザッ、ザザッと、イヤホンに須藤の呼吸音が聞こえる。明らかに、乱れている。だが、須藤を茶化す余裕などあるはずもない。
(この…外人…いったいなんなんだ…)
これほどの大きさの翼の報告など、聞いたことはない。まず、黒人のウィンガーが入国した、という情報も聞いていない。
気づかぬうちに、隼也の体は震えていた。
初めて須藤に翼を見せられた時も、そこに流れる非現実的な空気に圧倒され、ひどく動揺したことを思い出す。
今、目の前にいるウィンガーは『背中に大きな翼を持つ人間』という、ファンタジーな言葉で表現するには、あまりに圧倒的存在感をかもしていた。『超人的』という形容さえ物足りない。
ー基本的に、能力値の向上は、翼の大きさに比例するー
動揺しつつも、隼也の頭の中に、その知識だけはこだましていた。
あのマッチョな体格は、それなりに鍛えている体つきだ。もちろん、服の上からではハッキリしないが…
相当な運動能力を備えた人間が、翼を発現した場合、そのパワーとスピードの向上は想像もつかない。
須藤のあの小柄な体格でさえ、翼を出した時のパワーと身のこなしには、ゾッとさせられる。この大男が、どれほどの力を発揮するのか、正直考えたくなかった。
愛凪に何が起こっているのか、隼也には見当もつかなかった。
マイケルの大きな右手が背中についた瞬間、彼女の手足は見えない糸に引っ張られるように、不自然に引きつった。背中の手に引き寄せられるように、ガクリと首がのけぞる。半開きの口がわななき、かすかに息を漏らすが、声は出ない。目は忙しなく、ギョロギョロと動いているが、本人も何が起こっているのか理解できていないようだ。
愛凪とマイケルの間の空間に、細かい光の粒が散らばる。
隼也は、息をするのを忘れた。
「やめろ!やめてくれ!!」
誰かが叫ぶのが聞こえる。
光の粒子が美しい形をなしながら、愛凪の背中に集まっていくのに、数秒もかからなかっただろう。
何が起こっているのか、隼也の目はその光景をはっきりと捉えていた。だが、映像として入ってくるその情報を処理するには、隼也の脳は混乱しすぎていた。
耳から入ってくる、須藤の声が何を命じているかも、しばし理解できなかった。
「桜木!引け!!逃げるんだ!!」
怒号に近い声に、やっと我に帰る。
愛凪は、膝から崩れ落ちていた。その背中には、純白の翼が優美な姿を現している。
隼也は咄嗟に両手を握りしめた。
手のひらに爪が食い込む。痛みに、体の麻痺状態が解けていく。
(慌てるな。見つからずに、ここを立ちさるんだ)
自分に言い聞かせながら、息を吐いた。
身をかがめたまま、慎重に、だが素早く後ずさる。
さっきまで身を潜めていた生垣のそばまで戻ると、一気に車までダッシュした。
「サイトウは、どうするんです?!」
ドアを開けて飛び乗りながら、須藤に向かって叫けぶ。
「大丈夫だよ」
もう、すっかり冷静な須藤の声が返ってきた。
「お兄さんがいる。危害を加えられることはないはずだ」
エンジンをかけ、とりあえず走り出す。
「なんなんですか、あの…あの、デカイ羽のヤツは!」
まだ震えそうになる声を、隼也は怒鳴るような喋り方でごまかした。
「分からない。ただ、尋常じゃない。だからすぐ離れろと言ったんだ」
須藤の声に、いつもの軽さがない。
「情報を集めなきゃならないな…桜木くん、どこかで少し待機しててくれないか?」
今日は半日、休みをもらったはずです、とは言えなかった。
「了解しました」
通話を切った隼也は、幹線道路の方へハンドルを切った。




