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flappers   作者: さわきゆい
世界は混沌に満ちている
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世界は出会いに彩られている ①

 千坂昭利はリビングのソファにひっくり返り、スマホを眺めていた。

 昨日、ジーズ・バーから蝦名の家でタクシーを降りるまでの記憶は途切れ途切れだが、もう酒は残っていない。ウィンガーはアルコールの分解速度も速いらしく、深酒で記憶を飛ばすことは何度かあっても、二日酔いの経験はなかった。

 地元の友達と飲みに出ると必ず遅くなる息子に、母はいい顔はしなかったが、おかげで「飲み過ぎだ」という文句は言われたことはない。


 マンションの最上階にある千坂の実家は、階下の部屋2軒分の広さがあった。さらに、2軒分の広さのベランダもある。いわゆるペントハウスというやつだが、両親がこのマンションのオーナーなので、家賃はかかっていない。おまけに階下の部屋は千坂の姉名義なので、少々乱暴に歩いたり飛んだりしても苦情はないという好条件だ。


 ただ、両親の趣味で整えられたインテリアは、改めて見るとどうかと思う。子供の頃は気にならなかったものの、久しぶりに帰ってみると、このリビングも落ち着いてリラックスできる雰囲気とは言い難かった。

 大理石風の床に赤を基調とした重厚なトルコ絨毯。ドイツ製の黒革のソファにイタリア製の大理石のテーブル。部屋の隅の大きな伊万里焼の花瓶には千坂の身長ほどの高さまで花が生けられている。

 家具だけで二千万を超えたとかなんとか、両親は得意げに話していたが、こういうのが成金趣味というのだろう、と今は思う。まあ、自分の部屋に関しては口出しされずに済んでいるから、敢えて不満をいう気はない。

 だが、Tシャツにパンツ一枚という出立ちで、ソファに横たわる息子を見たら、母の小言が始まるだろう。

 誰が見てもこのリビングルームの華やかさに似合う格好ではないし、この季節に合っているとも言えない。いくら日差しがたっぷり降り注いでいるとはいえ、桜の開花予想もまだ1週間も先だ。


「ふぅ」

 ボリボリと腹を掻くと肉が揺れる。その手をテーブルに伸ばしてマグカップを掴み──コーヒーがすでになくなっていることを思い出した。

「んよっ、と」

 仕方なく勢いをつけて立ち上がる。そのままの流れで思い切り伸びをすると、その背中に光の粒子が集まった。

 腕を伸ばすとともに、背中の翼を大きく広げる。アーククラスのような、床につくほどの大きさはない。いっぱいに広げてちょうど腕の長さほどか。

 当然、アーククラスの同級生たちのように飛ぶことはできない。千坂はそれを妬ましいとも悔しいとも思ったことはなかった。別に空を飛びたいとは思わないし、このサイズの翼でさえ持て余している。

 翼を出していない時でも、五感は常人より底上げされている。千坂にとって、入ってくる情報量の多さは時に煩わしく、高校生の時には不登校気味になったこともあった。


 聞こえなくていい悪口や嘲笑。嗅覚は不快な匂いほど嗅ぎ当ててしまう。やたら細部まで見える視力は時に頭痛をもたらした。

 他のウィンガーの同級生たちは、割と早い段階から聞かないように、嗅がないように、見ないように、意識してコントロールできるようになっていたが、千坂にはどうも難しかった。

(元々、何するにも器用な人間じゃないんだよ……)

 そんな風に自分のことは理解してはいたが、誰にも話せず、理解されない状態は、ストレスだったことに間違いない。

 ストレス解消に食に走ったせいで今の体型が作られたことも明白だったが、五感のコントロールがだいぶマシになってきた今でも、食べる量を減らす気にはならなかった。


 翼を出すと、頭が冴える。

 もう一度伸びをし、コキコキと背中を鳴らしながら、千坂は今日の予定を考えた。

(ベランダに出て翼出すと気持ちいいんだけどな……真っ昼間だしな……)


 中学校に入る頃まで、12階建てのこのマンションが付近で一番高い建物だった。絵洲市の中心部に近い地域にも関わらず、この辺りは古くからの住人も多く、高層マンションの建設に当時は反対意見も多かったと聞く。

 幾分高台にあることもあり、当時は千坂宅から見上げる建物などなかったから、家族の留守を狙ってベランダで翼を広げて寝転がるのはとても気分がよかった。開放感と、ちょっとした背徳感。

 だが、今は20階建て以上のマンションが周囲に3つも出来ている。最上階とはいえ、どこかしらからか見られる可能性がある以上、迂闊な真似はできない。


 それに、と千坂はベランダの光景に目をやった。以前はテーブルと椅子などが置かれ、天気の良い日には外で一服できるスペースを設けていたのだが、今は多くのプランターや鉢植えでのんびり座れるスペースもない。一角には小さな温室も作られている。

 元々ガーデニングは母の『趣味』ではあったのだが、ここ数年、かなり熱が入っているようだ。庭園、とまではいかなくてもマンション住まいには贅沢な「お庭」が出来上がっている。

 訪れる人に(興味のあるなしに関わらず)見頃になった花を見せたり、珍しい蘭を手に入れたと自慢するのが今の母のトレンドだった。


(そう言えば、朝起こしに来たお母さんが何か言ってなかったっけ……)

 平日でも休日でもしょっちゅう出歩いて、

「予定が立て込んで忙しいわ」

 というのが母の口癖だ。父の仕事の手伝いや自治会の仕事などもあるのは確かだが、大半は趣味や友達との食事会。つまり、忙しいのは母の都合なのだから、いちいち言わなくていいのに、と思う。今日もおそらく友人とでも出かけたのだろう。


 また伸びをしながらあくびをしかけた時──千坂の耳はエレベーターの扉が開く音を捉えた。翼を消すと自分の部屋へ急ぎ戻る。間違いなく母親の足音だった。しかも、姉まで一緒だ。それにもう1人、おそらく女性と思われる足音。


「ちょっと!昭利!いるんでしょ?」

 リビングの扉が開くと同時に、遠慮のない姉の声が飛んでくる。それに重なって、母が「もう」とか「まったく」などと言っている声が重なった。

 ソファのクッションを直し、置きっぱなしのカップや皿を片付ける気配がする。

 とりあえず服を着て手櫛で髪を整えると、ため息をつきながら、千坂は部屋を出た。


 一緒に入ってきたのは、姉の友人か仕事仲間だろうと思っていた千坂は、赤毛のその女性に戸惑いを隠せなかった。

 身長は姉と同じくらいだが、顔の大きさは全然違う。小さく引き締まった口元と高い鼻梁。そして好奇心に満ちた眼差しを送ってくる緑色の瞳。

「え……」

 母にも姉にも外国人の知り合いはいないはずだが……と、動きを止めた千坂の耳に母の声が入ってきた。

「アキちゃん、さっき話したでしょ?佳乃のお客様よ」

 母の言うさっきの話を思い出そうとするが、無理だった。半分、どころかほぼほぼ寝た状態で呼びかけに答えたにすぎない。


「お客様」の女性は年頃も姉と近そうだった。

「弟の昭利よ」

 と、姉が紹介すると、顔全体でニカっと笑みを作り、その気さくな笑顔に千坂も思わず頬を緩める。

 美人、というわけではないが、そんな愛嬌のある笑顔の女性は「アンジー」と紹介された。


「お客様って……」

 正直、千坂は姉の仕事をよく把握していない。大学卒業後、父親の伝手で建設会社に就職したものの結婚を機に退職。一年も経たずに離婚すると伯父の不動産会社で雇ってもらったのに数ヶ月で辞めて……

(そう言えば、起業するとかしないとか言ってたか?ホームページがどうとか、この間も言ってたけど)

 とりあえず、姉の神経を逆撫でしないよう、適当に話を合わせてみる。

 アンジーは流暢に日本語を話せたから、会話には困らなかった。


「へえ、海外進出ね。姉さん、いつの間にか事業拡大してたんだ」

 持ち上げたつもりだったが、姉は不機嫌そうにため息をついた。

「あんた、私の仕事になんか興味ないんでしょ。SNSのフォロワーだって増えてるんだけど、見たことある?お店始めてからずっと右肩上がりに業績伸ばしてんのよ」

 自分の才能だと言わんばかりの姉に、千坂は懐疑的だった。断片的に話を聞く限り、何人かの友人と共同でやってる仕事らしいし、その友人たちの力ではないかと思う。

 感情的で面倒ごとはすぐに人に押し付ける姉が経営者に向いているとは考えられなかった。


「ぜひホームページ見てください」

 アンジーが話に割って入ってくる。

「素敵なアクセサリー、いっぱいですよ。ヨシノさんはすごくセンスがいいんです。海外でもきっと人気でます。アキトシさんも、」

 にっこり微笑んで名前を呼ばれると、ドキリとした。

「彼女さんのプレゼント、必要な時はお姉さまにお願いするといいですよ」

「そんな時、来るのかしら」

 間髪入れず、無表情で言い放った姉はアンジーには愛想のいい笑みを向けた。

「海外向けなら、和を感じさせるテイストがあった方がいいわよね。ちょっと地味になっちゃうかしら。きっと華やかな色とかデザインの方が好まれそうよねえ?サンプルを送って反応見たりとか、できないかしら?」

「もちろん。私たちには世界中に代理人がいますから」


 なんとなく気づまりで自分の部屋へ退散しようかと考えた千坂だが、絶妙なタイミングでアンジーは千坂に話題を振ってくる。

「私、実はL大学の近くでお店やってるんですよ。昭利さんの通われている大学でしょう?」

「え?!あ、はい……あ、絵洲市に住んでるんじゃないんですね」


 まさか相手がそんな遠方から来ていると思わなかった千坂は驚きを隠せなかった。母がとても渋い表情をしたところを見ると、どうもその情報も朝に伝えられていたらしい。

「向こうに戻ったら、是非遊びに来て下さいね」

 如才なく言うアンジーの顔を、千坂はまじまじと眺めていた。



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