お馴染みの世界 ①
「それでは洸ピ!T大合格おめでとー!!」
暦美の発声に、凪はみんなと一緒にグラスを掲げた。ただし、色々とツッコミどころの多いこの状況に、笑みは引き攣りがちだ。
洸は凪と同じ大学に見事合格した。
久しぶりにジーズ・バーで会った暦美に話すと、即座にお祝い会が設定された。もちろん、場所はジーズ・バーである。
集まったのは、凪の小学生時代の同級生たち。洸の「友達」は1人もいないのだが、本人も嬉々としてコーラを口に運んでいる。
「洸ピって……いつの間に……」
「ナッピの弟だもん。洸ピでいいでしょ」
あっけらかんと笑う暦美に、
「うん、洸ピでいいっすよ。大学生になってちゃん付けとかも照れくさいし〜」
洸も相変わらずだ。
(いやいや、ピ、もどうよ?)
凪が突っ込もうとした矢先、
「で、なんでコミが仕切ってんの?」
口を挟んできたのは本郷だった。
「えー、だってナッピ、お祝いしないって言うんだもん。だから私が企画したのよ」
「え、主催、水沢じゃないんだ」
一応、家族で春休み中に食事会をして、姉なりのお祝いは渡してある。凪としては、これ以上してやることなど思いつかなかった。
「いや、弟のためにお祝いって……しかも、このメンバーって……」
「洸ピ、料理出来んの?あ、姉ちゃんと2人暮らし?そりゃ、いいな!」
「どこに部屋借りたの?」
「農学部って、何すんの?実家、農家だっけ?」
洸は凪の同級生に囲まれて、ワイワイ質問に答えている。自分よりも馴染んでいるのではないかと、凪は不思議な気分になった。
別に洸がここにいるのが嫌だとか、自分よりも和気あいあいと話していて羨ましいとかいうわけではない。純粋に、「なんで?」という感覚だ。
入り口のドアが滑らかに開いて、長身の人影が現れた。
「悪い。遅くなった」
西崎音十弥は店内をさっと見まわし、
「Congratulation!」
洸の肩を笑顔で叩いた。
発表の当日に、西崎には合格を伝えてある。洸が西崎や本郷に勉強を教わっていたことをその時に初めて聞いた凪は、弟の尻を蹴飛ばした。
「あたし飛ばして、あの2人に教えてもらうって、どういうこと?!」
「だって、姉ちゃん、あの2人はなんでも出来て、頭も自分よりすごいいいって言ってたじゃん!最初から上の人に聞いた方が効率いいだろ!」
「あっちだって忙しいでしょ。図々しいヤツだな」
凪としては、借りを作るようで気が引けるところが大きい。が、
「それに、姉ちゃんの英語、赤点ギリギリじゃん」
それは事実なだけに、凪はそれ以上言い返せなかった。
「仕事忙しいんだって?」
サーバーから注いだビールを西崎に差し出しながらそう聞くと、
「ああ。成田から今直帰」
西崎はそう言ってビールを一気に煽った。
差し出された空のグラスに再びビールを注ぎながら、
(本当に忙しいみたいだな)
凪は、珍しく疲労の色を見せる西崎の顔色を窺った。
「成田ってことは海外?」
「ああ。──ヨーロッパ方面」
少し言い淀んだ感じが気になったが、そのままビールを差し出す。今度は一口飲んだだけで、西崎はグラスをカウンターに置いた。
「やっぱり日本が一番落ち着くわ」
なんだか年寄りくさい言い方に、凪は思わず笑った。
「4月から大学院も行くんてだよね?大変じゃない?」
ニッと西崎の口角が上がる。
「全然。と言いたいとこだけど、マジで大変だわ。かなりブラックな生活だぜ」
「それはそれは……そんな忙しい中、愚弟のお祝いに駆けつけてもらって、恐縮です」
茶化して言ってしまったが、申し訳ない気持ちは本当だ。
「ま、これで一段落だから。しばらくは落ち着いた生活を送る予定──」
「お疲れぃ!」
がっしりと西崎に肩を組んできたのは本郷だ。隣に真壁と高野の顔もあった。
何か仕事に関係した話を始めた西崎と本郷を気にする様子もなく、真壁たちはビールを注文してくる。
「多めにサービス!サービス!」
「多めにって……グラスに入る量決まってるから。泡だけマシマシにしとく?」
「えぇ〜泡はいらない」
高野と凪の馬鹿馬鹿しいやり取りに、
「最初から大ジョッキ頼めよ」
真壁がもっともな突っ込みを入れてくる。
(なんというか、この2人と喋るのは楽だな)
同級生の中では1番気構えずに話せる相手かもしれない、と思いつつ、凪は店内に視線を走らせた。
暦美と美実、そこに洸が加わったテーブルで、何やら盛り上がりを見せている。千坂と蝦名が隣のテーブルからそこへ身を乗り出して料理を取ろうとし、暦美に手を叩かれていた。
(でもまぁ……なんというか、この空間全体が結構楽しい……)
小学校時代にはウィンガーになるまで、ほとんど話したこともない面々に、思いのほか親近感を感じている自分が、凪は面白くなってきた。大学の友人といるよりも気が楽だ。それはウィンガーであるという共通点のためかもしれなかったが……
ビールのジョッキに続いてピッチャーをドン、と差し出した凪に真壁が吹き出した。
「やるねぇ、水沢」
「遺伝子?ミトコンドリアって、生物で習ったな。農学部って、そういう研究もやってんだ」
相変わらず「ぽっちゃり」という形容では収まりきらない体格の千坂がいつの間にか洸の隣に座って話していた。
「高校は生物部とか?……へぇ、なんもやってなかったんだ?それがなんで遺伝子?……え、ウィンガーの?そういう発想いくんだ。ウィンガーの謎解明の一端か。洸ピくん、天才じゃね?」
そう言えば、千坂はいつも西崎や伊達守進之介を盛り立てることに尽力していたな、と凪は思い出した。カースト上位の男子に従い、隣で「そうだそうだ」と囃し立てるタイプだが、誰からも嫌われず、いわゆる可もなく不可もなく、というポジションと凪は認識していた。だが、冷静に考えれば敵を作らないというのも才能だ。
小出しに相手から情報を引き出すのは母親から受け継いだ特技かもしれないが、千坂母が子供の目にも強引に見えたのに対し、息子は相手を不快にさせない線引きをよく心得ているように見えた。
「姉弟で2人暮らしって、洸ピくん的には大丈夫なん?……いや、姉ちゃんってさ、弟をこき使うじゃん。あ、水沢はそんなことない──」
大きく頷いていた洸は、そばに凪がいることに気付いて、ぐるぐると首を回した。
「この頃肩凝りがですね──」
「まあまあまあまあ、」
千坂は明らかに小言を言い出しそうな凪にワイングラスを押し付けてよこすと、そこに有無を言わさず赤ワインを並々と注いだ。
「さ、お姉さん、グッといっていって。お祝いの席なんだから」
おっさんくさい言い方だ、と苦笑しつつ、凪は千坂の向かいに座った。
(ワインよりハイボールが飲みたかったんだけどな)
それでも一杯ぐらいは付き合ってやるかと、グラスに口をつける。ワインはあまり飲みなれないこともあり、美味しいのかどうかもよくわからない。
「千坂くんも、お姉さんいたんだっけ」
数少ない千坂についての記憶を辿る。千坂の姉は確か中高一貫の私立校に進学していて、母親はそれをかなり自慢していたはずだ。
「いるよ。頼まれてたのと違うお土産買ってきただけでメシを奢れとか、夜中にスイーツ買ってこいとか、平気で言ってくるタイプの姉が。そもそも自分で働いてるんだから、オレに奢れって話でしょう?大学の長期休みにしか帰ってこない弟を夜中までこき使うってないでしょう?」
そのままの勢いで千坂は姉の愚痴を語り続ける。面識もない千坂の姉の人となりがかなり網羅できそうなほどの情報量がそこにあった。洸はいつの間にかカウンターに移り、西崎と喋っている。
「でさ、自分が振られてばっかいるくせに、オレに彼女ができないのは太ってるからだとか、もう少し髪型変えろだとか勝手なことばっか言ってくるわけよ。んなこと、オレだって自分がモテない理由なんか分かってるっての!でもな、水沢、こんなオレでも丸ごと受け入れてくれる女の子だっているかもしれないだろ?無理をして自分を変えてまで彼女が欲しいか?!」
うんうんと気のない返事をしているうちにも、千坂は滔々と話し続ける。
(あれ、結構酔ってる……?)
ウィンガーはそうそう酔わないと思っているし、別に顔色も変わってないから、まさかとは思ったが、このテーブルから回収したワインやウイスキーのボトルの数を思い返してみて、凪はそろそろ飲むのをやめさせる頃合いかと考えた。
合わせて10本は下らない。何人で開けたのかは分からないが、一般人ならベロベロの酔っ払いが何人も出来上がっているはずだ。だが、
「だよな!千坂!」
野太い声と共に蝦名がやってきて、
「そろそろ飲み物を水に変えた方が、」
と凪は言うタイミングを逃した。腰を下ろす勢いに、凪の体は若干浮きながら、奥へと押し込められる。
2人掛けのソファ席だが、当然凪のスペースはグッと狭まり、ワイングラスを倒さないよう、慌てて抑えなければならなかった。
「水沢さん!女性というのは、なんでそんなに大きい声の男が嫌なんだろうか?!」
「……へ?」
「ごめんなさい、大きい声の人苦手なんですって、ちょっと失礼な断り方ではないだろうか!商売をしていれば、声の大きさだって、大事な商売道具の一つ!」
凪の返答など待ちもせずに語り続ける蝦名の話から、どうやらつい最近、彼が告白したガールズバーの女の子にアッサリ振られたらしいことが、店内の同級生全てに知れ渡った。
(もう1人、酔っ払いが出来上がっていた……)
蝦名の方は呂律もかなり怪しく、わかりやすく酔いが回っている。そして千坂と2人、ガッチリと両手で握手などしてお互いを慰め合うものだから、凪は席を立つに立てなくなった。
(コ、コミさん……)
こんな時は大抵、暦美がガツンと言ってくれるのが定番なのだが……
凪が姿を探すと、残念ながら暦美は電話をかけながら、カウンター奥のスタッフスペースへ姿を消すところだった。
その代わり、美実が
「ほら!ナッピ困ってるじゃない!2人離れなさいよ!気色悪い!」
と、嗜めてくれる。だが、大声でクダを巻く2人には聞こえないらしい。
「あ、ミミちゃん、大丈夫」
ここはもう仕方ないと、凪は翼を出した。
ふわりと空中に浮き一回転、狭い店内だがグラスやボトルを倒すこともなく着地する。
蝦名と千坂はそんな凪の動きもお構いなしだった。
「ああ、仕方ねえ奴らだな」
普段なら漏れない心の声を出しつつ、凪は翼を消した。




