恋せぬ世界
酔い潰れた千坂と蝦名を送り出した後のジーズ・バーでは、凪が暦美と美実に両脇を固められ、じっくりと問い詰められていた。
美実は酒が入ると髪の毛をいじるクセがあるらしく、ピンクのボブヘアが若干ボサついている。暦美は話しながらもグラスを持つ手を離さない。お陰で段々話がくどくなってきている……とは本人には言えなかった。
西崎と洸はカウンターで話し込み……どうやら翔太についての相談だったが……助け出してもらえる気配はない。凪は諦めてグラスに手を伸ばしたが、その手を暦美にガッチリと押さえ込まれた。
「ねえ、本当に?本当に誰も好きになったことないの?」
「そうだよ。大学だって薬学部でしょ?医者との出会いとかないの?てか、同じ学部に好みのタイプ、いないの?」
最初は暦美がグイグイくるのを美実が抑えてくれるのを期待していたのだが、一緒になって凪の「誰とも付き合わない」発言に突っ込んでくる。
「いや、その……好みのタイプはあるけど、恋愛?……そういう意味の好きとは……」
「なになに、ナッピってどういうタイプが好きなの?そう言えば聞いたことなかったー」
早くこの話題から逃れたいと思いつつ、凪は正直に好きな俳優の名前を数人挙げた。
「……全部外国人じゃん」
美実はなぜか憮然とした面持ちだ。
「確かにみんなかっこいいけどさ、そのレベルのかっこよさで外国人て、身近にはなかなかいないよねぇ」
「え、じゃあ留学とかすればいいんじゃない?出会いの幅が広がるよ」
あっさりと暦美は提案してくるが、
「いや、だから、そういう出会いを望んでるとかじゃなくて、見るだけでいいの。なんというか、観賞用……?」
だんだん面倒になりつつも、なんとか当たり障りなく凪は応じようとした。が、
「観賞用?!」「観賞って!!」
またツッコミが入る。
「だって、そんな綺麗どころが目の前にいたとして、気の利いた会話なんかできないもん、あたし。見るだけで充分」
それでもまだ暦美と美実は納得できない顔を見合わせていた。
ちょうどよく千坂たちを送ってきた本郷が帰ってこなければ、まだまだ暦美たちの追求は続いていたに違いない。
「女子は好きだねえ、恋愛ネタ」
やっと暦美たちから解放されて帰る道すがら、洸は楽しげに姉に絡んできた。
「姉ちゃんもせっかく親元離れて大学生活楽しんでんだから、彼氏の1人くらい作ってみなさいよ」
「アンタ、彼女いたことあったっけ?」
インドア派というか、どちらかというとオタク気質の洸が異性との交際に縁遠いことを凪は知っている。
「オレはこれから楽しむんだもん。大学デビューするんだもん」
「ふっ……」
と、隣で西崎が吹き出し、凪の視線に何を思ったのか慌てて真顔に戻った。
「まあ、人それぞれ、生き方は自由でいいと思うぜ」
多分西崎は本心から言ってくれてると思い、凪は頷いた。
「そうだよねえ」
意味深に凪の表情を窺っていた洸が声をひそめて聞いてくる。
「姉ちゃんのその恋愛感にはさ、ウィンガーだからってのが影響してんの?」
「は?いや、まあ……それは確かに。だって、一番面倒な要素じゃん」
「そしたら、同族同士なら?そこに隠し立てすることがなければ、普通に付き合えるってこと?」
こいつも大概しつこいな、と思いつつ凪は考えてみた。
少なくとも一番の懸念となる秘密を隠さないでおける。というか、秘密を共有するということか。
(でも、やっぱりそうだとしても面倒くさいな〜恋愛って)
そう言おうと思ったのに、
「ヘンリーとか?」
まさか西崎がその名前を出してきて、
「ふぇっ、」
息を飲んだ凪の喉は奇妙な音を出した。耳が熱を持つのを感じる。洸が突っ込んでこないことを凪は祈った。
「いや、そうじゃなくて!そういう対象としては見てないから!」
さっきもそう言っていたのに、と思う。
「ヘンリーって、ああ、アメリカのウィンガーの人?なんか軍とかとも繋がっているっていう……」
そこまで言ってから、洸は周りをキョロキョロ見回した。幸い周囲に人はいなかったが、凪は思い切りしかめ面で注意を促した。西崎はそんな姉弟に苦笑いを漏らす。どこでも姉と弟の関係は似たようなものだ。
「水沢の好みかどうかは知らんけど、かなり整った顔してるだろ?舞台俳優みたいなこともやってたことあるっていうしな。プラスしてオレたちと同族なわけだし」
「だから……そうじゃなくて……本当にそういう興味はなくて……」
「そうなのか」
なんだかホッとしたように頷くところを見ると、西崎は納得してくれたらしい。
「姉ちゃん、やっぱり僧侶じゃん」
洸はボソリと呟いた。
並んで歩く暦美と美実。その後ろを一歩遅れて本郷は歩いていた。
腕を組み、顔を突き合わせながら歩く女子2人は見た目には仲良しそのものだが、会話の内容は少々不穏だ。
「何回も言いたくないけどさ、付き合うなら、向こうがちゃんと別れてからにしなよ」
「またそれ?離婚の話は進んでるんだって。それに、友達には誰にも迷惑かけてないからね」
「迷惑じゃなくても心配はかけてるでしょ」
芳しくないやり取りに、本郷は口を挟む気はない。それよりも気になることがある。
周囲の気配に気を配りつつ、2人の進行方向を誘導した。話に夢中の暦美たちは遠回りの道に向かっても何も言わない。
背後の気配がなくなったのを確認し、本郷は客待ちをしているタクシーの方へ足を向けた。
真壁たちが翼を出した場面に居合わせた野次馬のようだ。ウィンガーの知り合いに興味を持ってついてきたのだろうか。物好きな酔っ払いもいるものだ。
「生きづらい世の中だなぁ」
年寄りじみた呟きも、前を歩く2人には届いていなかった。
「本郷もさ、付き合う子はもっと大事にしないとダメだよ」
タクシーから暦美を下ろした後、美実はおもむろにそんなことを言い出した。
「大事にしてるよ」
美実の説教相手が今度は自分になったかと、本郷はスマホを見ながら答える。
タクシーの運転手はまだ30代かと思われる男性だったが、元々寡黙なのか酔っ払いには下手に絡まない方がいいと心得ているのか、行き先を聞いたきり話しかけてこようとはしなかった。
「どうかなぁ。本郷って、本気で人好きになったことある?」
それはあまりの言いようだと、本郷は顔を上げて美実を見た。
「あのねえ、好きになれそうもない子とは、さすがに付き合わないよ、オレ。付き合ってる間はちゃんと相手を最優先にするし、好きになろうと努力もしてる」
「努力ねえ。努力しながら付き合うってどうよ?」
人と人との付き合いに努力は必要だろ、とは口にせず、本郷は再びスマホに視線を落とした。
(ミミは一回絡み始めるとしつこいんだよな……)
本郷が反論してこないのを見ると、美実は諦めたように窓の外に視線を移す。こんな時間でも春休み中のためか車通りは多い。
「次の信号で左に曲がってください」
本郷の指示に運転手がウインカーを出す。
「え、本郷の家の方が近いでしょ」
パッと美実が振り向いたが、
「たいして変わんないだろ。いいよ、オレは最後で」
距離的にはそこそこの遠回りだが、そもそも同じ学区内だ。気心の知れた同級生とはいえ、女性を先に家に送り届けるくらいの気遣いは持ち合わせている。
震えるスマホに視線を落とし、本郷はため息をついた。
彼女から居場所を確認するメールが何度もきている。その度に返事は返していたが、彼女には何か思うところがあるらしい。
「努力も大変ねえ」
先ほどからの本郷の様子に、美実は状況を察したらしく、呆れ顔で笑った。
「可愛いもんだよ。こっそりスマホ見られそうになったり、GPS仕込もうとした子もいたんだぜ」
本郷としては冗談めかして強がったつもりだったが、美実の目付きが鋭くなった。
「自慢にならないわよ。てか、そんなおっかない女とばっかり付き合ってんの?」
「自慢してるわけじゃ──」
ルームミラー越しに運転手の視線を感じて本郷は声を落とした。
「そういう子もいたって話だよ」
「もう少し慎重に相手選びなさいよ。一歩間違えればストーカーになりそうじゃない?そういう子って」
それは本郷も思っていたことだった。
「今の彼女はそこまででではないよ」
またしてもスマホが震え、連続してメッセージ受信のお知らせが表示される。
「だったらいいけど」
ため息混じりに画面を開く本郷を尻目に、美実は運転手の方へ身を乗り出した。
「あそこのコンビニの前で停めてください」




