繋がる世界 ④
(おいおい、ウソでしょ?)
唖然とした凪は心の中で突っ込むことしかできなかった。
この目の前の女性は、推測が正しければアーククラスのウィンガーで、軍とも繋がりのあるウィンガーの組織の一員で、どういうわけか千坂昭利に近づいてきて、不動典光にも接触してきた人物である。そして数年前、ウィンガーの交流会なるものに参加した時に、凪は会っていた。
改めて目の前にしても、顔などは
(こんな人、いた……かもな?)
くらいにしか記憶になかったが、凪のことを「クイーン」などと呼ぶ人間は限られている。
即座に反応して外に出ていたのは正解だった。
体操教室が終わった子供たちがゾロゾロ出てくる。見送りに出てきた凪も顔馴染みのスタッフが、怪訝そうにこちらを見た。
「なんでここに?」
駐車場の隅にアンジェリーナを引っ張りながら聞くと、その頬にさっと赤みが刺す。
「あ、わ、私は──あの、ですね、」
口籠る様子は怪しくもあるが、この場から逃げようとする様子はない。むしろ、凪と会えたことを喜んでいるように見えた。
「あの、あなたがここに来ていると聞いていたので、絵洲市に来た時はいつも来ています」
「……は?」
まるで告白みたいな口調に、凪は思い切り顔が引き攣るのを感じた。アンジェリーナは緑の瞳をキラキラさせ、凪を真っ直ぐに見つめている。まるで推しのアイドルに会えたかのような表情だった。
「あの、聞きました。あなたはここでトレーニングしているって。私も見習ってます。あ、私もチアリーディングやってて、アクロバットは得意ですし、空中の感覚とか、姿勢を保つ練習、だいじですね。それにスピード──」
「あ、あのっ、ちょっと待って!」
いささか興奮気味のアンジェリーナが、余計なことを言い出しそうな予感がして、凪は慌てて言葉を遮った。
ついでに真正面から彼女の目を覗き込んでしまったのはちょっとした弾みだし、言葉に力を込めてしまったのは仕方のないことだろう。
(あ、やってしまった……)
気がついた時は遅かった。
(しばらく使ってなかったし、加減を忘れてたわ……)
アンジェリーナの目がとろんと、焦点が合わなくなる。
「はい、待ちます……」
さっきまでの勢いのある口調とは打って変わってほんわかした喋り方だ。
(ごめん!これを狙ったわけではなかったんだけど!)
自分のやらかしに膝の力が抜けそうになりながら、凪はとりあえずスマホを取り出した。
本郷にかけようとして、「重たい彼女」を思い出す。面倒なことは極力避けるべく行動した方がいい。
(西崎は──今どうだろうな……?)
あの後、すぐに戻って来てゼミに出れたのだろうか。何時からのゼミかは聞かなかったが、流石に5時半を回ったこの時間なら終わっているだろうと、凪は通話ボタンをタップした。
指定された場所へ向かうタクシーの中で、アンジェリーナはだんだん自我を取り戻したらしい。
「えっ、あれ、私どこに──」
「あ、大丈夫、大丈夫、あたしが分かってるから」
運転手の怪訝そうな視線をルームミラー越しに感じながら、凪は思わずアンジェリーナの手を握った。
ポッとその頬が染まるのを見て、凪は手を離そうとしたがアンジェリーナはしっかりと握り返してくる。
ますます訝しそうな表情になる運転手だが、幸いなことに何も声をかけてはこなかった。
(いったい、この状況はどう解釈したら……)
凪は仕方なく引き攣った笑みを浮かべた。
到着したのは中心部から少し離れた、マンションの立ち並ぶ一帯。目印に教えられた大きな家電量販店の前で降りると、お願いするよりも前にアンジェリーナが料金を払ってくれたのでホッとした。
電話の向こうの西崎は、すぐにマイケルのオフィスにアンジェリーナを連れてくるよう言ってきたが、ここは地下鉄やバスを使っても辿りつきにくい場所だ。
「タクシー使え。アンジーに払わせればいい。社会人なんだから、そのくらい持ってるだろ」
有無を言わせない攻撃的な口調は、まだ西崎が怒りモードであることを示している。凪は反論せずに従ったが、半ば強制連行のような形でアンジェリーナを西崎の元まで連れて行くのには罪悪感を感じていた。おまけにタクシー代まで全額負担とは。
(かと言って、あたしが頼んでここまで来てもらったわけでもないしな……)
凪がモヤモヤしているうちにアンジェリーナは状況を把握したらしい。
家電量販店の西側にある建物に視線を向け、
「ア……」
と、呟いた。だが、その一言だけで、逃げ出そうとする様子もない。
すでに凪の暗示からはすっかり抜けているはずだが、あまり狼狽えてもいなかった。
「説明……そう、ですね?え、と……でも、誰に呼ばれたんでしょう?」
アンジェリーナは自分に言い聞かせるようにそう言いながら、すっと西側の建物を指差した。
「マイケル、ですか?」
明らかにアンジェリーナもここに来たことがあるのだろう。その建物がマイケルのオフィスとして指定された場所に間違いなさそうだった。
「え〜と、そうみたいです。とにかく、ここで話をしましょうってことで、呼ばれたんです」
あたしは巻き込まれただけなんだけど、と心の中で呟きながら、アンジェリーナと並び歩き出す。
ぱっと見、その建物は何階建てかよく分からなかった。ほとんど窓がないせいだ。
グレーのセメントを打ちっぱなしの外壁は頑丈そうだが飾り気がなく、一方屋根はドーム型でところどころ明かり取りの小さな窓がある。
入り口のドアの横には大きなシャッター扉があり、大型車の出入りも出来そうだが、倉庫という雰囲気ではないし、かと言って、何かの店舗という様子でもなかった。
結構な広さのある駐車場の片隅に資材や産廃用の大きなゴミ箱が置かれているところを見ると、改装中なのかもしれない。
正直、西崎がいると分かっているからいいものの、1人で乗り込む気になる建物ではなかった。
入り口の近くに、見覚えのあるマイケルの大型のRV車が停まっている。その隣の大型バイクが多分西崎の物だろう。
ガラス扉の向こうに、受付らしきカウンターがあったが、人影は見えない。
西崎に電話してみた方がいいだろうか、と凪が思った時、カウンターの向こう側のドアが開いた。
ドアをいっぱいに塞ぎそうな巨体が後ろ向きに現れる。奥の部屋に何か言いながらドアをくぐり出たその巨体は、すぐに玄関扉の向こうの凪たちに気がついた。
ピクッとアンジェリーナが足を止める。
真っ直ぐにこちらへ向かって来たマイケルは、その勢いのままドアを押した。
少々心配になるほどの速さでスイングされたドアの風に埃が舞う。
「ソロソロ来ルト思ッテマシタ」
勢いとは裏腹に、マイケルの口調は穏やかだ。だが、いつものような愛想の良さはなかった。目に笑みがない。
(あ、結構不機嫌そう……)
その原因が自分ではないと分かっていたが、凪は気まずさを感じた。
「久シブリデスネ、凪サン。ドウゾ、今、駐車場、電気ツキマス」
アンジェリーナの方へは視線を向けながらも、マイケルは何も声をかけない。
促されるままに中へ入った凪は、素早く周りを見回した。
日が傾きかけ、東向きのエントランスは薄暗かったが、特に見るほどのものはなかった。
微かに有機溶剤の匂いがする。カウンターは新品らしく、まだビニールが貼られていたが白い粉が微かに積もっていた。それは床も同様で、全体的に埃っぽい。
マイケルがカウンター横の壁に並んだスイッチを幾つか押すと、辺りが明るくなった。
「電気ノ節約ネ。誰もイナイ時、電気ツケマセンネ」
マイケルも日本に来て結構長くなっているが、未だに日本語は辿々しい。もっとも凪はそれが親しみを持ってもらうための「マイケルの作戦」ではないかと最近疑っていた。
元々海兵隊でもエリートだったらしいし、今は英会話教師と言いながら、それ以外の仕事がメインになっているようだ。軍と繋がっているということは、そちらに関係する任務についている可能性もある。
カウンター向こうのドアが開いて、西崎が顔を出した。
「おぅ、来たな。入れよ」
顔は見知っていたのか、アンジェリーナが小さく息を飲む。西崎は無表情を装いながら、かなり苛立っているのが凪にも分かった。
(もう帰りたいな……)
ピリピリとした空気に、凪は思わず後ろのドアに視線を送った。




