2人の世界
視界が開けていた方がいいかと思ったのだが、走行中に顔に当たる風の勢いは予想以上だった。半眼にしつつも、まばたきが早くなる。フェイスシールドを下ろせばいいだけだが、時速60キロで進むバイクの上で片手を離す自信はなかった。
右手はシート後ろの荷台を掴み、左手はあろうことか、西崎の腰に回してある。
「駅まで乗せるよ。足ないだろ」
自腹でタクシーに乗るのも躊躇われたし、乗せてもらえるならありがたい、とすぐ頷いたけれど、この状況になることはすぐに気付くべきだった。
バイクの二人乗りとなれば、運転手にしっかり捕まっていなければ振り落とされる。
(……んと、あれだな、翼を出した後で、変なテンションになってたんだな)
言い訳にならない言い訳を考えつつ、信号待ちで止まった瞬間にシールドを下ろす。
チラリと西崎が振り返った。
ウィンガーの聴覚があるからこそ、
「大丈夫か?」
がヘルメット越しにも聞き取れたが、どのくらい声を張り上げて返事をすればいいのかも分からなかった。
(バイクって、うるさい)
本体のエンジン音ももちろんだが、周りの車の音も至近距離から聞こえる。加えて耳元を抜けていく風の音、体に伝わる振動。
通学用に原付きを買おうか考えたこともあったのだが、こうして体感してみると、あまり快適な乗り物だとは感じられなかった。
(それに、夏は暑くて冬は寒くてって……うーん……)
そんなことを考えていたので、だいぶ距離が進んでから絵洲駅を通り過ぎていることに気がついた。
「あ……」
西崎が停まったのは、凪たちの住むマンション近くのファミレスだった。
「ここで大丈夫か?」
おそらく洸が住んでいる場所を教えていたのだろう。
「だ、大丈夫。ありがと……」
怖かったわけではないが、かなり緊張していたらしく、体がこわばっている。ヘルメットをとってボサボサの髪を撫で付けながら、ため息が出た。
「怖かったか?」
ちょっと心配そうな表情を浮かべた西崎に、凪はブルブルと首を振る。
「いや、慣れてないからどこに力入れてたらいいか分からなくて……」
いろいろな意味を含めての「慣れていない」だったが、
「そっか?うまく体重移動してくれてたから、運転、楽だったぞ」
西崎からは予想外の褒め言葉が返ってきた。
(体重移……動……?そうなのか……?)
「今日は頭に来ることが多すぎて疲れた。オレ、ここでメシ食ってくから」
「え、ああ……」
凪自身は1人で外食などほとんどしないから、ちょっと面食らったが、ふと、このまま「じゃあ、ありがとう」だけで帰るのも悪い気がした。
「あ、んじゃ……(ゴハンを奢る、はムリだな。今、貧乏タイムだし。いっぱい食べそうだし)え、えっと、お茶っ、飲み物くらい奢るよ。送ってもらったから……」
なにせ、ここからなら自宅まで目と鼻の先だ。
「え、別に気にしなくていいぞ。洸、待ってんじゃねえの?」
「洸?あいつは、友達とゴハン行ってくるって、さっき連絡が……」
高校の時から音楽の配信で小銭を稼げるようになっている弟は、凪よりもよっぽどリッチで、しょっちゅう外食している。
「ん、じゃあ、一緒に食っていくか?」
「あ……はい、うん?」
頷いてから、
(あれ、なんか、変なシチュエーション……?また、よく考えないで、モノを言ったな、あたし……)
頭を抱え込みたくなった。
自分から奢ると言っておきながら、一緒に食事するつもりがなかったとは言えない。
(アホだ……あたし、アホだ……)
凪の頭の中で自責の呻きが繰り返される。救いなのは、西崎からマイケルたちといた時の不機嫌さが無くなっていたことだろう。
「あそこって、関係者には無料開放するの?」
注文が届くまでの間、凪は気になっていたことを聞いてみた。中心部から離れているとはいえ、あれほどの土地と建物、それなりに費用はかかっているはずだ。
「ああ、金取るつもりはないらしいけど。あそこよりもキャンプ場の方は作るのにかなり金かかってるみたいだから、どうする気だろうな」
「ああ、A区に作ってるグランピング施設……」
帰りがけにマイケルから聞いた話を思い出す。
夕食の時間のこともあり、店内は八割がた埋まっている。1人で利用している同じくらいの年頃の人もチラホラ見えたが、ほとんどがタブレットやノートパソコンを開いていた。
(そっか、こういうところで勉強する人もいるんだ)
かと言って、凪自身はこういったガヤガヤした空気の中で勉強できる気はしない。
「この間、行ってみてきた」
頷きながら、西崎は背もたれに寄りかかった。足を組んで座る姿を正面から見ると、改めて日本人離れしたプロポーションだと思う。なんて考えていることを西崎に悟られるわけにはいかない、と凪は急いで質問を考えた。
「山一つ買ったって言ってたよね?それって、向こうの軍が買ったってこと……?」
「いや、さすがにそれはマズいから、マイケルの会社が買ったことになってる」
「……」
凪の微妙な表情を読み取り、西崎は苦笑いした。
「結局同じことなんだけどな。そこは──伊達守さんとか上の方の人たちが交渉に当たったらしい」
その言葉に、なんとも言えない重苦しい響きを感じ取り、凪は曖昧に頷いた。
近くのテーブルの人たちはそれぞれお喋りに夢中で、こちらの会話に聞き耳を立てている様子はない。だが、これ以上はここで突っ込んで聞くべきではないだろう。
西崎が差し出したスマホには、緑に囲まれた建物が写っていた。スワイプすると、整地中の重機やら、何本も杭が打ち込まれた土地が目に入る。現在建設中のグランピング施設だが、この写真の様子だと、オープンにはまだしばらくかかりそうだった。
「凪サン、是非来テ下サイネー。周リヲ気ニシナイデ飛ベルヨウニ、工夫シテマスカラ!」
テンション高く話していたマイケルを思い出す。凪の関心を引きたい様子はありありとしていた。
(あたしをアンバサダーにでもする気かな……)
屋外を自由に飛び回れる場所なんて、魅力的ではあるが、誘いに乗る気はない。
「しかし、アンジーがあそこまで執着が強いとはな」
木立の間を潜り抜けて飛ぶことを夢想していた凪は、アンジーの名前にハッとした。
「執着……?」
西崎の目が「気が付いてなかったのか?」と聞いている。
「シンシンに?」
「いや、水沢にだよ!」
キョトンと首を傾げた凪に、西崎はなんとも言えない曖昧な笑みを浮かべた。
(あまり見たことない顔だな)
と、凪も思わずアヒル口を作って微妙な表情を返してしまう。
「ふっ……」
小さく西崎が吹き出したのは、その顔が面白かったのか、呆れたのか。
「前、何人かで日本に来た時にいたんだろ?アンジー。その時に水沢の飛ぶの見て、感動したって。さっきだって、目ギラギラさせて見てただろ」
周囲に視線を走らせ、凪にだけ聞こえる程度の声で西崎は続けた。
「シンシンが、水沢なんてたいしたことないって、言ったのが、特に気に食わなかったって言ってたよ。そこから目の敵にして、シンシンを排除しようと暴走したんだな」
「えぇぇ……」
軽やかな音楽を流しながら配膳ロボットが近づいてきたので、凪は一旦口をつぐんだ。
凪が手を伸ばす前に、西崎の長い手が伸び、注文した料理をテーブルに並べる。
「飲み物とってくる。──どうする?」
西崎は空になった凪のグラスを指差した。
「え、あ、」
「いいよ、一緒にとってくる。何がいい?」
腰を浮かしかけた凪の前からグラスが持ち上げられる。
「あ、あ、じゃ、ジンジャーエールで……」
ドリンクバーの方へ向かう西崎の背中を見送りながら、
(落ち着け、あたし。気が利かないのはいつものことだし)
凪は深く息を吐いた。
女子力の高い未生なんかだったら、「飲み物、持ってこようか?」と、先に立ち上がっていただろう。
(しかも、普段飲まないジンジャーエールって……?)
どうもこのところ失言が続いている。自分の発言に首を傾げながら、凪は先程のアンジェリーナの話を思い返した。




