交錯する世界 ①
「アキトシさん。こんにちわ」
駅前の雑踏の中で不意に声をかけられ、千坂は固まった。
「あ……あぁ、こんにちわ」
そう言えば、住んでいるのはこちらだと言っていたが、まさかこんなにすぐ会うとは。
にこやかなアンジーの顔からぎこちなく目を逸らし、千坂は小さく頭を下げた。隣で友人がソワソワしているのが分かる。モテない者同士、いつもつるんでいる仲間だ。
「学校帰りですか?」
「え、はい」
「時間あったら、お店来てくださいね」
ひらひらと手を振ってアンジーは去っていく。
「誰?誰だよ?」
案の定、友人はすぐに突っ込んできた。
「姉貴の仕事関係の知り合いだよ。春休みに実家に遊びに来てた」
「外国人の女の子なんて、抜け駆けだな」
いやいや、どこが抜け駆けなんだと千坂は顔をしかめたが、友人は勝手に捲し立てる。
「姉さんの知り合い、ボクにも誰か紹介してよ。なんなら姉さんでもいい。独身なんだろ」
ふくよかな体型といい、平凡な顔立ちといい、実に親近感の持てる友人なのだが、どうも人の話を聞かないきらいがある。
「あのさ、前にも話したと思うけど、性格のきついバツイチなんて最悪だぞ──」
友人は一瞬考えたものの、
「いや!経験豊かな女性ならではの魅力もあるはずだ。ボクは気にしない!」
得意げに胸を張った。
「気にしてくれ。というか、この前は年下のしっかり者妹キャラがいいとか言ってただろ」
言いながら恥ずかしくなって耳が熱るのを感じた。いい歳をして、幼稚な会話をしている自覚はある。友人の方は、そんなことを言った記憶などないとしらばっくれていた。
「しかし千坂氏、最近どうしたんだい?急にバイト始めたり、ギターに目覚めたり」
探るように顔を覗き込んでくる友人に、千坂は急いで言い訳を引っ張り出した。
「あ……まあ、ほら、やっぱり誰にも文句言われずに使える金も欲しいだろ。ギターは成り行きというか、知り合いのススメというか……」
「怪しい」
友人はやおらがっしりと肩を組んできた。その指先の力に、本気度を感じる。
「千坂氏、絶対陽キャ転向してモテを目指してるだろ」
「なっ……?!おれ、元から陽キャだけど!」
「そんなはずはあるまい!」
お互いの視線が「冗談を言うな」と言っている。
まさか塾講師のバイトをすることになった経緯を説明するわけにもいかず、洸や翔太との関わりを教えたところで、話が面倒になりそうだと判断した千坂は、
「じゃ、バイトの時間だから」
と、話を切り上げた。
今までフラフラと、怠惰な学生生活を送ってきた千坂を見ている友人には、この変化がどうにも唐突に見えるのだろう。
洸や翔太の作った曲を話のタネにと聞かせてもらっているうちに、楽器をやってみたくなったのは千坂自身も意外だった。
当然、ギターなど思ったように弾けるはずがない、と思ったが、これが翼を出すとそこそこ弾きこなせてしまうのが驚きだ。
ウィンガーの身体能力向上はこんなところにも発揮されるらしい。
ただ、翼を出している間のことなので、今のところ誰にも披露する機会はない。
(さて、と……)
スマホを開いた千坂は塾のシフトを確認した。大手進学塾の系列とはいえ、教室自体は小さい。ワンフロアで全ての生徒が講習を受けているから、翔太が来ている時はすぐに姿を確認できる。これはラッキーだった。
今のところ、翔太の担当には当たっていないから、直接話したことはないが……悪い意味で目立つ子供だ。
騒いだり暴れたりするわけではないが、とにかく集中力がない。授業中にも平気で寝始めたりするし、繰り返し注意されるとむくれて口をきかなくなる。担当になった講師は皆苦労していた。
警戒心を抱かせないよう、洸や西崎と知り合いであることはしばらく明かさない計画だ。自然に距離を縮めて──だがその方法が思いつかず、千坂は頭を抱えた。
「あの子よ」
「うん、顔は覚えた。でも、別に覚える必要もないわね。この街って他にウィンガーいないんだもの」
アンジーのことなどすっかり忘れていた千坂は気付いてなかったが、電車に乗り込むまで、向かいのホームからずっとその行動は観察されていた。
アンジーの隣には長いストレートの黒髪の女性。まだ10代だろう。アジア系の顔立ちを強調するようなアイメイクをしているが、2人の会話は英語だった。聞く人が聞けば分かる、かなり訛りの強い発音は2人が同じ地方の出身であることを意味している。
「じゃあ、引き続き監視は大丈夫ね」
「問題ないわ。というか、これ以上監視を続ける必要ある?聞く限り、アイツの情報そのまんまじゃない」
生意気な口調で口を尖らせる黒髪の少女に、アンジーも少し躊躇を見せた。
「そうね。だけど、そう、だからよ。あまりにも……捻りがないもの」
自分でも少々こじつけていると思った。相手は「捻りがない」の意味がよく分からなかったのか首を傾げたが、それ以上は何も言ってこない。
「あまりにも簡単で、仕組まれている気がするわ。あの子の姉はこちらの話に飛びついてくるし、ちょっときっかけを与えただけで、実家にまで連れて行ったのよ?お陰で家族構成やそのキャラクターまで観察できてしまったわ」
「それも全部、彼の言った通りだったんでしょ?いいじゃない。今のところ、嘘はついてないってことで」
アンジーは深呼吸をした。黒髪の少女が「分かっているわよ」と言いたげにまなじりを下げる。
「ねえ、あとは上の人に任せましょうよ。アイツが怪しげで気持ち悪いのはみんな分かってるもの」
慰めるようなその言葉に納得できない理由はアンジーが一番分かっていた。
(生理的に受け付けないのよ。顔も、声も、あの喋り方も)
だからなんとか理由をつけてコミュニティから排除したい。それがひどく横暴な考え方なのも承知の上だ。
「もう少し。もう少しだけ観察して。私が戻ってくるまででいいから」
塾講師の休憩時間。まだ親しく話ができるバイト仲間もおらず、千坂はスマホを見て時間をつぶしていた。
小学生に囲まれて、ワイワイと喋っている講師もいるが、千坂としては感心してしまう。
(休憩時間まで「先生」はやってられんぜ)
身近に小さな子供のいない千坂としては、小学生と世間話など、話題すら思いつかない。担当につけられた子供たちが、おとなしい男の子ばかりだったので、授業の合間の雑談などもしたことがなかった。
とりあえず、次のコマには翔太が来るはずだから、そちらの様子は窺いつつ、「先生」の役目もこなさなければ……
スクロールしていた指が止まる。見ているのはギター関連のショッピングサイトだ。
(エフェクターね……欲しいけどさ、買えるけどさ……買ったところで使うかっていう……人前で演奏することなんてあるか?いや、趣味の範疇だとして持ってて悪いことはないか……?)
「うわ、先生ギターやんの?」
肩越しにかけられた声に、千坂はビクリと振り返った。
神代翔太の顔が目の前にある。中学生かと思われるような身長の割に体つきは細い。大人びた顔つきに対してその声は高く、幼い響きを帯びていた。
「うわ、ってなんだよ。こう見えても初心者なんだよ」
突然の直接接触に千坂はドギマギしたが、
「初心者!」
翔太はケラケラ笑った。ちょっとツボるところだったらしい。初めて話す相手に随分となれなれしい、というか人のスマホを勝手に覗くなんて行儀が悪い、とは思ったが、とりあえず堪えた。
「な、なんだよ、君はギターが弾けるのか?」
事前に知っているだけに芝居くさい言い返し方になってしまったが、翔太は得意げにニンマリと笑みを見せた。
「師匠に教わってるんだ。作曲もしてる」
「へ、へぇ」
授業開始の音楽が鳴り、翔太は離れて行った。
(よ、よし。ファーストコンタクト成功だな)
予期せぬ接触ではあったが、千坂は小さく笑みを浮かべ席を立った。




