17話
「桜木くん、乗せて行ってあげなよ」
須藤の言葉に、隼也は即座に顔を曇らせた。
「君も日曜日、だいぶ時間外勤務してくれたからね。アイさんと一緒に早退していいよ」
須藤は相変わらずの飄々とした口調だ。呑気なことを言っている場合か、とツッコミを入れたくなりつつも、隼也だって、休みをもらえるのはありがたかった。
立山尚が隠れウィンガーだと発覚してから2日経った火曜日になっても、逃走中の立山についての情報は、全く得られていない。
女子なら誰もがうっとりしそうな端正な須藤の顔に、少し気怠げな表情が見えるのは焦りや苛立ちが隠れているせいだろうか。それとも自分がそう思いたいだけなのだろうか?
正直、日曜日の夜はほとんど潰れ、昨日の午後も菊森彩乃の監視に駆り出された。だいぶ疲れもでてきている。たとえ半日でも、休みは重要だ。
未生は、昨日、隼也が監視を交代する少し前に彩乃のアパートを出たらしい。
メールをすると、すぐに返信が来た。
『全然、ナオさんから連絡ないの。でも、これ以上仕事休めないから、明日から仕事に行くって。彩ちゃんの仕事場まで付いていったりしないよね?』
『プライベートは守るよ。安心して』
『彩ちゃん、本当にショック受けてるの。しばらく、そっとしておいてよね。仕事なのはわかるけど』
泣き顔マークのついたメールを見ながら、隼也はため息をついた。そんなこと言われても、従うはずもない。こっちは、ウィンガー捕獲のための情報を得なきゃならないんだ。
『大丈夫。上司にも配慮してくれるように、言っておくよ』
"頼りがいのある彼氏"としては、妥当な返信を返し、とりあえず、午前中に頼まれた仕事を片付けようと、2階の対策室フロアに降りることにした。
今回の一件から、少々、未生のことは重たくなってきている。やはり、素性を隠す仕事をしながら彼女を持つなんて、面倒なことの方が多い。
顔はかわいいし、性格もちょっと自己中なところもあるが許せる範囲だ。一緒に歩いている時に、明らかに羨望の視線を集める快感はなかなか得難いものがあるし、男としての自尊心は大いに満たされる。だが、そこに愛情があるかと言われれば、正直、そんなものはない。
自分の趣味に使う時間も、大きく削られている。この先、また面倒なことが起こってからより、このタイミングで見切りをつけた方がいいかもしれない…
モニタールームに新しい機材が入るから、使っていない機材を片付けて欲しい、というのが隼也に与えられたミッションだった。
ここへ引っ越してきてまだ半年だというのに、使っていない機材とはなんだろうと思ったが、
「粗大ゴミに出せよ…」
隼也は舌打ちしながら、モニタールームの奥から古いプリンターやらそれ用のインクカートリッジ、だいぶ年季の入ったモニターなどを隣の資材室へ運び込んだ。
以前から使っていたものを、引っ越しの際、処分せずにそのまま持ってきたらしい。
資材室に移したところで、これらを再び使う日が来るとは思えない。これを機に処分する方が手っ取り早く片付くはずだが、その提案を誰に言えばいいか分からず、命じられたままに仕事をこなした。
その後、
(誰がやったんだよ、この配線…)
不要機材を運び出すと、モニタールームで使用しているパソコンや、周辺機器の配線が目に入った。
小動物がじゃれたのかと思うほど、配線はこんがらがっている。
公的機関なのだから、引っ越しの際のセッティングなどはそれなりの業者を使ったと思うのだが、このカオス状態はひどい。
機器類のメンテナンスにはこだわりのある隼也としては、見過ごせなかった。
しばらく、部屋の奥で無言の格闘を続けていると、押し殺した話し声が聞こえてきて、思わず手を止めた。
部屋の中に人がいることをアピールするつもりで、ドアを半開きにしていたのだが、気付いていないらしい。
声の調子が、明らかに他に聞かれたくない内容を物語っている。思い切って出ていくか、大きな音でもたてようかと思ったが、
「菊森彩乃、両親は離婚して母親と暮らしてたみたいだけど、母親は再婚して新しいご主人との間にも子供がいるの。そのせいか、高校生から一人暮らししてる。今は実家にはほとんど帰ってないみたい。父親とも、何年も会ってないみたいね。職場でも、それほど親しく付き合ってる人間はいないようよ」
そう話す声は、あかりだ。思わず隼也は動きを止め、息を殺した。
(…なんで、菊森彩乃の身辺調査を…?)
やはり、彩乃が立山の居場所を知ってて、隠してると疑っているのだろうか。
「騒ぐ人間はあまりいない、か」
応じる声が須藤であることには、あまり驚かなかった。
「通話記録は?」
「立山からの連絡はなし。通話はいずれも職場関係者みたいね」
ふん、と須藤が鼻を鳴らすのが聞こえる。
「もう少し、時間がいるな。引き続き、頼むよ」
声が聞こえなくなり、部屋の外に気配が無くなったのを確認してから、隼也はノロノロと体を動かした。
何か、今の会話はおかしい。
立山尚の保護は、目下対策室の最優先任務のはずだ。情報共有のためにも、コソコソ2人だけでやり取りする状況ではない。
立山自身ではなく、恋人の彩乃を調べているのも理由がわからない。
モニタールームを出ると、移動させる途中なのか、隼也の背丈以上あるロッカーが目の前にあった。
元々、情報処理部の奥にあるモニタールームだが、この障害物のおかげで、内緒話にはもってこいだったわけだ。
ロッカーの影から顔を出して見渡したが、須藤もあかりも既に姿はなかった。
「なに、やってんの」
庭で仁王立ちになり、太陽を仰ぐようにしている後ろ姿へ、真壁は呆れたように声をかけた。
振り向いた立山の髪は、強い風にもみくちゃになっている。
「いや、普段夜の仕事してると、こんな時間に起きてること少ないもんだから。たまには日光浴でもしとこうと」
吹き散らかされる髪を撫でつけながら、立山は照れたように笑った。
「太陽、当たってねぇじゃん。風、すげぇし」
確かに、真壁の言う通り、庭に日は当たっていない。庭といっても、3畳ほどのスペースで、隣近所の家や、植え込みのせいで、日が当たるのは午後のひと時だけだ。
花が植えられているわけでもなく、畑があるわけでもない。目に入るものは雑草しかない。
冷え込む日も増えてきたこの頃では、その雑草もほとんど枯れ草となり、古い家の外観とも相まって、物寂しい空気感を増すばかりだ。
「明るい時に見ると、結構すごい場所に建ってんのな」
立山は庭先のフェンスの向こうを覗き込みながら言った。ほとんど錆び付いた金網の向こう側は、かなりの高さのある崖だ。
フェンスに触れようとして、その古さに危うさを感じたのか、立山は手を引っ込めた。
落ち窪んだ崖の下はまたすぐに隆起し、鬱蒼とした山になっている。自然に囲まれた、と言えば聞こえがいいが、要するに遠くまで見渡せるわけでもなく、景観に恵まれてるとも言いがたい。
「ちょうど、その谷から吹き上げる風と西風とがここらでぶつかるみたいで、こういう日は乱気流みたいになるんだ。ガキの時、そこら辺に物置があってさ」
真壁は庭の片隅を指差した。
「そこの影で遊んでたら、オレの姿が見えないって大騒ぎになったんだ。風で飛ばされて下に落ちたんじゃないかって」
「そんな強い風吹くのか」
立山は一歩、フェンスから後ずさる。
「そんなに吹かねえよ!子供ったって、小学生のときの話だぞ。だけど、おじさんウインチ持ってきて、そこの下まで降りてみるとか騒ぎ出してな。みんな騒いでるからなんだろって出て行ったら、怒られてさ〜」
「怒られたんだ…」
「理不尽だろ。今でも納得できない思い出だわ」
そう言いつつ、真壁は笑っている。
「あんた、おじさんに可愛がられてるよな」
「あん?まあ…そうだな。うちの親戚、女ばっかで、男がオレしかいなかったからじゃね?可愛がられるというか、イジられてる」
立山はもう一度、フェンスの方へ顔を向けた。
「いいな。オレ、親戚っていないから羨ましいわ」
一際強い風が通り過ぎ、立山は首をすくめた。小走りに家の方へ戻ってくる。
「大阪に親はいるんだろ?」
「母親とその再婚相手、な。オレ、ずっとばあちゃんと暮らしてたから、母親には年に一回くらいしか会ってなかったんだ。大阪行ってからも結局あっちの男がいるから、一緒には住めないって言われたし。ばあちゃん以外に身内はいないと思ってる」
家に入り、ガラス戸を閉めると、風の音がかき消され、しんとした。
「ばあちゃんも大阪いるんじゃないの?」
「3年前に死んだ。それで、住むとこ、なくなって、沖縄から大阪に引っ越したんだ」
「へえ、沖縄にいたのか」
ニッと立山が笑う。少しあどけなさの残る笑顔は、ホスト時代には年上の女性には大いに受けたものだ。
「ああ。だから寒いの苦手でさ」
ガラス戸の向こうの小さな庭にめをやりながら、立山は呟いた。
「帰りたいな。沖縄…」
「あの、須藤さん」
ちょうど、須藤と二人きりになったオフィスで、隼也は切り出した。
「オレ、さっきモニタールームの片付け手伝ってて、入り口で話してるの聞こえたんですけど」
単刀直入に言った方が、はぐらかされずに済むと、隼也は判断したのだが、果たして須藤はふっと笑顔を消した。
「事件を起こしたわけでもないのに、電話の探知とかいいんですか?しかも、恋人の方もなんて」
なんと切り返してくるか見ものだと思ったのだが、
「迅速に見つけたくてね。それが彼女のためにもなるでしょ」
須藤はあっさりと切り返してきた。だが、やはりおかしい。特に事件になるような問題をおこしていなかったためか、昨日なども、須藤は気をせいて立山を探す必要を感じていない様子だった。
親しい友人や知人もいない立山は、いずれ彼女に連絡を取るだろうし、それを待っていればいい。そう言ったのだ。
隼也の疑念を証明するように、
「他に、誰か一緒に片付けしてたの?」
須藤が確認してくる。何気ない風を装っているが、他に会話を聞いた人間がいないかの確認だ。
「…いえ、オレ一人でしたし、誰にも言ってません」
須藤の頬がふっと緩んだ。
「やっぱり、優秀だな、君は」




